いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-ウィリー・ネルソン

2021-01-06 07:24:42 | MUSIC

 「ウィリー・ネルソン」

 アメリカ出身・イギリス、アイルランド、チェロキーの血を引く。

  1933年4月29日生まれ。現在87歳。

 米カントリー界の大御所である。ただオーソドックスなカントリーではなく、「アウトロー・カントリー」と呼ばれている。

 Willie Nelson(ウィリー・ネルソン)|70作目となる最新アルバム『First Rose of Spring』

 2019年6月に発売された前作『ライド・ミー・バック・ホーム』のタイトル曲が、第62回グラミー賞の最優秀カントリー・ソロ・パフォーマンス賞を獲得し、その健在ぶりを世に示したウィリー・ネルソン。約1年振り、通算70作目となるスタジオ・アルバム『First Rose of Spring』は、自作曲に加えて、ウィリーが敬愛するポップス、カントリー界のソングライター/パフォーマーらの歌を取り上げた、美しい楽曲とキレ味鋭いパフォーマンスに彩られた魂の一枚となっている。

 人の死ぬべき運命、人生の儚さ(そして超越する)美しさといった、誰しもが感じるほろ苦い感情に思いを寄せるシャルル・アズナヴールの名曲「帰り来ぬ青春」がアルバムのラストを飾っている。

*Tower Records Online  2020年05月28日 より

 

 まだまだ現役!びっくりします。

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<日本酒> 山形 十四代/高木酒造

2021-01-06 07:18:44 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(仙台国税局)】
 〈山形〉 十四代/高木酒造 

 

 酒造りと近隣インフラ整備に尽力した十四代目

 日本酒サイトをご覧の方に、「十四代」の説明はいまさら必要はないだろう。さまざまなメディアで、さまざまに語られる十四代だけど、お蔵拝見リポートは実はそう多くない。

 今回幸運なことに、「高木酒造」代表取締役「十四代当主」高木辰五郎氏と、まさに十四代ブランドの立役者である専務取締役「十五代」顕統氏にお話をうかがい、お蔵を見せていただくことができた。
山形県村山市は県のほぼ中央に位置する。高木酒造がある村山市富並はまさに雪国という言葉がぴったりの土地柄だ。
 うかがった2月下旬はたっぷりの雪に覆われ、寒仕込み真っ最中であった。

 「この雪があるからこそ、もろみの発酵がうまく運ぶんですよ」と、雪景色をいとおしそうに眺める辰五郎氏。雪の話をきっかけに高木酒造の歴史をうかがった。

 「酒造りをはじめたのは元和元年(1615年)ですから、390年ちょっとになります。私は酒造りだけではなく、県会議員という政治の仕事もしています。一昔前は、このあたりは道も橋もなく道路事情が大変悪かった。たとえばこの先の次年子(じねんご)で病人が出たら、ここ富並まで運ぶ間に亡くなってしまうということがよくありました。私はそれをなんとかしたかったんです」

 辰五郎氏は15年前に自ら立ち上がり、近隣のインフラ整備に力を注いだのだ。


 もともと、京都の公家であった祖先は応仁の乱で負け、惨殺を逃れこの北の土地で名前をかえ、ひっそりと住み続けたのだとか。今も高木家にどことなく気品があるのはそのせい……かな??

京の落人とはいえ、酒蔵のある敷地だけで現在3500坪。戦前は「高木山」とよばれる山林、森林、田畑すべては高木家の所有であり林業も営んでいたという。

「酒税が上がり税金をたっぷり取られたから、あのころ戦争が出来たんだ。今はもう酒税が取れない(=お酒が売れない)から戦争は出来ないよね」と笑う。

 

 大吟醸「黒縄」の本当の意味

 大吟醸「黒縄」と蘭引酒「鬼兜」の看板が。高木酒造の銘柄で「黒縄」という大吟醸がある。1升ビン10,000円の値がつく高級酒である。この「黒縄」の由来をうかがった。

 米どころの山形では特別に高品質の米が入った俵には「黒縄」をかけて、遠くからでも目立つようにしていたのだとか。北前船の立ち寄り港である酒田からは、その「黒縄」が上方や江戸にむけて運ばれていった。
 「今でも良質の『庄内米』には黒い札が張られていますよ」と辰五郎氏。
 なるほど、これがわからないと大吟醸「黒縄」の価値が半減……かもしれない。

 

 十四代というブランドが生まれた理由

 幻といわれる銘柄が並ぶ。「十四代という銘柄は、昔は古酒に使っていたんです」とさらに続ける辰五郎氏。

 実は、「十三代」「十四代」「十五代」「十六代」という言葉をすべて特許申請したところ、数字は特許が取れないと判明。しかし不思議なことに、そのうちの「十四代」だけが特許が取れた。「とよしろ、とか、としよ、とか誰かの名前だと思われたんでしょうかねぇ(笑)」 


 今の十四代を支えてきたのは地元で人気の銘柄「朝日鷹」。これが45年ほど前の話。「その後、政治に力を入れるようになったのと、杜氏が高齢で辞めたのとで、息子に戻ってきてもらった」……と。十四代銘柄でいくつかの製品を売り出すことになったのは、それ以後、つまり顕統氏が戻ってからということになる。

 ほぉ、特許の問題……これは初耳。興味深い歴史ではないか。今はもうキラキラと光り輝くような十四代というブランド名も、実は、偶然の産物だったのだ。

 十三にも十五にも勝るインパクトをもつ「十四代」に勝負をかけた

 今年で15回目の造りを行っている十五代目の顕統氏は、今年41歳になる。いまや日本酒界の若きスターだが、その華々しい経歴とその裏にある苦労話は、さまざまなメディアで語られているとおり。

 富並の酒蔵で小学生まで育ち、中学時代からすでに山形市内で一人暮らし(!)をはじめ、東京農業大学第一高等学校を経て、東京農大醸造学科へすすんでいる。


「中学生のときはお隣のご家族に食事を用意してもらっていたんですが、なんだかお代わりするのが恥ずかしくってねぇ……」なんてかわいい思い出を話してくれる。やはりこの経歴、いわゆるひとつの帝王学だろう。さすが……。

 卒業後、東京、新宿のクイーンズ伊勢丹に就職し流通業界を経験。1993年(25歳)蔵に戻り、現在、専務取締役兼杜氏。7歳と3歳の男の子の父でもある。


 「伊勢丹のクイーンズシェフという流通業界の中にいて、十四代銘柄を客観視できたんですが、この十四代という名前は非常にインパクトがあり、どこか人の心に残るような響きがあると感じていました。十三とか十五に勝るなにか……。なので、よし、この十四代というブランド名で勝負したいと思うようになったんです。」

 落ち着いた声で語る顕統氏はさらに、「日本酒によく使われる昔の文字は雰囲気はあるけれど読みにくいんです。商標名でもわかりにくいものが多い。その中で、十四代って、ほら、なんかわかりやすいでしょ。だからこれだな……と」とからりと笑って説明する。

 たしかに、十四代は響きがいいし語呂もいい。なんともいえないリズム感がある。さらになんといってもこの十四代の文字。どこの企業もブランドロゴのデザインには最大限の力を注ぐというけれど、この十四代のロゴ(といっていいのか)はひときわ際立っている。きけば、書家「岩崎潮風(ちょうふう)」氏の作だとか。

 

 印象的な箔押しラベル

 それにプラス、お酒屋さんや料理屋さんで見かけるとぴかっと光って思わず目に留めてしまう、あの緑や紫の蛍光文字ラベル。すごく印象的ではないか。

 「あれは箔押しなんですが、お酒の取り扱いに気を使うお店は、たいてい冷暗所とか冷蔵庫のようなところにお酒を置いてくれるんです。だから、そういう場所にあって、いかに目立たせるかってことを考えたら、あれになったんですよ」と。今おもに流通しているのは4、5種類だが、最初に作った緑バージョンは思い入れが強いと語る。

 ビカッと光って目立つけれど、決していやらしくなく、逆に品よく見えるのは色のセレクトのせいだろうか……。文字のデザインのせいだろうか……。このあたりも十四代人気をになう顕統氏ならではの感性なのだろう。

 「伊勢丹で働いていたころはちょうど淡麗辛口ブーム・新潟酒ブームのころ。あのブームを経て杜氏さんと入れ替わりに蔵に戻ったわけですが、一年早かったら淡麗辛口に巻き込まれていただろうし、一年遅くても今の味は造れなかったでしょうね。十四代の味が生まれたのは、ほんと、タイミングが良かったからなんです」とかざらずに語ってくれる表情には、苦労しながらも十四代を日本酒の代表銘柄に仕立て上げた自信が垣間見えるようだ。

 お酒造りは自然界の曼荼羅

 昔から酒蔵が村の神社を造り、お神酒をささげ、そこにまた米が集まった。この流れはまさに自然の輪廻。この流れが狂い始めていることに不安を感じると氏。

 また、尺貫法がメートル法に変わってしまった(昭和34年)ことも実は問題とおっしゃる。酒造りは何百年ものあいだ、蔵独特の数字や言葉を使って仕事をしてきた。酒屋にとって数字は大切。それを無理にかえられたので、職人はついていけずやめてしまった。つまり酒文化を失ってしまったことに通じる。残念なことだとうつむく。
 酒造りと政治をあわせて行ってきた辰五郎氏らしい見解である。

*https://allabout.co.jp/gm/gc/225241/ より

 高木酒造(株) 山形県村山市富並1826

 銘柄一覧

 「十四代 」純米大吟醸 龍泉・大吟醸 双虹・ 純米大吟醸 龍の落とし子-「龍の落とし子」使用・純米大吟醸 龍月・七垂二十貫・純米吟醸 中取り 播州山田錦・ 本丸 秘伝 玉返し・ 純米大吟醸 酒未来-「酒未来」使用

 「朝日鷹」特選 本醸造・特選 新酒 生貯蔵 

 「黒縄」大吟醸 など

 

 「龍の落とし子」とは、

 高木酒造が独自に開発したオリジナル酒米。十四代目当主の高木辰五郎氏が自ら開発し、18年の歳月をかけて交配・育種を重ねて作られた酒造好適米が「龍の落とし子」。父系は山田錦と金門錦を掛け合わせた「山酒4号」。母系はたかね錦に改良を加えた「美山錦」。

*https://www.saketime.jp/brands/241/ より

 

 「酒未来」とは、

 「酒未来」は高木酒造が独自に開発したオリジナル酒米の名称。「酒未来」は「龍の落とし子」とは逆に、父系に美山錦、母係に山酒4号を交配して作られた品種。 近年、意欲と将来性ある若い蔵元が頑張っている酒蔵に酒未来を分けており、酒未来を使った日本酒が様々な蔵から商品化されはじめている。

*https://www.saketime.jp/brands/241/ より

 

 

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 12. 三輪素麺

2021-01-06 07:07:46 | 食品

 登録番号 第12号 三輪素麺

 

 特定農林水産物等の区分 第15類 穀物類加工品類 そうめん類

 特定農林水産物等の生産地 奈良県全域

 登録生産者団体 奈良県三輪素麺工業協同組合、奈良県三輪素麺販売協議会

 特定農林水産物等の特性 約1300年前の奈良時代に生産が始まり、三輪地方が手延べ素麺発祥の地と伝えられている。しっかりとしたコシの強さから、伸縮性に優れており、非常に細い製麺が可能であることと、茹で上げ後の茹で伸びが抑制される。

 地域との結び付き 手延べ素麺発祥の地とされている、毎年2月5日、全国の手延べ素麺産地の関係者が一同に会し、大神(おおみわ)神社で「卜定祭(ぼくじょうさい)」が営まれている。昭和40年代以降、家内工業として広く受け入れられ県下全域に広がった。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i12.html より

 

 「三輪素麺」は、手延べ素麺発祥の地の三輪で生産され、その起源は奈良時代まで遡る伝統ある素麺です。「三輪素麺」の成分上の特徴としては、一般的な手延べ素麺のタンパク質含量が9.3%程度のところ9.5%以上あり、しっかりとしたコシの強さがあります。その結果、伸縮性に優れており、非常に細い製麺が可能であり、また茹で上げ後の茹で伸びが抑制できます。その食感は高く評価され、新聞、テレビ、雑誌等でも数多く取り上げられています。
 三輪における素麺作りは、約1300年前に、日本最古の神社である大神神社(おおみわじんじゃ)の大神主であった大神朝臣狭井久佐(おおみわのあそんさいくさ)の次男穀主(たねぬし)が始めたと伝えられています。飢饉と疫病に苦しむ民の救済を神へ祈願したところ、ご神体である三輪山とそこから流れ出る巻向(まきむく)川と初瀬(はせ)川の二つの清流が結ぶ地の肥沃な地味や適度な湿度が小麦の栽培に適していることを知らされました。穀主(たねぬし)は、民に種を蒔かせ、川沿いに多くあった水車でゆっくりと挽いた小麦を原料に清浄な湧き水でこね延ばして素麺を作り、地域の生業として発展させようとしました。

 「三輪素麺」の製法は、強いコシを持たせ、非常に細く製麺する伝統的なものです。麺の細さは、10g当たり普通品で65~75本、上級品で75~95本、最上級品で95本以上と規定されています。
 まず、原料の小麦粉と食塩、水を30分程度練り合わせて麺生地を作り、加圧し延ばしながら麺綱(麺の帯状のもの)にします。小麦粉は、粗タンパクが10.0%以上と非常に高い強力粉、準強力粉を使用します。この加圧延ばしの過程で、小麦粉のタンパク質成分であるグルテンが筋状の組織を作り、麺繊維の基礎が形成されます。熟成された麺綱に撚りをかけ、食用植物油を塗付しながら細く延ばし麺紐とします。熟成させた麺紐に撚りをかけ、さらに細く延ばす作業を繰り返し、2本の掛け管に8の字の形に掛け付けます。その状態で箸で上下に分けつつ、麺を引き延ばしていきます。最後に、含水率13.5%以下となるまで乾燥し、麺を切断して長さを調整します。

 三輪では、毎年2月5日、全国の手延べ素麺産地の関係者が一堂に会し、伝統行事として大神神社でその年の素麺相場を占う神事である「卜定祭(ぼくじょうさい)」が営まれており、三輪が素麺発祥の地であることを思い起こさせます。また、1960年代以降奈良県では、産業としての三輪素麺に着目し、県下全域に生産を推奨した結果、吉野・五條地域や月ヶ瀬地域等の山間部では、農林業従事者の冬場の仕事の確保に繋がることから家内工業として広く受け入れられ、生産範囲が県下全域に広がることとなりました。
 日本の古い歴史的な資料である「古事記」や「正倉院文書」(750年頃)、「延喜式」(927年)などに、素麺が食されていたことが記されており、1565年の「多聞院日記」には、三輪と素麺との関連を示唆する記載があります。特に、1754年に書かれた「日本山海名物図会」には、「大和三輪素麺は糸のように細く、雪のように白い名品である。茹でても太くならず、他の地方の素麺が及ぶところでない。旅館でも名物として旅人を素麺でもてなしている」と三輪素麺の名声ぶりが記されています。三輪素麺は奈良時代から生産が始まり、江戸時代に現在のような形になったと考えられていますが、戦後は格段に機械化が進み、それ以前に比べて手作業による工程は少なくなっているものの、伝統の味を損なうことなく、機械化できるところは新しい設備を導入しながらも、伝統的な手延べ製法を守り続けています。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/12.html より 

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<漢字検定> 準1級 四字熟語 2.回答 3.出題

2021-01-06 07:04:12 | 漢字検定

 前回の回答

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 


 問1 不倶戴天 -ふぐたいてん-同じ天の下には一緒にはいない、同じ天の下には生かしておかない意で、それほど恨みや憎しみの深いこと。もとは父の仇かたきを言った。▽「倶-ともには天-てんを戴-いただかず」と訓読する。 

 


 問2 閑雲野鶴 -かんうんやかく-世俗に拘束されず、自由にのんびりと暮らすたとえ。また、自適の生活を送る隠士の心境のたとえ。大空にゆったりと浮かぶ雲と、広い野にいる野生のつるの意から。▽「閑雲」は大空にゆったりと浮かぶ雲。「野鶴」は野に気ままに遊ぶつる。何ものにもしばられない自由な生活のたとえ。「閑」は「間」とも書く。

 


 問3 一碧万頃 -いっぺきばんけい-海などの水面が、はるかかなたまで青々と広がっていること。▽「碧」は青・青緑・濃い青の色で、海や湖などのたとえ。「頃」は面積の単位。一頃は百畝-ひゃっぽで、周代では百八十二アール、宋-そう代では五百六十六アール。「万頃」はきわめて広いたとえ。

 


 問4 街談巷説 -がいだんこうせつ-世間のうわさ。ちまたの声。

 


 問5 折衝禦侮 -せっしょうぎょぶ-敵の攻撃を防いで、相手を恐れさせること。
「折衝」は攻撃してくる敵の武器をくじくこと。「禦侮」はこちらを侮ることを防ぐという意味。「衝くを折き侮りを禦ぐ」とも読む。

 

 今回の出題

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 猪突猛進  

 

 問2 貴耳賤目  

 

 問3 馬牛襟裾  
 

 問4 風餐露宿  

 

 問5 気息奄奄


 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典ONLINE より

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<プライドフィッシュ> 佐賀(有明海)-冬 佐賀海苔®有明海一番

2021-01-06 06:57:37 | 食品

 旬:11~3月 穏やかな有明海からと、太陽の光からの二つの栄養が惜しげもなくギュッと詰まった佐賀の有明海産のり!
7つの「おいしい海苔の評価基準」をクリアした『佐賀海苔有明海一番』!

 プライドストーリー:山は富士、海苔は佐賀。日本一を誇る佐賀のりの中で、厳しい7つの「おいしい海苔の評価基準」をクリアした『佐賀海苔®有明海一番』!その生産割合は1万枚にわずか3枚程度!!とても貴重!!

 穏やかな有明海からと、太陽の光からの二つの栄養が惜しげもなくギュッと詰まった佐賀の有明海産のり。 質量ともに日本一を誇る佐賀のりの中で、厳しい7つの「おいしい海苔の評価基準」をクリアしたものが『佐賀海苔®有明海一番』です。 評価基準は、うま味のもととなるタンパク質含有量が50%以上、香りレベルが「優」以上、口どけが食感測定値20回以内のやわらかさで、おいしいものであること。さらには色・ツヤ・形の美しいもの、一番摘みの初物など、とても厳しいものです。そのため、『佐賀海苔®有明海一番』は文句なしの最高級品!ご満足していただけることは間違いありません! 
 
◆新芽の初摘みを大切にする伝統
 海苔の一番摘みには、秋ノリと冬ノリがあります。年2回だけの新芽の一番摘みを大切にする伝統が、「佐賀海苔」ならではの味を生み出します。
 
◆味と安全性を守る育成記録
 おいしさのために、海苔の育成環境を限定。育成課程がきちんと記録された、素性が明らかで健康な海苔だけが、『佐賀海苔®有明海一番』を名乗ることを許されています。
 
◆「佐賀海苔」は現代人のための機能性食品です。
 海の豊かな栄養を持つ海苔には、現代人に不足しがちなミネラルやビタミン、食物繊維が豊富。たんぱく質は大豆よりも多く、カルシウムは牛乳の2倍以上(焼き海苔)も含まれています。毎日食べ続けることで、がんや生活習慣病を予防し、美肌づくりや健康維持にも効果があることが知られています。

 

 水揚げ漁港や漁法:奇跡的な自然の恵みと手塩にかけて育てる技術!自然の海の力と漁業者の力が合わさって、のりが食卓に届く!

◆奇跡的な自然の恵みと手塩にかけて育てる技術
 佐賀県の海苔畑は広大な干潟で知られる有明海の最も奥まった場所にあり、潮の干満の差は最大6mにもなります。栄養豊かな河川と海流がぶつかる汽水域で、潮の干満の差を利用した手間のかかる支柱式栽培を行うことにより、うま味にあふれた口どけのよい海苔がつくられます。
 
◆のりが食卓に届くまでの流れ ~佐賀県は品質の高いのりの生産に努めています~
①カキ殻にフリー糸状体を植え付け、カキ殻糸状体として培養(3~9月)します。
②のり種が付いた網を1枚ずつにして、培養漁場いっぱいに広げます。
③のりは日中の太陽光線を受けて、濃い赤みを帯びアミノ酸をたくさん含んだ柔らかくて甘みのあるのりに育ちます。
④のり芽が15~20cmに育ったら収穫をします。昔は手作業で重労働でしたが、現在では機械でのり摘み作業が行われます。
⑤摘んだのりは、全形一枚分の量に分けて「みす」の上にのせ、四角いのりの形にすきます。
⑥大型ののり製造機械(全自動のり乾燥機)で水分をとり温風にあてて乾燥し、乾のりに製造します。
⑦検査場では、1束100枚として持ち込まれたのりの検査が行われ、品質によって格付けした後、その地域ののり協同販売場に出荷されます。
⑧共販所では全国の大手問屋さんが集まり入札会が開催され、必要な のりの品定めをして競争入札による買い付けが行われます。
⑨買い付けされたのりは焼きのり、味付けのりなどに加工され容量・安全性を確認後、スーパーや小売店に出荷され、私たちの食卓に並びます。

『佐賀海苔®有明海一番』(新うまい佐賀のりつくり運動推進本部)
http://gochiso-saga.com/saganori/index.html

*プライドフィッシュHP より

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