いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

EVはどこまで普及するのか?弱点の克服が課題に

2021-01-08 17:59:49 | 米屋の親父のつぶやき

 日本政府も「ガソリン車」廃止の方向を打ち出した。

これは全世界的なものであり、仕方ないのかも。

 ただ、2030年や2030年半ばという具体的時期を出したとしても、全ての車が一斉に切り替わるものではない。

「新車販売」を止めるだけである。

 つまり「中古車市場」ではそのタイミングにあっても「ガソリン車」は並んでいることになる(笑

 

 方向性は「脱ガソリン車」というのは変わりそうにないから、それをどうこう今は言うつもりもない。

 

 さて「脱ガソリン車」には、「ハイブリット車」を含めるのか?

 将来的には「電気自動車」を主力として「水素自動車」や「燃料電池自動車」になるのだろう・・・たぶん。

 「電気自動車」は世界各国の自動車メーカーが発売予定だが、デメリットもあるはず。

 

 ついこの間、突然の天候悪化により「高速道路で約2000台立往生」した。

 40時間以上も閉じ込められた車もあったという。

 それだけの台数&時間の立往生で「大きな事故」にならなかったのは不幸中の幸いであった。

 自衛隊も投入し、車内で待つ人たちのために「少量だが食糧供給」もし、「命」だけは助けた格好。

 ほぼガソリン車だったのだろう、自衛隊は「ガソリン補給」までした。

 

 待てよ・・・

 もし全車が「EV」だったらどうなるのか?

 たぶん、その頃には「ガソリン補給」の代わりに「移動式充電器」があるのかもしれないが・・・

 「EV」だと、寒冷地には当然弱い。バッテリーの消耗も激しい。車内暖房も電気でするわけだから、消費率もあがる。

 時間との戦いになることだろう。

 まぁ、もう諦めて「避難」する人が多くなるだけか?残った「車両」の撤去がもっと大変になるか?

 

 既に対策は検討されているところもある。

 http://www.ev-phv-hokkaido.com/problem

 あと10~15年でどこまで解決できるのか?

 特に「高速道路」管理者たちには頑張ってもらいたいものだ。

 「移動式充電器」や「充電スポットの増設」が求められることだろう。

 

 今日はとっても寒くて、こんなことを考えてしまう始末です(笑

 

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マクドナルドが懲りずに「サラダ」を投入

2021-01-08 17:34:13 | 米屋の親父のつぶやき

 マクドナルドが懲りずに「サラダ」をメニューに加えた。

 

 なぜ「懲りずに」とわざと書くのか?

 ご記憶がある方は少ないと思うが、2006年に「サラダマック」という商品を投入した。

 しかし・・・まったく売れず早々に引き上げた「黒歴史」があるからだ(笑

 当時、お客様から「ヘルシー」を求める声が多くあり、マクドナルドは「サラダ」でその要望を満たそうとした。

 しかし、そういった意見は「真実」ではなかった。

 そう、「誰もマクドナルドにヘルシーは求めていない」カスタマーが圧倒的だったからだ。

 まぁ安直に「ヘルシー=サラダ」という単純発想には呆れるばかりだったが(笑

 逆に2年後「クォーターパウンダー」を投入し成功した。

 ある評論家は「背徳感」をマクドナルドには求めていると説く。これは正解!

 人の「本音」を見極めるのは難しい最たるものだ。

 

 「ヘルシー」感を出しているのは、やはり「フレッシュネスバーガー」や「モスバーガー」だろう。

最近では「ソイパティ」を採用したロッテリアの動きも注視。

 

 そもそも「バーガー」たるものは「不健康食」なのだから、真逆を展開することにはリスクが付きまとうのが常。

 長い時間をかけて「イメージ」を変えていくのか?そこまで辛抱できるのか?

 どこまでの「顧客満足」を満たすことができるのか?「全方位」を狙うのなら、本腰を入れてチャレンジするべきだろう。

 前回のチャレンジの時とは「ニーズ」が変わってきているのも確か。

 

 今後のマクドナルドが楽しみである。

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レンタルスペースで宴会-コロナ対策

2021-01-08 09:58:04 | こんなモノあったら怖い!

 東京都・埼玉・神奈川・千葉で「緊急事態宣言」が発令された。

 「時短営業」として、8日から東京都は全飲食店、3県は酒類を提供する飲食店とカラオケ店(県庁所在地など一部地域)に要請する。3県は12日から全飲食店に拡大する。

 飲食店には午後8時までの時短と、酒類の提供を午前11時から午後7時までに短縮することを要請。

 

 コロナの温床と決めつけられた「飲食店」にとっては死活問題。それも再度にわたる要請で、もう耐えられないかも?

 今回の措置は、「要請」を受け入れず営業を続けた場合「公表」されるということ。

 

 どっかのコメンテイターは、「逆に売名になるのでは?」と危惧しているが・・・

 

 酒類の提供はできないとしても、「食べ物の販売」までは規制されていない。

つまり「テイクアウト」「出前」ではOKなのだ。

 

 なら・・・「レンタルスペース」へ誘導し「食べ物を販売」してはいかがなものか?

「カラオケ店」も要請対象だけに、新しく「レンタルスペース」をどこかに設けるなんてことしないのかな?

 たしかに「午後8時以降の不要不急の外出自粛を要請」しているが罰則はない。

 「レンタルスペース」も規制対象外。

 そう・・・「ビジネスホテル」の客室でもいいわけだ。

 

 あっ!ただちゃんと自分たちで感染対策はできる限りしてよね。

 

 こんなバカなこと考えるやつがいたら怖いかも?(笑

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-渡辺貞夫

2021-01-08 06:58:22 | MUSIC

  「渡辺貞夫」

  1933年2月1日生まれの87歳。

 愛称は「ナベサダ」。ジャズ・フュージョンのサックスプレーヤー・フルート奏者。

 

 サックス奏者・渡辺貞夫、ジャズと共に歩んできた70年を振り返る 文 小川隆夫 写真 近藤 篤 2020.02.19

 2月1日に87歳の誕生日を迎えた渡辺貞夫。言うまでもなく、世界的な評価を集めている日本のサックス奏者だ。栃木県の宇都宮で生まれ、高校卒業後の51年に上京。銀座のクラブなどで演奏活動を始め、53年に秋吉敏子率いるコージー・カルテットに加入。秋吉が渡米した56年からは彼女のカルテットを引き継ぎ、58年の解散後はジョージ川口のビッグ・フォアに加入。61年に初リーダー・アルバム『SADAO WATANABE』を発表し、翌年からアメリカ・ボストンのバークリー音楽院(現・バークリー音楽大学)に留学。65年に帰国してからは、現在に至るまで若手をメンバーに加えるなどしてジャズの発展に寄与し、常に最前線に位置してきた。その裏に不断の努力があったことは想像に難くない。

 1933年生まれの渡辺にとって、音楽との出会いはどのようなものだったのだろう?

 「親父が琵琶師だったこともあって、家の中で、お正月に親父が都都逸*(どどいつ)を唸ったりとか、そういう音楽環境ではありました。」

 叔母のところで歌謡曲を聴いたり、近所のひとが弾くギターやヴァイオリンの音に耳を傾けたり、小学校では唱歌の時間が好きだったという渡辺。その彼に音楽の道を歩ませるきっかけが、戦後すぐに上映されたアメリカ映画『ブルースの誕生』だ。

 ※都都逸(どどいつ):江戸末期に一世を風靡した寄席芸人の都々逸坊 扇歌(どどいつぼう せんか)が大成した七・七・七・五調の俗曲。

 「アメリカの文化政策だと思いますけど、戦後に音楽映画がいっぱい来たんです。終戦のときに、宇都宮の国道を、戦車を先頭に、アメリカのGI(軍隊)が隊列を整えて入ってきた。それが、ぼくの見た初めての外人。恐怖心はなかったですね。あまりにかっこいいんで、あっけにとられて。それに加えて、チョコレートやチューイング・ガムをもらって、一気にアメリカというか西欧文化に憧れました。進駐軍放送では毎日のように明るい音楽が流れてくるし。」

 映画『ブルースの誕生』の中で、少年がクラリネットを吹くシーンに渡辺少年は思いを膨らませる。

 「親父に迫りましてね。で、クラリネットを買ってもらったのが15、6歳の頃です。ベニー・グッドマンなどに憧れて、そこから始まりました。たまたま宇都宮のオリオン通りの小さな楽器屋さんに、中古のクラリネットが一本だけぽつんとあったんです。あれ、ぼくの人生にとっては象徴的でしたね。他に楽器なんか置いてないのに、それだけあったんです。」

 出会いとは不思議なものだ。映画を観なければ、そして楽器店にクラリネットが置いてなければ、渡辺の人生はまったく違うものになっていただろう。

 「3ヶ月ぐらいしたら、宇都宮のダンスホールで週末に演奏を始めていました。楽器がない時代ですから、とにかく楽器を持ってステージに上がっていればいい。見映えなんです。だけど、吹きたい。ラ・クンパルシータ*ぐらいの指使いは教わりましたから。でも、返ってきた言葉は、『あの坊やが吹くと踊りづらいからやめさせてくれ』(笑)。これがぼくの音楽生活の出発点。」

 ※ラ・クンパルシータ":タンゴを代表する古典曲

 その昔、無声映画でクラリネットを吹いていた近所のおじさんに基本を習い、あとは一心不乱。才能があったのだろう。高校を卒業する頃にはひと通りの演奏ができるようになっていた。つてを頼り、東京に出たのが卒業して2週間後のことだ。

 「この時点では、音楽でやっていけるとは思っていませんでした。音楽の素養がなにもないんだから。ただ好きで、憧れて。何曲かちょっと吹けるぐらいで東京に出てきたわけだし。親父には、『20歳までは好きなことをさせてくれ』と言っていた。ところが19歳のときに秋吉敏子さんに声をかけられたんです。秋吉さんはぼくらの憧れのピアニストですから。彼女に声をかけられたら、『これは音楽で飯を食っていけるんじゃないかな?』と思いますよね。でも、これがなくても、音楽が好きでしたから、帰らなかったと思います。食べていけなくてもやっていたと思います。」

 秋吉のバンドに入って、渡辺はさまざまなことで刺激を受ける。中でも影響されたのが練習量の多さだ。だからこそ、後進へのアドバイスには説得力がある。

 「とにかくわき目も振らずにやってほしい。今の時代は、テレビやインターネットとか色々なものから音は流れてくるし、音楽情報が多すぎる。だから、自分のやりたい音楽がわからなくなってしまう。音楽が好きなことはわかるけど、自分の一番やりたい世界がわからない。そういう意味では、ぼくらの時代よりも難しくなっている。でも、何か目標を決めて、自分が好きな世界をみつけて練習する。やっぱり、とにかくがむしゃらに、自分の求める欲しい音を追いかけるしかないでしょうね。

 ただ、今の音楽世界でそれだけをやっていたら飯は食えないです。どのミュージシャンもみんな、あれもやる、これもやるで、それなりのことに対応しないといけない。ぼくらは一つのものを追いかけていけばよかったけれど、今は音楽の選択肢が多いので、その中から自分が本当にやりたい音楽を見つけてほしいです。

 音楽をやろうとしたら、まずは楽器を覚えないといけない。自分の好きな楽器を選んだら、徹底的にマスターする。ぼくの時代は、アメリカに行くまでサキソフォンの先生がいなかった。それを考えれば、今は恵まれています。

 そして大事なのは、楽器の音を、どれだけ自分が納得するように出しているかってことです。楽器吹けます、演奏できます程度の音じゃ、誰も納得してくれません。自分の楽器をまずはひとに聴いてもらえるような音にして、自分の納得する音にする。自分の音に自信がなかったら、他のことにも自信が持てませんからね。

 練習も、ぽつんぽつんとやるんじゃダメなんです。毎日継続的に、時間を決めて、8時間やると決めたら8時間やる。それを毎日やらないとだめです。ぼくなんか、先生もなしで今日まできているわけで。自分なりに工夫して、自分の音を探して。」

 若さと情熱——当時を知るひとが見れば、目の前にいる渡辺の音楽に対する姿勢はまったく変わっていないのではないだろうか? 洒落たファッション・センスも、昔からファンに影響を与えてきた。そちらの面でも、演奏同様、筋金入りだ。

 「ぼくらミュージシャンはアメリカのミュージシャンに本当に憧れたんですよ。当時はとにかくかっこよくいたい、着るものぐらいは真似をしたい、と思っていて。『エボニー』という雑誌があって、それに黒人のミュージシャンの写真が載っていて、当時、大きな襟のシャツを着ていた。これがかっこいいから、帝国ホテルのそばのガード下のYシャツ屋さんに『これと同じシャツを作ってくれ。』って駆け込んだりしました。

 当時、ステージに上がるときはバンド全員でユニフォームを着たわけです。ユニフォーム屋のおやじさんがいて、月賦で作ってくれるんです。この裏(銀座・和光)をちょっと行ったところにユマニテという洋服屋さんがあって、そこで作ってもらっていた。先つぼまりのズボンで、ジャケットはだぼだぼ。肩をちょっと上げると、うしろにシワができる。そこらへんまで注文してね(笑)。

 靴は、やはりブーツがかっこいい。でも、ブーツなんて売ってない。銀座に夜店があって、そこで米軍の放出品で黒のかっこいい靴を買ったりしました。ブーツは見つかりませんでしたけど、仲間のミュージシャン達は皆、とにかくいつもキメてましたね。」

 秋吉敏子の推薦もあって、フルスカラシップをもらいバークリー音楽院に留学したのが62年のこと。それまで、ビバップ(1940年代に始まったモダン・ジャズのスタイル)一辺倒だった渡辺だが、このときからジャズに対する視野が広がる。

 「秋吉さんのバンドにいたときのジャズの主流はビバップ。その後、アメリカに行けたわけで。65年に、ゲイリー・マクファーランドのバンドで西海岸に10週間のツアーに出たんです。そのときに、初めてボサノヴァなるものを知ったわけです。サンフランシスコで、自分たちの出ているクラブの向いの店にセルジオ・メンデスのグループがブラジル65という名で出ていた。休憩時間にお互いに行ったり来たりして本場のブラジリアン・ミュージックを聴いたら、これもいいなと思うようになりました。」

 アメリカに行って得た一番大きなものはなんだったのだろう?

 「試行錯誤でやってきたことが理論的に間違っていなかった。それがわかったことです。バークリーのレッスンが、ぼくの目を開いてくれたというか、音楽の世界が見えてきた。ゲイリーとも出会って、ビバップ以外の音楽の素晴らしさを知ったことも大きい。

 チャーリー・マリアーノ(当時の秋吉敏子の夫)と一緒にレコード屋に行くと、ジャズではない、ビートルズだとか、ロックのレコードを買っていました。あの頃はロックが全盛ですから。これも聴かなきゃいけないのかと思いましたけど、その頃はまだ抵抗がありました。否応なしに、時代的にロックの影響を受ける時代でもあったわけです。

 一方、ジャズは自分の音を求めて、模索の時代。フリー・ジャズに行くのか、けっこう難しい世界に入りつつありましたよね。そこにロックのリズムが登場して。時代的にも、世界中の音楽が影響し合って、アフリカのリズムとかも聴こえるようになってきた。

 ジャズのリズムって、高級なリズムと言ったらいいのか、リズミックに色々みんなチャレンジしていましたけど、そこにロックやサンバのリズムなど、シンプルなものが入ってきたんです。そういうシンプルなリズムに単純に浸る楽しさみたいなものを、みんな感じてきたわけです。ぼくも含めて。

 ぼくはラッキーなことに、アフリカに行っちゃった。そうすると、音楽というより、アフリカの自然と、ひとびとの生きている世界というか、彼らがシンプルに生活している姿にも影響を受けました。だから、ロックやアフリカのリズムにも自然に影響を受けました。」

 ビバップからスタートした渡辺は、60年代前半の留学を経て、ジャズにこだわらない音楽性を打ち出すようになった。70年代にはフュージョン・シーンを牽引し、世界の音楽シーンに進出。そのポジションを現在まで守り、いまだ世界各地で活動を繰り広げている。

 渡辺の音楽、そしてステージには楽しさと心地よさが溢れている。それは、若い日から現在に至るまでの豊富な練習量と、音楽に対するオープンな気持ちによるものだ。そして、いまも少年の純粋さを忘れていない。ひとにも恵まれていたとは思うが、こうしたものから育んできた音楽は彼の人生そのものだ。

 魅力的な人生——それが渡辺の音楽からは聴こえてくる。それは、演奏しているときの笑顔を見ればわかる。だから、年を重ねるにつれてますますその音楽と演奏が人々の心を捉えて離さないのだろう。

*https://www.seiko.co.jp/magazine/music/00014.html より

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<日本酒> 山形 白露垂珠/竹の露

2021-01-08 06:50:56 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(仙台国税局)】
 〈山形〉 白露垂珠/竹の露

 

 竹の露酒造場は安政五年1858年に羽黒の地 猪俣新田で初代金野岩治により創業されました。今も竹林に囲まれ美酒を醸す酒蔵はいつしか竹の露と呼ばれるようになりました。

 大正12年、出羽三山神社御神酒を醸す秀逸な酵母を宿す随神門前宮本坊の酒蔵を譲り受け当地に移設。山形KA酵母・日本醸造協会9号酵母・同18号酵母の計3種類の純粋培養酵母を使用する現在に於きましても、90年以上に渡り5千本以上の仕込みを経て酒蔵に住み続ける出羽三山酵母は現在も全てのもろみに微妙に作用し蔵の個性として酒に現れています。

 原料米は地場産米にこだわった酒造りを伝統としております。明治大正生まれの主力原料米「亀ノ尾」「酒ノ華」「国ノ華」「京ノ華」の利用は基より、四代目金野文一郎の推進による昭和31年の「羽黒」の創成、五代目金野松弘の推進による昭和38年の「改良信交」栽培研究会の発足、昭和57年羽黒酒米栽培研究会「美山錦」主力米化(33年目現在、羽黒型「美山錦」化)、平成元年「亀ノ尾」「京ノ華」復活栽培の開始、平成4年の杜氏本木勝美による「山形酒49号、現:出羽燦々」平成14年「山形酒86号、現:出羽の里」平成21年「山形酒100号、現:出羽きらり」の試験栽培開始、現在平成23年「出羽きらり」による日本初:加工用酒米完全地元契約栽培化を達成いたしております。また平成28年は「山形酒104号:雪女神」山形の最新酒米にて金賞を受賞する事が出来ました。竹の露は庄内在来酒米100%酒蔵です。

 平成14年には蔵内深層地下300mの水晶地層帯から湧き上がる「月山深層無菌高水素シリカ波動超軟水」の採掘に成功。平成15収穫醸造年度より鑑評会出品酒用の外来酒米「山田錦」の使用を廃止。この水との共鳴を求め月山同源水で栽培される地場産の「庄内在来酒米100%酒蔵」に成りました。またこの水は弊蔵独自の充填ラインにより酒蔵としては日本唯一、食品衛生法第52条により生水のままでの充填販売が許可されています。ペットボトルでは樹脂様臭を吸着する性能がある為、汲み立て本来の力をお届けする為にガラス瓶で流通し欧米にも輸出しています。

 「大吟醸 白露垂珠 はくろすいしゅ 出羽燦々」は全国新酒鑑評会に於いて2003平成15年から6年連続金賞を受賞し、この内2001平成13年から10年間設営された第1部(地方産米部門)に於いての5年連続金賞受賞記録は「日本最高記録」となりました。

 平成21年以降の6年間では西日本産「山田錦」による高ブドウ糖濃度酒優位の審査に4年の苦杯を舐めております。全国最低レベルのブドウ糖濃度にランクされつつ2年連続金賞に留まっております。(金賞受賞酒全国平均ブドウ糖濃度:平成15年 1.2g/100ml → 平成25年 2.4g/100ml ・・・10年間で2倍の甘口酒に推移) しかしながら甘口流行には傾倒せず、食材と調和し旨味を引き立てる究極の食中酒の本道を歩む所存です。

 そんな中、鶴岡市にございます慶応大学先端生命科学研究所のご協力により弊蔵の酒をメタボローム解析いただいた結果、独自収集の全国人気18銘柄のサンプリングの中で白露垂珠はアミノ酸のアラニンとグルタミン、オリゴ多糖体のパノースを顕著に生成している酒であることが解りました。甘味ではなく旨味の日本酒であるということをデータで確認することができました。

 この「大吟醸 白露垂珠」の原料米「出羽燦々」は山形県庄内農業試験場において「美山錦」と「華吹雪」の交配により開発されました。平成4年からの試験栽培・試験醸造により栽培特性・醸造特性が確認され平成7年に種苗登録され山形オリジナル酒米としてデビューしました。同時にスタートした「純米吟醸DEWA33キャンペーン」は発足から20年を経た現在も継続している日本最長記録を誇る地酒キャンペーンです。「やわらかくて巾がある山形酒」として全国的に人気が高く現在も山形県内33蔵の純米吟醸酒が審査会の認定を受け流通しています。さらに最高度の審査会を経た純米大吟醸には「山形讃香」の称号が与えられ弊蔵の「純米大吟醸 白露垂珠」も限定流通されております。

 蔵人は全員地元で朝昼夕食時を自宅ですごし通勤しています。平成4年にデビューした白露垂珠の麹は一升盛麹蓋法という手造りによる麹です。総勢14名の蔵人が2名ずつ7班編成の交代で宿直業務に当直し最高性能麹の連続生産を可能にしています。

 やわらかな旨味が広がる後味のすっきりした芳醇辛口の酒。日本酒本来の旨味で料理の旨味を引き立てる酒です。日本文化の象徴と言える和食に代表されますように、素材の旨味を引き立てる調和の文化のひとつとして日本酒が存在しています。1994平成6年当時中小酒蔵としては全国初の地酒輸出蔵と謳われ、現在も米国共同貿易では“First of Jizake”と呼ばれている純米竹の露。欧州等の海外展開を進める中でも、時代の流行に煽られることなく、日本文化の粋を大切に守り、常に最新技術を探求し、最高の地元素材で醸し続けます。 日本人が和の本流を極め続けるために。

*https://www.takenotsuyu.com/%E5%95%86%E5%93%81%E7%B4%B9%E4%BB%8B/sample-page/ より

 竹の露合資会社 山形県鶴岡市羽黒町猪俣新田字田屋前133番地

 ブランド一覧

 「白露垂珠」純米大吟醸・大吟醸 雪女神33・純米大吟醸 改良信交44 など

 「竹の露」大吟醸 蔵古流・純米吟醸 粲々・純米大吟醸 羽黒山 など

 

 

 

 

 

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 14. 吉川ナス

2021-01-08 06:44:11 | 食品

 登録番号 第14号 吉川ナス

 

 特定農林水産物等の区分 第1類 農産物類 野菜類(なす)

 特定農林水産物等の生産地 福井県鯖江市

 登録生産者団体 鯖江市伝統野菜等栽培研究会

 特定農林水産物等の特性 吉川ナスは、光沢のある黒紫色をした直径10cmほどの大きさの楕円~やや巾着型をした、肉質が緻密な丸ナスである。水分量が多いため、火を通すととろみのある食感が生まれ、煮崩れしにくく、味が濃く大果で独特の形をしていることから、料亭やレストランで使用される。

 地域との結び付き 吉川ナスは、鯖江市の旧吉川村一帯で栽培されていたナスであり、現在まで品種改良されることなく継承されてきた。

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i14.html より

 

 「吉川ナス」は、鯖江市の旧吉川村一帯(現在の川去町、田村町付近)を中心に作られてきた楕円~やや巾着型の丸ナスで、肉質がよく締まっている緻密なナスです。直径10cm程度で重量約300gとソフトボールを想起させる独特の形をした大果で、味が濃く、市内外の料亭や高級レストランで使用されています。外皮が薄いため、果実に傷がつきやすく、現在ではハウス栽培が主流になっています。また、水分量が多いため、火を通すととろみのある食感が生まれます。果実の色は黒紫色で、光沢がよく、ヘタの部分には鋭いトゲがあります。
 少数精鋭の熟練農家が生産に携わり、また組織化されることで品質、数量が安定しており、出荷に関して厳しい品質検査が行われていることが高く評価されています。また、多くの料理人から、ナスの種が小さくて煮崩れしないと喜ばれています。

 栽培方法におけるポイントとしては、4月下旬より定植を開始し、生育の過程で、一番花から下2本の側枝を残してその下の側枝は早めに掻き取ります。主枝を含め3~4本の枝のみを活かす栽培を行うことで、1本あたりの樹勢が強くなり、大果に成長するナスを得ることができます。収穫時期は、6月中旬から10月になります。年間の収穫量は、1本の木から40個程度で、通常の品種改良されてきた多収型のナスと比べると半分以下になります。
 出荷選別にあたっては、果実の色は黒紫色で、光沢が良く、損傷・変形・日焼けのないものを選定し、三段階の品位区分に分けられます。最上位の品位区分の「吉川ナス」は、ヘタ部分に鋭いトゲがあることを考慮して、1個ずつ袋に入れフルーツキャップを被せた状態で出荷します。中位の区分については加工用として出荷し、下位区分品のものは出荷しないこととしています。

 「吉川ナス」が生産されてきた鯖江市の旧吉川村一帯は、日野川の支流、天王川流域に位置するため、川の氾濫で土砂が堆積した肥沃な土地です。隣接する越前市から本市にかけて位置する鯖武(さばたけ)盆地の一部であり、近年のデータによりますと、鯖江市の年間平均気温は14.9℃、年間降水量は2,602ml、降水日数は203日と、降水に恵まれています。このように、肥沃な土壌と年間を通した適度な降水があったことから、水と養分を多く必要とするナス栽培に適した環境が整い、作付が広まったと推察されます。

 「吉川ナス」は、1942~1943年頃から旧吉川村一帯を中心に生産が盛んでしたが、品種改良された多収型ナスの登場とともに徐々に生産が減少し、生産農家は一時市内1軒のみとなりました。その後2009年に、唯一の生産農家が亡くなったことを受け、生産が途絶えかけましたが、その家族より種を譲り受けた有志の農家の方々(現在の鯖江市伝統野菜等栽培研究会)により、品種「吉川ナス」は守られてきています。
 このように、「吉川ナス」は鯖江市の旧吉川村一帯で栽培されて以来、現在まで品種改良されずに継承されてきました。現在では、鯖江市伝統野菜等栽培研究会により鯖江市内の各地区で栽培され、年間約1万個を出荷されています。

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/14.html より

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<漢字検定> 準1級 四字熟語 4.回答 5.出題

2021-01-08 06:40:54 | 漢字検定

 前回の回答

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 


 問1 魯魚章草-ろぎょしょうそう-文字を書き誤ること。「魯」と「魚」、「章」と「草」はそれぞれ字の形が似ていて間違えやすいことから。

 


 問2 冗員淘汰-じょういんとうた-必要のない人員を減らして整えること。「冗員」は不必要な人員のこと。「淘汰」は必要なものと、必要のないものを選んで必要のないものを捨てること。

 


 問3 規矩準縄-きくじゅんじょう-物事や行為の標準・基準になるもののこと。手本。きまり。▽「規」はコンパス。円を描くのに用いる。「矩」は方形を描くさしがね(直角に曲がったものさし)。定規。「準」は水平を測るための水盛-みずもり。水準器。「縄」は直線を引くための墨縄-すみなわ。転じて、物事の基準や法則をいう。

 


 問4 昭穆倫序-しょうぼくりんじょ-祖先の霊を祭っている建物の宗廟の序列には、一定の決まりがあるということ。「昭」は太祖を中央にして、左側に二世、四世、六世を祭ること。「穆」は太祖を中央にして、右側に三世、五世、七世を祭ること。「倫序」は順序のこと。

 


 問5 因循姑息-いんじゅんこそく-古い習慣ややり方にとらわれて改めようとせず、その場しのぎに終始するさま。▽「因循」は因り循う意から、しきたりにとらわれて改めようとしないこと。「姑息」は姑く息をつく意から、一時の間に合わせのこと。

 

 今回の出題

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 焚琴煮鶴

 

 問2 忍気呑声

 

 問3 聡明叡知

 

 問4 光彩陸離

 

 問5 禽獣草木


 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典ONLINE より

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<プライドフィッシュ> 長崎-冬 長崎とらふぐ (養殖トラフグ)

2021-01-08 06:37:07 | 食品

 旬:11月~3月 細部にこだわって生産し県で認定された抜群の品質が自慢

 プライドストーリー:厳しい審査をクリアした良好な環境で生産。漁業者のこだわりが詰まった、自慢の養殖トラフグ

 長崎県の養殖トラフグ生産量は、全国生産量の5割以上を占めて日本一を誇ります。その中でも「長崎とらふぐ」は、適正養殖認定養殖業者が県内で生産した安心・安全の養殖トラフグです。県や大学、消費者団体、業界で構成される認定委員会より、種苗から餌や投薬、漁場に至るまで、さまざまな細かい審査を受けて認定された業者が生産したトラフグは、品質抜群。貝殻散布や赤潮対策などの養殖管理にも力を入れており、餌には日々研究を重ねたモイストペレットを使用するなど環境に優しい養殖を行っています。さらに、毎年品評会を開催し、肉質を向上させています。こだわりを持って生産される「長崎とらふぐ」をぜひご賞味ください。

 水揚げ漁港や漁法:海に負荷をかけない陸上養殖で水質管理を徹底した安全なトラフグを生産します

 近年は海面ではなく、陸上に巨大なプールを作り海上と隔離した状態で養殖を行う陸上養殖も多く行われています。陸上養殖は海水を常時汲み上げて供給する「かけ流し式」と、海水を循環させる「閉鎖式循環型」の2種類に分けられ、自然界に負荷をかけず、水質の管理を徹底できるといったメリットがあります。さらに閉鎖式循環型では、海水の成分を調整する技術によって海水の入れ替えなしで養殖できるため、汚れを出しません。
 長崎市たちばな漁協・九十九島漁協・新松浦漁協で主に水揚げされ、活魚や、不要な部分を取り除いた「身欠き」加工された状態で出荷されます。

*プライドフィッシュHP より

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