第14回笑顔笑顔のクリスマスコンサートを 2022年12月18日(日)にパレットくもじ前クリスマス広場で行いました。沖音協が事務局を担い8団体が出演し、合間合間に歳末助け合いカンパの呼びかけを行いました。
2021年から社会福祉評議会と連携し、歳末助け合いの呼びかけを行っています。
トップバッターは、「少林寺拳法沖縄県連盟」です。
少林寺拳法は、1947年(昭22)、開祖・宗 道臣(1911~1980)が創始。人づくりの手段として、 突き・蹴り主体の剛法と、抜き・逆・固めなどが主体の柔法とも、その技法は守りと反撃からなる護身の技術である。体格の大きさや力の強さに頼らずとも相手を制することができるよう合理的に構成されている。
前島で、フォークバーを営む米須さん、出演名を店と名前と同じく「アフター5」としています。
毎回参加のミッチーさんは準備や参加者の調整を担ってもらい、「サマーキャンドルズ」として出演もしました。
中部から参加の「レジ袋」の2人組み、なぜ「レジ袋」ですかと聞いたら、「必要ですか」と答えていた。
奥濱さんは、うるま市から応援に来てもらっています。松山千春さんの歌を心をこめて歌いました。
相方がお休みで、一人で参加した「優二朗」さん、初参加です。
トリを務めた沖音協メンバーの「ヨシモト ケンジ」さん、喋りも交えなが懐かしフォークを歌います。
コロナ禍で2年中止された沖縄平和行進でしたが、復帰50年の節めの年に、3年ぶりにコロナ感染対策徹底の上開催されました。
沖音協は、日音協沖縄行動として全国の仲間とともにに参加しました。
行進最終地点の沖縄市八重島公園でのお迎え演奏が任務として与えられ、行進団への激励演奏を行いました。
行進は、宜野湾市民会館を出発し、日音協沖縄行動参加者も、半分の道のりを行進し、その後離脱し、お迎え演奏の地に向かいました。
沖音協メンバーが事務局を担い、表記のコンサートを、昨年12月16日に開催しました。例年パレットくもじ前のクリスマス広場で開催していますが改築中のため今回は県民広場で開催しました。
初期のころは、沖縄県労働金庫(ろうきん)の那覇地区4推進委員会合同の取り組みでしたが、発展して沖音協が事務局を担い出演バンドを募集し実行委員会を結成し、那覇市の後援と那覇市職労等の協賛団体を募集するやり方に変え、継続して開催しています。
コンサートは、①各出演団体の活動発表の場を作る ②地域を活性化させる ③市民・県民からカンパを集め、必要な人に笑顔を届ける という3つの目的があります。
今回も毎年参加している団体に呼びかけを行い、コロナ禍で練習が出来ず参加できない団体もありましたが、沖音協に加入している 「沖音協」、「m&m」、「よしもとけんじ」および、「アフター5」、「アーケン」、「音海(おとみ)」、「奥濱定彦」の計7バンドが参加しました。
アーケン さん
よしもと けんじ さん
アフター5 さん
音海(おとみ)さん
奥濱 定彦 さん
ここ2年は首里城復興支援としてカンパを呼びかけしましたが、今回は、那覇市社会福祉協議会と連携し、歳末助け合いカンパの呼びかけを行うこととし、各バンドの入れ替えの時間を利用して、歳末助け合い募金のボランティアに協力している各団体に、市民に募金の呼びかけをお願いしました。
多くの皆様の協力のもと成功することができました。
感謝申し上げます。 にふぇーでーびたん。
継続は力です。今回は、那覇市社会福祉協議会と連携しましたが、連携する団体を増やすことにより、ネットワークが広がりますし、いろいろなアイデアが浮かんできます。次回は、さらに参加団体を増やして開催したい。コロナんかい負きらんぐとぅマジュンちばらなやーさい。
第49回はたらくものの音楽祭 は、11月19日(土)、20日(日)日程で、岩手県久慈市のアンバーホールで行われ、会長の山城さん平良2人で初日(土)の最後に、沖音協として出演しました。
発表曲は、「沖縄を返せ」→「座り込めここへ」→「春よ」
沖縄と東北の連帯、仲間との団結をテーマに選曲しました。
「沖縄を返せ」は、復帰闘争のときに本土の仲間が作った曲です。個の歌詞の中に出てくる「民族」ということばは、作詞者からすると大和民族をさすと思われます。このうたは、誰が歌うかどこで歌うかで違った意味合いが出てきます。大阪府警が沖縄県民土人発言そしてそれを擁護する発言を見ると、大和民族の沖縄視観が改めて表明されているわけですが、アメリカに取られた植民地沖縄を大和に返せとも読み取れます。(作詞者は仲間ですからそうした意味でないと思いますが、そう思っている大和人が多いのではということです) 沖縄では、この「民族」を沖縄人をさすという意味でとらえていますが、「民族」が何をさすかが具体的に書かれていない以上、歌詞中の「民族」を「県民」にかえています。ここでいう「県民」は、沖縄に住んでいる沖縄人および移住者をさすと解釈されます。そして、「沖縄を返せ、沖縄に返せ」と...締めくくります。
「座り込めここへ」は今村一男さんが30年以上前につくり、沖音協の仲間YASUさんが、辺野古闘争現場や高江闘争現場で歌いだし、現在、全国の様々な場所で歌われている闘争の歌です。今度、日音協でCDも作成され、会場内で先行販売されました。
「春よ」は、秋田の桜庭智英さんが2010年ごろにつくった曲で、日音協ソングにも入選しています。
初日終了後の懇親会で、「座り込めここへ」をつくった今村さんとはなしをするきかいもありま
戦後71年、繰り返される基地があるが故の事件事故、米軍属女性暴行殺人事件を受け「被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会」が6月19日午後2時から、那覇市の奥武山陸上競技場で行われ、参加しました。
犠牲になった女性への追悼の気持ちを表すため、黒色のものを身に着けた多くの県民が集まり、古謝美佐子さんの「童神(わらびかみ)」で開会しました。 「童神」は、授かった命に対して神に感謝し子どもの幸せを願う親も心を歌った歌です。その後、1分間の黙とうで被害者への哀悼の意を全員で示しました。
被害者の父親がメッセージを寄せ、参加者に感謝するとともに「次の被害者を出さないためにも『全基地撤去』『辺野古新基地建設に反対』、県民が一つになれば可能だと思っている。県民として強く願う」と訴えました。被害者の父親は、被害者の「魂(まぶい)」を遺棄現場で拾い、「お父さんだよ。お父さんのところに帰るよ。みんなと一緒について来てよ。お父さんのところに帰ってきてよ」と亡き娘に語り掛けたという。
悲しみに沈む遺族のかわりに、怒りの声をあげるのは、私たち県民の役目ではないだろうか。
そのメッセージとしてプラカードで、「怒りは限界を超えた」「海兵隊は撤去」に表れていた。
沖縄県民の命と人権、尊厳が踏みにじられている現実を変えるためには、県民が団結して政府の不作為を糾弾し、「海兵隊基地の撤去」「日米地位協定の全面改訂」を実現させよう。
今年で7回目になる沖音協・日音協沖縄平和行動、毎回、県民大会終了後に、各自の感想と今後に向けての意見交換を行っないました。
今回初めての試みとして、12日と13日に恩納村のペンションに宿泊しました。練習も交流もいっぺんにでき、また、移動時間も少なくてできたことから、オプションなどにもゆとりがあり、総じて好評でした。しかし、 オプションは事前に決めていませんでしたので、行き当たりばったりでご迷惑をおかけしました。
平和行進のコースが、東・西・南と3コースに分かれていたので、各コース3日間かけて出発式の送り出し演奏を行った。演奏時間は、10分間程度で短かったものの、各コースの参加者と身近に触れ合うこともできたので良かったと思う。
県民大会のアトラクションは、去年は炎天下で参加者を待たせて聴かせるのも拷問に近いので、みんなで練習したけど自主的判断で演奏はやらなかった。今年は、場所が場所だけに、当初から歌唱指導中心でいいのでないかと思ったので、その方向で調整を行い、結果的に私の想定どおり進んだ。
行進団で歩いた、山城博治議長や川口さんも、舞台にあがり、一緒に歌って踊ってとてもよかった。
辺野古との連携を強めたいとやってきた。川口真由美さんと2日間にわたり交流で来たのはよかった。辺野古ゲート前で活動している市民の方たちや、全国で連帯して活動している仲間のネットワークをどうつなげていくか、日音協ネットワークを強化できれば良いとおもいます。東京の国会包囲もある。小一バンドでオヤジバンドのネットーワーク。私は那覇市役所のネットワークをつくっている。これをつなげる。東京の金曜行動もそういうことでないか。お互い学びながら、経験交流する機会でないか。
2016沖縄平和行進 沖音協・日音協沖縄行動に参加したメンバーで初日(13日)は、宿泊している恩納村でのペンションでミニ交流会を行いました。 ゲート前で活動しているYASUさんが、川口真由美さんと一緒に参加しました。
2日目(5月14日(土))夕方は、全体交流会で、那覇市鏡原にある「ファイナルステージ(宮城こういちの店)」で行いました。沖音協のメンバー以外にも呼び掛けて行いました。京都から参加の川口さんも参加していただき、交流が出来ました。各自の演奏やいろいろなコラボも実現しました。 音楽でつながるって楽しいですね。
初日(5月13日)の平和行進出発式終了後送り出し演奏の任務が終わった後、ゲート前の座り込み行動に参加しました。国と県の和解により工事がストップしていますので、現在は、朝10時から昼4時までが座り込み行動の時間で毎日行われています。司会の高里鈴与さんに紹介され、「座り込めここへ」「沖縄今こそ立ち上がろう」「沖縄に返せ」「安倍さん今すぐさようなら」「安倍じゃダメでしょう」を歌いました。
https://www.youtube.com/watch?v=EpeEvKbUXNQ
午後は高江に向かう途中にある名護市嘉陽にある「ジュゴンの見える丘」に立ち寄りました。車で行けるところまで行き、そのあと歩いて10分程度できれいな海が一望できる丘に到着、藻を食べにくるジュゴンにほんとに出会えそうな場所でした。 「ジュゴンの見える海」のプロモーションビデオを撮影してみました。
東村高江に到着すると少し違和感がありました。前に来たときより集落からは原手ているような気がしたのです。それは当たっていて、説明によると、前の団結テントは、ヘリパッドが建設されたので、米軍が自由に使えないように車でゲートを封鎖し、団結テントは新しい建設場所に移動したとのことでした。
韓国の平和団体も同じ時間帯に来ていましたので、お互いに歌と踊りで交流することが出来ました。
辺野古新基地建設とオスプレイ訓練用のヘリパッドはセットで沖縄の基地固定化と機能強化がされるのを阻止するために、地元の皆様と連携した支援が求められています。
5月15日(日) 県民大会でのガンバロー三唱後に全員で「沖縄に返せ」を歌いました。
https://www.youtube.com/watch?v=m_y5E2cctPY
安倍政権は辺野古埋立「代執行訴訟」に敗訴する恐れがあることから翁長県政と和解に応じましたが、現地ゲート前や、辺野古海上で刑特法による不当弾圧が行なわれ、米兵による女性暴行事件で、安倍政権が沖縄にだけ基地を押し付けるだけではなく、国民の人権を守らないさまに対して、怒りのこぶしをあげるとともに、全国に広がっている野党共闘を確かなものとして、反基地・護憲・人権をキーワードにつながる運動が構築されています。 それらの運動が、野党共闘に結集し、打倒安倍政権へのうねりとなっています。 そうした状況下で行われる、今年の沖縄平和行進ですが、沖縄平和運動センターの予定を踏まえ、日音協も取り組みを進めてきました。
初日 東コース 辺野古ゲート前出発式後の送り出し演奏、川口真由美さんも参加しました。
https://www.youtube.com/watch?v=uSBt-ScGYdg
2日目 西コース 北谷町役場前 出発式後の送り出し演奏、本土代表も飛び入り参加しました。
3日最終日 南コース 奥武山公園出発式後の送り出し演奏
https://www.youtube.com/watch?v=JGynmRS71ZY
今年は、日音協8人・沖音協3人、合計11人で、各出発式の送り出し演奏と、最終日県民大会でのお迎え演奏、式典最後の「沖縄に返せ」の全体合唱を、沖縄平和運動センターからの任務を受け、対応しました。