うたのちから 沖音協(沖縄県労働者音楽協議会)

働きながら音楽をとおして仲間つくりを行っています。
「つくり・うたい・ひろげ、つなぐ」日音協の沖縄県支部です。

つながろうフクシマ第5回脱原発・平和コンサート3月11日

2015年03月15日 | 活動報告

沖音協は、毎年、脱原発、平和、絆をキーワードとした歌をうたいながら、福島と沖縄との連帯を考えるライブを行っています。今年も、「つながろうフクシマ第5回脱原発・平和コンサート」を、3月11日(水)に、国際通り沿いにある 「ナハ・チョップ・カフェ」で行いました。

司会は、メンバーのHUMIYOさん、店のオーナーの宮田さんと店長の ちぇんちぇん さんの紹介と挨拶からはじまりました。

20分間の映像スタート、その後に 山城会長の主催者代表挨拶を行いました。

最初は、masasiとmarimituの「m&m」です。私が、咳こんで相方に迷惑をおかけしました。

どうもすみませんでした。

 

福島県磐城市で震災被害にあい、沖縄の文化に興味があり知人もたくさんいたことから、沖縄を避難先に選んだ「長谷川循(じゅん)磐城震災避難者連絡会長」にあいさつをお願いしました。
 長谷川さんは、被災時の状況、戸惑いながら避難生活を送る状況、今後は避難者が沖縄民謡を聞いたり、地元の人と交流したりできる場を設け、両県の懸け橋になりたいという思いを語りました。

フラメンコダンサーの「星みゆき」さんは、先日、ナハ チョップ カフェでしりあいになったばかりでした。
魂のこもった鎮魂のフラメンコでした。
つぎは、何か一緒にコラボ出来たらと思います。

(みゆきさんのめーるより)
今日の平和コンサート伺えるようスケジュール調整いたしました!
お役にたてるよう先ほど今日の為に平和への鎮魂の舞〜「宿命」創作いたしました。僅か2分間の舞ですがプログラムの中に入れて頂ければ幸いです。 今朝突如閃いて振付のです。不思議ですね〜
やはり被災者として沖縄に避難してきた者の魂は共鳴するのでしょうか?僅か2分お時間を頂き、鎮魂の舞を踊ることで何かお役にたてたら幸いです。よろしくお願い申し上げます。

●星みゆきフラメンコプロフィール
1979年よりフラメンコを始めスペインではカルメンモントージャなどに師事。加藤登紀子さんや一流アーティストと共演。
慶応大学舞踊講師を経て2011年沖縄移住。
那覇てんぶす館主催琉球芸能舞台に原作、フラメンコで主演。
琉球新報社カルチャー特別講師。

那覇市の真和志支所隣で、「酔いどれかぐや姫」のマスターをしている「与那嶺さとし」さんが今回初参加です。年に何回か交通遺児チャリティーライブを主宰しています。


毎回参加の「ヨシモトケンジ」先生、今日のために思いをアカペラで披露していました。

 


今回初参加、「うむい人」
ボーカル三線とピアノの女性ユニット。今回は、カホンとギターに協力をいただき音楽を奏でます。
うむいとは、沖縄の方言で想うのこと。これまで出会ってきた人たちと歌詞をつくり、その思いを音楽にのせて歌います。皆さんの心にその思いを届けられたらと思います。いい歌をうたっていました。これからが楽しみです。

 

最後は、「小1バンド」の演奏と、「あたりまえの地球」の全体合唱で締めくくりました。

最後は、全員で窪田聡作詞・作曲「あたりまえの地球」をうたいました。
 原発ゆるすな~ 原発ゆるすな~
  原爆ゆるすな~ 原爆ゆるすな~

今回のコンサートは、「絆」がテーマですが、絆の広がりも感じるコンサートでした。

 


沖縄を返せ、沖縄に返せ

2015年03月02日 | 歌の紹介

 1945年の沖縄戦が終了後、アメリカに占領された沖縄は、サンフランシスコ条約で日本から切り裂かれ、沖縄にとっては、主権を奪われアメリカに売り渡された「屈辱の日」となりました。

 その後、アメリカはやりたい放題で、沖縄を浮沈空母として、アジアの同胞を殺戮するために、B52が、飛び立っていきました。

 「沖縄を返せ」は、沖縄が米軍統治下の1956年、人権侵害がはなはだしい、「アメリカから沖縄を返せ」 と、本土復帰を願う歌でした。 しかし、本土復帰を果たしても、沖縄に基地を押し付ける構図は変わりません。 辺野古新基地建設を無理やり強行する姿勢は、昔も今も、沖縄を切り捨てる政府の意志の表れであり、許すことはできません。

 沖縄は、沖縄のものであり、沖縄の未来は、沖縄に住む我々が決めたいと思います。
 

「沖縄を返せ」


固き土を破りて  

民族の怒りに燃える島 沖縄よ

我等と我等の祖先が血と汗もて

守り育てた 沖縄よ

我等は叫ぶ沖縄よ

我等のものだ沖縄は

沖縄を返せ 沖縄に返せ