10月なのに真夏日!
異常気象の週末です。
ノンビリ読書しながらふっと思った事!
.......関電の話題が気になっています。
税務調査がきっかけで公となったようですが、この類の問題は「実世間」では氷山の一角がしれません。
「お金」は、『権力』の象徴となり、『権勢』を保とうとする権力者にとっては「金・銭」が一番の『権威』と思い込むのは歴史が証明してきました。
現代の人間社会も変りません。
人間の『欲』の一つ Greedy な本能意識は、いつの世も同じです。
人間誰しも、どんなに高潔を装っていても心底の意識にはGreedy が存在します。
でも、「共通善の意識」や「真理の探究意識」そして「利他の愛」といった意志のオブラートでの包み方次第で、その「欲」は、『権威』として社会からリスペクトされます。
包み方を間違えると、『権威』は『権力』誇示としか見られず、様々な社会の思いを惹起させます。
関電経営陣の会見を見ていて、人間社会の複雑意識をあらためて感じた次第。
翻って、ヒエラルキー組織社会に目を向けて見ると、似たような現実がたくさんあります。
組織社会で、経営職階や管理職階層の方々は「偉い」人々! と、若手社員は思い込まされます。
そもそもの話なのですが、組織社会での上司部下の関係は、組織内経験値や社会経験差・実績の差はありますが、人として、また人格の上下差の関係ではありません。
「管理職」や「経営職」は経験と相応の能力に基づき、判断や決断をする『権限』を持っている人です。
『権限』には『責任』が伴います。
結果責任を果たすために与えられた『権限』は『権力』ではありません。
ですが...『権限』を『権力』と錯覚している
上長がいたりすると、その下で働く人たちは『心理的安全性』とはかけ離れた『心理的リスク』に晒された環境で働くことになります。
一方、『権限・責任』を正しく認識している上司は、『権力』を振りかざすことなく、部下のやる気を引き出し、共に成果の喜びを分かち合う「場」をつくりだします。上手くゆかなかった場合は、上司が「責任」を負います。
この上司の潔さは『権威』のオーラを醸成し、部下からの信頼を得ることになります。
ヒエラルキー組織社会では「手柄は俺のもの、失敗は部下の責任」的な『権力』志向の人がまだ多く存在します。
何故こうした思考になるのでしょうか!
組織社会での出世こそが『人生幸福』と信じているから!なのかもしれません。
サラリーマンにとって、組織の重役、そして最終的に社長の座に就くことは、社会的ステータスを勝ち得、社会から羨望の眼差しで見られる栄誉です。
専属の運転手に黒塗社用車(重みのある成功者の証として、ロールス・ロイス、マイバッハ、LEXSUS600などのステータス社用車)を「専用車」として行動をサポートしてもらい、海外出張ではファーストクラスに搭乗し、滞在先では五つ星ホテルのスイートルームに泊まるステータス。
有名名門ゴルフ倶楽部のメンバーとなり、社交界でも多くの人脈を『権力』に繋げてゆく「人生」は最高の幸福人生かもしれませんが、そこまで登りつめられる人はほんの一握りです。
一握りを目指して人生努力する事は尊いものですが、そういった方々には、努力の過程で社会や組織の体温を肌で感じつつ、『権力』に依存するのではなく『権威』を醸しだす人間力の精進も忘れないで貰いたいと思います。
私自身、64歳となった今だからこそ、こうした思いを持つのかもしれません!
SDGs の理念の一つは「格差のない世界」!
さて、日本社会は2030年までにこれを実現できるのでしょうか....!