偕楽園は、日本三名園のひとつで有名です。(他は金沢の兼六園、岡山の後楽園)
岡山の後楽園はまだ行ったことありません。いつか行けるかな~
江戸時代 天保13年(1842年)に水戸藩第9代藩主徳川斉昭が創られた庭園
自ら造園構想を練り、偕楽園の名称は、孟子の一節からとったものらしいです。
「古(いにしえ)の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能(よ)く楽しむなり」
降りたバス停から、少し歩いて表門へ向かいました。

好文亭表門通りを進みます。あたりは閑静な住宅地です。
その先に表門がありました。

紅梅が咲いていました。
入園料(300円)を払って、いよいよ散策開始です。

実は表門から入るのは初めてです。
いつも車で来るので、駐車場は反対側にあるので そこから階段を登り
常磐神社側の東門からばかり行ってました。
偕楽園駅で降りた場合も、東門から入ることになります。
今回バスで途中下車した為、表門から入るきっかけになりました。
まあ結果オーライだったということです。



斉昭公が数多くの梅を植えた理由について
『春の魁として咲く梅の花は詩歌の良い題材になり
実は梅干しにして軍事や飢餓の際の非常食となることから
実用を重んじた斉昭が領内に広く植樹することを奨めた』(パンフレット抜粋)
梅を愛していたということですね。


暫く進んでいくと好文亭です。
以前に見学をしたことありますが、すっかり忘れていたので
入ってみることにしました。(見学料200円)
偕楽園創設と同時に建てられ
その位置や意匠について斉昭公が定めたと言われてる(パンフレットより)
つづく
◇おまけ・・・常磐神社
偕楽園東側にある神社です。
「この紋所が目に入らぬか…」時代劇でおなじみ水戸黄門 第2代藩主徳川光圀公と
第9代藩主徳川斉昭公をお祀りしています。

2014年11月の写真
息子宅の長女孫の三歳の七五三詣りはこちらで行いました。
当時 息子家族は、勤務先の関係で水戸で暮らしていました。
岡山の後楽園はまだ行ったことありません。いつか行けるかな~
江戸時代 天保13年(1842年)に水戸藩第9代藩主徳川斉昭が創られた庭園
自ら造園構想を練り、偕楽園の名称は、孟子の一節からとったものらしいです。
「古(いにしえ)の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能(よ)く楽しむなり」
降りたバス停から、少し歩いて表門へ向かいました。

好文亭表門通りを進みます。あたりは閑静な住宅地です。
その先に表門がありました。

紅梅が咲いていました。
入園料(300円)を払って、いよいよ散策開始です。

実は表門から入るのは初めてです。
いつも車で来るので、駐車場は反対側にあるので そこから階段を登り
常磐神社側の東門からばかり行ってました。
偕楽園駅で降りた場合も、東門から入ることになります。
今回バスで途中下車した為、表門から入るきっかけになりました。
まあ結果オーライだったということです。



斉昭公が数多くの梅を植えた理由について
『春の魁として咲く梅の花は詩歌の良い題材になり
実は梅干しにして軍事や飢餓の際の非常食となることから
実用を重んじた斉昭が領内に広く植樹することを奨めた』(パンフレット抜粋)
梅を愛していたということですね。


暫く進んでいくと好文亭です。
以前に見学をしたことありますが、すっかり忘れていたので
入ってみることにしました。(見学料200円)
偕楽園創設と同時に建てられ
その位置や意匠について斉昭公が定めたと言われてる(パンフレットより)
つづく
◇おまけ・・・常磐神社
偕楽園東側にある神社です。
「この紋所が目に入らぬか…」時代劇でおなじみ水戸黄門 第2代藩主徳川光圀公と
第9代藩主徳川斉昭公をお祀りしています。

2014年11月の写真
息子宅の長女孫の三歳の七五三詣りはこちらで行いました。
当時 息子家族は、勤務先の関係で水戸で暮らしていました。