及川妙子の元気日記

年4回の市議会だよりを中心にお送りします。
また、政策課題や考えることなどについては随時掲載させていただきます。

今日は「民社党」の結党記念日でした✌(1/24)

2022-01-24 15:39:54 | 日記

1960年1月24日に「民社党」は結党しました。

解党したのは1994年12月9日です。

今日の朝、AさんのFacebookを見たらショートメッセージがあって思い出しました(-_-;)

毎年、民社OB会で民社党結党記念日の集いをやっていましたが、ここのところコロナでやってなかったのでつい忘れてました(-_-;)

私は大学を卒業してすぐに民社党本部に入りました。

単純に面白そうだと思ったからです。

ちょうど大学に①結婚しても働き続けること②婦人問題(当時(-_-;))に興味があること

を条件に求人票が来ていました。

私はたくさんの人が応募しているのだろうなと思っていたら、そんなことはなく、ちょうど私の前に採用が決まっていた人が一人いたけど家族の反対で辞退したところだったのでそのまま試採用になりました✨

1993年7月の細川連立内閣からあれよあれよという間に新進党が1994年12月10日にできました。

8党会派による合同でしたが、民社党の職員が一番多くて他の党派との関係でたくさんの人が新進党に行かれず、いわゆるリストラの嵐が吹き荒れて、殺伐とした雰囲気でした。

私は運よく行かれましたが、女性は二人でした。

その後、予想通り新進党はわずか3年で解党しましたが、この後の対応が最低でした(-_-;)

国会議員は自分たちのことで精いっぱいで職員をどうするかとか誰も考えてくれず、目先の利いた職員が数人を引きつれて旧民社系の新しい党にさっさと行って後から来る人を完全に閉め出したのです😿

私は新進党時代に結婚と出産をしていて年末でたまたま引っ越しやら何やらが続き体調も悪く途方に暮れていました。

そんなこんなで確か大晦日か30日だったと思いましたが、1月いっぱいで解雇するとの解雇通知が家に届きました。

いろいろ考えましたが、この際一度辞めようと最終的には決意しましたが、要するに「くび」になったわけです。

閉め出した職員には今でも頭に来ていて二度と会いたくないです。

こういう内部事情を知らない人はけっこう多いと思います。

あまり人に言える話ではないですからね。

というわけで、その後いろいろあって私は今は立憲民主党に所属していますが、民社党がなくなったのは必然であり、今さらどうこうしたいとは全く思っていません。

新進党になる時に民社党の遺伝子を繋いでいこうとか言う方たちがいましたが、私は何だかなぁと思っていました。

結局気づいたら、なくなった政党は民社党だけでした。

誰が悪いというわけではありませんが、民社党の遺伝子は今どこかに引き継がれているのかしら❔

 



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