及川妙子の元気日記

年4回の市議会だよりを中心にお送りします。
また、政策課題や考えることなどについては随時掲載させていただきます。

民社OB会総会に行って来ました(1/18)

2020-01-19 12:29:34 | 日記

1月18日(土)、民社OB会総会、懇親会と第2回民社党結党60年記念の集いが

芝公園の友愛会館で開かれました。

民社党は昭和35年=1960年にできたので、今年でちょうど結党60年です。

去年から60周年記念の集いを開催しています。

解党したのは平成6年=1994年なので、解党して25年経ちました。

解党して25年も経つのにいまだ政治団体として残っていますが、内実はなかなか

厳しいと思います。

私は大学を卒業してすぐに当時の民社党本部に入りました。結婚しても辞めない

ことと女性問題に興味があることの2つが条件でした。大学指定の公募で、たくさ

んの人が応募しているかと思ったら私一人で、私の前に別の大学の人が決まって

いたがご両親の反対で辞退したと聞きました。私は結婚しても仕事を続けたかった

し、当時=ほぼ40年前はなかなかそういうところは少なかったし、何よりすごく

面白そうな仕事だと思って応募しました。

入ってからはいろいろな仕事があり、ほぼ全国に出張もしました。海外にも何度か

行きました。

入ったのは昭和56年=1981年だったと思うので13年間勤めたことになります。

その後平成6年=1994年に解党しました。当時職員ははっきりとは覚えていま

せんが、60人から70人位いたと思います。新党=新進党に行けるのは確か20人

か30人くらいで継承団体である民社協会に10人、あとは関係産別や関係団体

などちりぢになり、よくあるリストラの光景で、新党に行く人や民社協会に行く人は

ものすごく忙しくてそれ以外の人は胸中複雑で変な雰囲気でした。私は新党に行く

ことは決まっていましたが、仕事は民社協会の立ち上げの仕事で会則を作ったり

していました。

新進党は各党の寄り合い所帯でしたが、人気はすごくあって最初の選挙は何も

しなくても大勝利でした。平成5年=1993年に8党派による細川連立内閣ができ

ていて民社党からも大臣が入閣していました。与党になっても私たちの仕事は大

きく変わりませんでしたが、グループが多くて調整が大変でした。

新進党は3年で解党しましたが、私は新進党にいる時に結婚、出産しました。

解党時は主人が自由党に行くことになっていたのと子どもも小さくて相変わらず

出張などもしてとても大変だったので、良い機会だと思って退職しました。

長くなりましたが、民社党は私が初めて務めたところで今でも懐かしいです。

 


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