よく子供が親や親族の虐待によって死亡してしまう報道がよくでています。1番目に、これは報道がこれまで取り上げて記事にしてこなかったとこの怠慢。2番目に、周辺親族・近隣の住民が看過してきたことの怠慢。ちょっと踏み込むとマスコミが「行政の権限と限界」を報道してこなかったことで誤った批判を招いたこと。また、「ここまでは出来る/ここまでは出来ない」というような定義がNHKのみならず、他の屑キー局も解説することが無かったこと。
脱線しましたが、行政の市町村窓口、区の窓口、児童相談所(児相=じそう)は、原則的に「民事不介入」というものがあって、痴話喧嘩、親子喧嘩とうの家庭的問題には本人の訴え、申し出が無い限りは行政が介入できる権限を持たない。…となると家族や虐待当事者が訴えない限りは行政が介入できないことになる。もっとも、事件後発覚して後であれば、介入できるがそれではもう手遅れである。
そこをさも児相や生保窓口の問題とあるがごときの報道は、一面行政の改善を思案させる切っ掛けであるが、反面行政窓口を過剰に非難してしまうことになってしまう。殊に昨今は「ストレスのはけ口」としてのSNSという位置づけなのでも問題無かった行政システムをも破壊してしまうようなご時世であるから、もはや大衆からのモラルハザードである。
問題は各個人の倫理の問題であり、家族の問題であり、町内会や近隣の問題であり、最も小さい行政機関の問題であり、国家の法の制度である。行政の末端が介入できなかったことが問題の本質ではない。
なんと、ニュースの無意識?な情報操作よ…。おのおのの事物に対する多角的な見方、この無駄な情報過多な時代を活きる術であろう。