全くの無頓着な方は「支那事変(日中戦争の開始)」戦争の最初から最後まで、
東条英機が首相になって、
最後にA級戦犯になって処刑されたと思っている人もいるのではないか?
東条元首相
私の学習はまだまだそこまで至っておらず、陸軍が台頭してきた事件
「二・二六事件」とそれ以前の軍の将校の政治家、起業家などの殺害事件を追っています。
とりあえず、今は「二・二六事件」を根掘り葉掘りとやっております。
有名な書物としては、「松本清張・著 『二・二六事件 上・中・下巻』」の大著であります。
これはAmazonで安く中古で買いました。
しかし、今の専門家の間では「ここは事実と違うのでは?」という箇所もあるようです。
もう生き証人も少ないでしょうからね。
戦後71年、民放ではこれで番組視聴率は稼げないからやらないでしょうし。
がんばれ!NHK!!
今、読み進めておりますのは、「二・二六事件」の当初から、
反乱将校の電話が傍受されており、その「録音盤」が、父が軍人だった家から、
NHKに送られたことから、話しは始まります。
著者は、元NHKの職員で私がたまたま見ていた番組、
つまり、「電話を傍受していた事実があった」のスタッフだったようです。
著者は、NHKを辞めて(定年?)独自に調査を行っています。
その当時は、テープレコーダーもCDもDVDも無い時代で、
且つ、電話を家庭に置いてある家も少なかった。
そういう経緯があり、辿るのにはさほど難しくなったのですが、
ずいぶん、時間が経っており生存者も少なくなって、
さらに、その子息達も「父親が戦争を語ったことが無い」という家庭も多く、
この点では苦労をしたようである。
「二・二六事件」は、若き青年将校が決起し、世界恐慌による経済の苦境から
国内に憤懣があり、部隊の下士官などは農村から出てきたものも多く、
「明治維新」ならぬ「昭和維新」を企てて、
松尾伝蔵(陸軍大佐)高橋是清(大蔵大臣)斎藤実(内大臣)渡辺錠太郎(陸軍教育総監)
負傷者・鈴木貫太郎(後に首相)
高橋是清・元蔵相
青年将校達はこれらの重臣を殺害または重傷させ、一時は『陸軍大臣より』で
将校達の「維新」の志を認め、その後に『陸軍大臣告示』であたかも、
昭和天皇があたかもこの殺戮を認めたかのようなイメージをさせたが、
内状は、「陸軍省とその長老の間での意思の共感」だけであり、
天皇への奏上を得ての判断でなかった。
まぁ、定説上ではこれからの軍部特に陸軍省の暴走していくことになる。
だって、「反対」って言ったら殺されるんだからね。
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