狂人の頭の中

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徳兵衛の狂人の頭の中 「ウクライナ戦争の終結は他の戦争・紛争の範とせよ」

2023-03-30 20:01:57 | 狂人の頭の中


今日2023年3月30日でロシアがウクライナに侵攻して400日ということです。一年以上戦争が続いているということになります。
現在の状況としてはロシアが徐々に劣勢になってきていて「核依存」になりつつあるようです。西欧諸国はウクライナに兵器を提供して「間接的参戦」という形です。
日本はと言うと首相がウクライナを隠密訪問(といってもアメリカ、ロシアには事前通告済み)で『必勝しゃもじ』を送るという世界で笑いものになったのは国民として恥じ入るばかりです…。

…さて、遡れば朝鮮戦争は1950年6月25日~1953年7月27日(休戦協定)実質「戦争状態は3年超」。
ベトナム戦争は1954年頃~1975年4月30日の約21年間
アフガニスタン紛争(内線だが当時のソ連、アメリカが参加している"代理戦争")1979年~現在継続中
シリア内戦(ロシア・アメリカを筆頭とする多数の国家が関与している)2011年3月15日~現在継続中など
この他にインドシナやアフリカ各国の内戦は継続中であったり政情不安定な国々は数限りない。

今、報道で上がってくる情報では「停戦・和平交渉」の様子は分からないが、当然やっているものと思う。 単にウクライナ領からロシア軍を追い出しただけでは両国の妥協は得られない。最初は2014年3月1日にロシアがクリミヤ半島に侵攻したのが発端なので(歴史的にはもっと根深いが)、クリミヤ半島をウクライナに戻すことは条件の一つとなるが、それも大国のパワーバランスに左右されそう…。
ですが、ロシアとウクライナが戦争当事者なので、おそらく直接対話での和平協定は難しい。アメリカや欧州共同体(EU)も間接的当事者なので仲介役も難しい。しかし、いつかは『撃ち方止め』をしなければならない。特に核保有国が当事者であるのでなおさらの話しだ。でも、どこかの国や国連を始めとする国際機関が『賢者』となって仲介役を担わなくてはならないのは誰もが分かっている話だと思う。そうしないと第二の解決不能な各紛争・戦争になってしまう。
このウクライナ戦争を早く解決させ、これを「終戦のモデルケース」にすることによって「絶対服従や降参ではない解決方法での終戦はこれ!」というものを作って欲しい。そうしないと近日中に地球は環境問題ではない方法で滅ぶこと間違い無しです。


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狂人の頭の中 「『お金は人間を幸せにするか?』経済、資本、金銭至上主義を笑う」

2023-03-27 23:40:30 | 狂人の頭の中
私のように若い年齢で健康を害するような出来事があったり、近親者や恩人、先輩、後輩が亡くなったり、災難に遭う様を見たり、その方とお話しをさせていただいたりすると「お金さえあれば人生楽しくなる」という話しは、違う星の違う生き物の戯れ言のように思えてならない。

私自身、子供の頃から「厭世的私感」を抱かざるを得ず、勉強に背を向け、友人クラスの中でも一歩も二歩も下がって見ているような生活だった。では、なぜそのような子供時代を経て現在に至ったか。両親が離婚した理由は金銭問題ではなかったし、成人して事故に遭ったが体の傷や心の傷は金を積んで手術をしても治療をしても元には戻ることはない。一般的に「治療」というのは『治れば元に戻る』という印象だろうが、風邪でも正確に言えば元には戻っていないのだろう。今、蔓延しているコロナウイルスに感染しても後遺症に悩む人は多いということだ。「私は感染したけど無症状で後遺症もなかったからコロナは存在しないようなものだ」といっているのは、『偏った考え』という病に冒されていると言わざるを得ない。
話は脱線しましたが「お金で賄えないものの有/無」は、日常生活で買いものをしたり、金銭でサービスを受けたりしていますが、そんな毎日の繰り返しで脳も錯覚を起こす。また世間でも「お金で全て賄える風潮」が蔓延していると子供はそのような考えに自然になってしまうし、その考えから抜け出すのは難しくなってくる。本を読んだり、話しを聞いても、自分の姿勢で感じ方はその時々で変わるし、大きな変化となるとなかなか難しいだろう。全ては鋭い触覚、感性がないと気づきは難しいのかも知れません。
そのような病気になったり、不和家庭で育ったり、事故に遭って体が不自由になると「後天的貧困」になることがあるが、その「後天的貧困」をお金で挽回したとしても「後天的貧困の因」は挽回できない。つまり、一度失ったものの多くはお金で戻ってくることはない。例えば子供がミニカーを取り上げられ、子供の目も前で壊され捨てられたとしよう。子供は泣いたり、悲しい気持ちになる。その後、全く同じものを買い与えられ子供が手にしたとしても壊され捨てられたときの衝撃や悲しさを払拭できることはないだろう。

世の中には揺るがせることのない価値があることを念頭に置いて生きなければ「誰々が言っていたから間違いない」というのは他力本願が過ぎる。このブログもそうかもしれないし…。


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