オフィス・ヤハのトホホな日々

エホバの証人の一プログラマが聖書研究と自転車の趣味等を徒然なるままに

もうひとつの柿の種

2011年05月30日 | 日記


この初代ダットサン・ブルーバード(310P,1959-)のテールランプが柿の種を連想させるところから、「柿の種ブルーバード」と言われていました。



とにかく良く走っていました。後ろはトラックのリジッド・リーフスプリングですが、フロントは逆にダブルウィッシュボーンという高級サスペンションでした。


柿の種

2011年05月29日 | 日記
    私のおやつは、この何カ月かは柿の種がほとんどです。ピリ辛で、ピーナッツも少し食べられて、カロリーは結構高いけど、深夜寝る前に小腹が減ってちょっとだけ何か食べたい時に、これに頼っています。

    即効性のインシュリンを打たなくても、就寝前のランタスを規定量打つだけで、大事に至らずに済みます。三年前には、血糖コントロールの経験不足から、食欲がないので柿の種を少しだけ食べていれば安全だろうと思っていたことがありましたが、検査で血糖値が700オーバーしてしまって先生を飛び上がらせたこともありました。

    主婦はスーパーでの価格変動にものすごく敏感ですが、自分は値段を無視する訳ではないものの、その時その時の体が求める物を品選びの第一優先事項としています。ではありますが、いくら鈍感な私でも、柿の種の値段だけは最近やっと分かってきました。

    自宅付近のスーパーでは、亀田製菓の6袋詰・スーパーフレッシュ「柿の種」は、安い時は¥198、高い時は¥258まで経験しています。あとは、¥218,¥238などがあったかも知れません。¥198でも、食べたくない時には買い物かごに入れることはまずありませんが、後日無性に食べたくなって買いに行ったら¥258になっていたということもありました。

    そういう時には、さすがに癪に障りますのでそこでは買わずに、帰宅途中のコンビニで¥100サイズのおつまみコーナーで買います。

    それにしても、こんなに価格変動に幅があるなんて、どうなっているのでしょうか。個人的には、店舗の販売戦略だと思っているのですが、あまり調べる気にはなりません。


ジロ史上最悪の事故

2011年05月24日 | 自転車
    ここしばらくロードバイクレースはチェックしていなかったのですが、2011ジロ・デ・イタリアのリタイア選手リスト(自分で言うのも変ですが、リタイア選手を調べてレース状況を把握しようとするなんていかにもトホホらしいとつくづく思います)を見ていたら、あらら。新生にして今シーズン最強と言われた、チームレパード・トレックのメンバーが大挙して第5ステージでリタイアしていたのです。

    何かあったに違いないと調べてみたら、まあ、大変。レース三日目(2011/5/9(MON))終盤の下りで落車したレパード・トレックのワウテル・ウェイラント選手が亡くなったという痛ましいニュースを知りました。以下は、J-SPORTSレースレポートからの抜粋です。



    悲しい事故がジロを襲った。ゴール前25kmのボッコ峠からの下りで、ワウテル・ウェイラントが激しい落車の犠牲となった。左のペダルが縁石に引っかかり、体は20m近くも飛ばされてしまったという。レースドクターがすぐに駆けつけ、心臓マッサージや薬剤注入が行われたが、「彼の心臓は打つことをやめてしまった」。5月の緑美しきイタリアで、26歳の若い命が消えた。

    1年前のちょうど同じステージ、2010年ジロ第3ステージはフィニッシュラインで両手を天に突き上げた。・・・そして9月には待望のパパとなるはずだったのだが……。



Wouter Weylandt/LeoPard TREK


    イタリア放送局のビデオを見ることができたのですが、何とその日のレース優勝者のマシンは、我がビアンキでした。

    ジロ102年の歴史では、4度目の死亡事故とのこと。2年前の2009ジロでは、ペドロ・オリリョ選手(確かバイクはGIANT)が崖下に転落して何十分も発見が遅れた騒ぎもあったばかりでした。オリリョ選手は命こそ奇跡的に助かりましたが、選手生命はそこで断たれてしまいました。

    あの時、かのランス・アームストロング選手が語った言葉が今も警鐘として鳴り響きます。「今年のジロ・デ・イタリアのコース設定は、あまりにも危険だ」。




        

夢は叶っている

2011年05月14日 | 日記
    今日は、那須りんどう湖近くの3D恐竜館向かいに清楚なたたずまいを見せる、エホバの証人の栃木大会ホールに行ってきました。

    帰りの東北自動車道は、強風で結構緊張しました。

    あまり自動車の話はしませんが、初代アコード・初代バラードCR-X・初代ユーノスロードスターなどを乗り継いできたとお伝えすればお分かりのように、車好きの飛ばし屋でした。特に、CR-Xの時には、ジョントルなアコード時代の鬱憤を晴らすかのように、気違いのように飛ばしまくっていました。あのショートホイールベースでスピンしそうになったことが何度かあったということがすべてを物語っています。よく死ななかったもんです。(今は悔い改めて、免許証はピッカピカのゴールド免許証death)。

    私のカーデザインの理想は、これでした。





    1968年発表の、ビッザリーニ・マンタ。学校の休み時間でも(授業中でも)夢の車をノートにスケッチしていました。このマンタ(魚のエイがモチーフ)の写真を見た時、やっぱり同じことを考える人がいるもんだなと思った程、私のスケッチと酷似していました。こんな理想のデザインが市販車に反映されるにはあと何年待たなければならないのカト オイクース。

    そういう訳で、私の車のリリーはこれで決まりでした(猫でも犬でも車でもリリーと呼んで鱒)。



    写真は、2008年10月のL175マイナーチェンジモデルですが、私のはロードスターの車検切れの関係でマイナーチェンジを待てず、2008年7月下旬生産版で、ホンの少し異なります。この時には、既に高血糖による慢性的な疲れがひどく、ロードスターの乗り降りですら死ぬ思いでしたので、たまらず背の高い小さな車が緊急に必要なのでした。

    日曜日の集会帰りに、ディーラーに立ち寄って室内を見せてもらったら、その造りの良さに驚嘆。トランスミッションも夢のCVTですよ。可変バルブタイミングも当たり前。可変シートレイアウトも遊び盛りの時にどれほど欲しかったことか。新車納入時にフロントとリアにスタビライザーを入れてもらうかどうか大変迷いましたが、まあ、高速や山道はあまり走らないということでオリジナルで良しと。

    ライバルのSZK.WGN-Rには目もくれませんでした。むしろ、SZK社ならば、初代MRワゴンが見事にワンモーションフォルムを決めていたので、そちらの中古モデルを探した程でした。