オフィス・ヤハのトホホな日々

エホバの証人の一プログラマが聖書研究と自転車の趣味等を徒然なるままに

夢は叶っている

2011年05月14日 | 日記
    今日は、那須りんどう湖近くの3D恐竜館向かいに清楚なたたずまいを見せる、エホバの証人の栃木大会ホールに行ってきました。

    帰りの東北自動車道は、強風で結構緊張しました。

    あまり自動車の話はしませんが、初代アコード・初代バラードCR-X・初代ユーノスロードスターなどを乗り継いできたとお伝えすればお分かりのように、車好きの飛ばし屋でした。特に、CR-Xの時には、ジョントルなアコード時代の鬱憤を晴らすかのように、気違いのように飛ばしまくっていました。あのショートホイールベースでスピンしそうになったことが何度かあったということがすべてを物語っています。よく死ななかったもんです。(今は悔い改めて、免許証はピッカピカのゴールド免許証death)。

    私のカーデザインの理想は、これでした。





    1968年発表の、ビッザリーニ・マンタ。学校の休み時間でも(授業中でも)夢の車をノートにスケッチしていました。このマンタ(魚のエイがモチーフ)の写真を見た時、やっぱり同じことを考える人がいるもんだなと思った程、私のスケッチと酷似していました。こんな理想のデザインが市販車に反映されるにはあと何年待たなければならないのカト オイクース。

    そういう訳で、私の車のリリーはこれで決まりでした(猫でも犬でも車でもリリーと呼んで鱒)。



    写真は、2008年10月のL175マイナーチェンジモデルですが、私のはロードスターの車検切れの関係でマイナーチェンジを待てず、2008年7月下旬生産版で、ホンの少し異なります。この時には、既に高血糖による慢性的な疲れがひどく、ロードスターの乗り降りですら死ぬ思いでしたので、たまらず背の高い小さな車が緊急に必要なのでした。

    日曜日の集会帰りに、ディーラーに立ち寄って室内を見せてもらったら、その造りの良さに驚嘆。トランスミッションも夢のCVTですよ。可変バルブタイミングも当たり前。可変シートレイアウトも遊び盛りの時にどれほど欲しかったことか。新車納入時にフロントとリアにスタビライザーを入れてもらうかどうか大変迷いましたが、まあ、高速や山道はあまり走らないということでオリジナルで良しと。

    ライバルのSZK.WGN-Rには目もくれませんでした。むしろ、SZK社ならば、初代MRワゴンが見事にワンモーションフォルムを決めていたので、そちらの中古モデルを探した程でした。

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