オフィス・ヤハのトホホな日々

エホバの証人の一プログラマが聖書研究と自転車の趣味等を徒然なるままに

7月27日に始まる週の聖書通読(民数記 1-3章)

2009年07月31日 | 聖書
    実は、事の始めからの疑問なのであるが、民数記 1:20から1:43に列挙されている各部族の人数には端数がないのである。つまり、ルベン 46,500、シメオン 59,300、ガド 45,650、ユダ 74,600、イッサカル 54,400、ゼブルン 57,400、エフライム 40,500、マナセ 32,200、ベニヤミン 35,400、ダン 62,700、アシェル 41,500、ナフタリ 53,400、合計 603,550。12部族のうち11部族は切れ良く百単位、ガドだけ 45,650人。これだけを見ると、正確な人数は省略して、切れのいい百単位や五十単位で表記したのではないだろうかと思う。

    ところが、なのである。読み進んでゆくと、今度は民数記 3:40以降でレビ人をイスラエルの初子の代わりに請け戻す段になり、レビ人の生後一か月以上の男子の人数とイスラエルの生後一か月以上の男子の初子の人数の差を計算するのであるが、その計算式が 22,000 - 22,273 = -273 で、初めて端数が出てくるのである。これは魂を扱う神聖な計算であるから片方の数字を四捨五入して概算で扱うなら意味がない。

    結局、さかのぼって民数記の始めから、出てきた人数は一の位まで正確な数字だったということになる。だとすれば、部族別の人数がちょうど百や五十で割り切れる数字に自然になる確率は驚くほど小さいわけだから、これはりっぱな奇跡だ。

    それで、昨夜の集会で注解した通り、このきれいな数字はエホバが作為的にコントロールされたと考えるしかない、が暫定的私的結論。WATCHTOWER LIBRARYで検索しても、この問題を扱った資料がヒットしない。みんな不思議に思わないのか。読者からの質問で扱われていてもよさそうなものなのだが。

    が、いるものである。集会後、Y持K子姉妹が近づいて来たのだが、彼女は別に疑問に思ったことはないと言うのだ。ちょうど区切りのいい人数になっても不思議に感じないのだそうだ。そういえば、彼女は幼い頃から神の存在を疑ったことは一度もないともかつて言っていた。(「かわいいふりしてあの子、わりとやるもんだね♪」)。

    ここが、JW二世と一世の違いですかね。進化論・統計学的手法・懐疑的態度・唯物主義・無神論などは、サタンの世の特色なのだ。世にどっぷり浸かっていた私などは聖書を文字通りに信じたくても、納得ゆく根拠が示されないと身に着かないのだ。

    そういえば創世記通読でも、登場人物の年齢が九百歳とか六百歳とか出てきたとき、我が目を疑った。信じたくても信じられないのだ。ただし、この点に関しては「洞察(「聖書理解の助け」)」や「論じる」などにもきちんと説明されているし、読み進むにしたがって人の寿命が徐々に今日の年齢に近づいて来るので、文字通りに受け取れた。

    協会に「読者からの質問」の手紙を書こうかしら。(「私待つわ、いつまでも待つわ・・・♪」)




私の記念碑的作品

2009年07月29日 | コンピュータ
                  

                  

    1979年の秋に中途入社した私も、機械組立て実習生から始めて、物流課のプログラマ・システムエンジニアと経験を積むことができた。会社の様子もだいたい分かってきたし、大型コンピュータも自分の手足のように動かせるようになってきた。

    その頃、主力コンピュータの機種変更と同時に生産管理を最上流から一貫コンピュータ化しようという社内改革が始まった。私はその最上流である技術部設計課のシステム構築を割り当てられた。機械部品階層構造情報を持たせたデータベースの構築とその後の設計変更処理すべてを構内端末からリアルタイムでメンテナンスしようというのだ。会社の屋台骨を支えるような大仕事であり、ものすごいプレッシャーである。

    一台の機械の構成部品を機械のエリア別に、組み立て単位別にデータベースに階層構造を持たせて登録するのだ。問題は、単に部品といっても、単体の部品や複数の部品を剛接した部品や複数の部品を組み立てたアッセンブリーなどがあるし、ベアリングなどは社外品の流用だ。では、単体部品を改良して剛接部品に変更することは受け付けるのかそれともエラーなのか、あるいは剛接部品の中に社外品が含まれてもいいのか悪いのかなどもチェックしなければならない。

    こうした複雑な組み合わせの判断を、IF文を延々と記述するのはナンセンス。そこで部品階層パターンをテーブル化して自動判定することにした。そうすれば、新たな部品パターンが生じても、テーブルをメンテナンスするだけで済む。

    今回のプロジェクトでは、時間が許す限り理想を追求しようとも決意した。機械構成部品階層構造データベース構築・変更とそれに伴うリスト発行などすべてをたった一本の統合プログラムで行なう。画面様式もたった一種類ですべての機能を盛り込むのだ。新部品番号の採番も自動で行なってしまう。複数端末で同時に新部品登録処理が重なっても対処できなければならない。プログラムの規模は、一人のプログラマが作れる限界と言われている一万ステップに挑戦だ。

    これまた、言うは易く行なうは難しを地で行くような超難題だった。プログラムのすべての処理が頭の中で具現化できてなければ、画面設計も仕様書作成も始まれない。数多くの部品図を調査してアッセンブリー部品や剛接部品・単体部品などのパターン抽出にかなりの時間を掛けた。設計・製造現場で用いられている書類すべてに目を通して理解することに努めた。わからないところは、主任のS藤さんに教えてもらった。

    秋にスタートした全社プロジェクトは、新年度の4月1日施行である。製造部などはもう仕様書を書き終えたといううわさが流れて来る。あせる。私のほうはいまだに部品構造パターン化のための調査段階だ。来る日も来る日も机に座ってただひたすら考え込んでいる私を見て、技術部のМ島部長も不安になってきたらしく、「T田くん、大丈夫かい」と何度も声をかけに来た。

    部品パターン抽出が済んで、画面様式もやっと完成した。データベース更新のハンドリングには面倒な職人技が要求されるが、ただひたすら忍耐でフローチャートも出来上がった。この時点でコーディングを始まれるが、今回の社内改革では、仕様書を作成して外注に出すのだ。で、正月も返上で仕様書作りを急ぐ。パターン化したテーブルのリテラルやデータ項目名称などは、自らコーディングしてプログラマに渡した。旧態然としたきたないコーディングは絶対に許したくない。

    担当した、K上さんというプログラマはデキル人だった。私の意向を完璧にくみ取ってコーディングしてくれた。あたかも、私自身がコーディングしたかのようだった。少し贅肉を落として、最終的には9,600ステップ程に。


                            


    こうして、私の記念碑的作品とも言える、巨大プログラムが完成したのである。この会社に拾ってもらった恩返しを果たせたような気持ちだ。良くも悪くも製造現場を知らない者が作ったシステム故に、当然のことではあるが、反発も生じた。コンピュータで自動発行された設計変更指示書など使い物にならないと怒鳴り込んできた先輩がいた。が、である。この指示書を自動発行させるのにどれだけの労力がかかっているかはこの私しか知らない。オーバーレイなどはもう芸術の域に達している。

    このこわ~い先輩こそ、今、同じ会衆で長老として奉仕しておられるN野兄弟なのだから、何が起こるか分からない。この事物の体制の残り時間も迫ってきている。早く開拓奉仕を始めなければ、この会社に埋もれたまま終わりを迎えることになってしまう。


 








自動車好きのプログラマーが考えること

2009年07月25日 | コンピュータ
    1989年8月に名車スカイラインGT-Rが16年振りに復活した時の衝撃は今だに記憶に残っている。それまでは、車の性能競争は馬力競争と言っても過言ではなかったが、段々エンジンが強力になって行くに連れ、新たにトラクションという問題が生じてきたのである。せっかくの大馬力でも、今度はアクセルを踏み過ぎるとタイヤが空回りして車が前に進まないのである。

    そこで四輪駆動となるのだが、技術的に楽なFFベースだとどうしてもアンダーステアが出てしまう。「どアンダー」という言葉は車マニアにとっては侮蔑的表現であり、もはやスポーツカーたり得ないのだ。

    このような状況のもとで、真打ちの登場と相成ったのである。禁断の280ps、FRベースの四駆、巌のようなボディー剛性、アクセルべた踏みでグイグイ加速の最速ゼロヨン、ガンガン攻めて筑波最速ラップ、縦G横Gでもう脳貧血・・・すご過ぎる!



          



                                    



    GT-Rがコンピュータ制御の四駆で究極の走りを実現させたのにヒントを得た私は、四本のプログラムを並列に作動させることによって大型コンピュータの能力をフルに引き出し、完全自由キーワード・AND-ORの組み合わせ自在の究極の情報検索システムを作ることを思いついた。しかも、一度完成させてしまえば、後はデータベースがどう変わろうが左うちわの全自動メンテナンスフリーである。

    言うは易く行なうは難しとはこのことである。多くの実験と数限りない試行錯誤の繰り返しでプログラムソースなど見たくもなくなってしまったが、遂に完成することができた。ときめきと不安の入り混じった最初の本番テスト。思ったほど速くないのでまだどこかがうまく機能していないようだが、実用上の画面のレスポンスは十分だった。自分で言うのもなんだけど、イメージ通りのほれぼれするような出来栄え。

    そんな時、コンピュータ室の方からK桐さんやHさんたちの叫ぶ声が聞こえてきた。「ああ、これだこれだ。こいつが始まると他のプログラムが全然動かなくなるんだ」。

    ヤバ!

やっぱ、私は死ぬな

2009年07月23日 | 日記
    昨日、獨協医大病院へ血液内科の定期検診に行ってきた。


    

    初診の2008年5月26日(月)の時の検査では目も当てられない程健康状態がひどく、本来なら即入院だった。私も体がだるく、糖尿病の合併症である手足のしびれももう始まっていたので、できるなら一か月間くらいは完全休養したかった。

    しかし、父の葬式は済んでも父の死に伴う様々な事務手続などは全くの手つかず。入院は勘弁してもらって、通院と薬でとりあえず様子を見ることに同意してもらった。

    あれからもう一年以上過ぎた。血糖値・尿糖値・肝機能値・各種コレステロール・PHなどの検査項目がすべて正常範囲にもどった。消化器内科と神経内科はもう終診。皮膚科はひと月で薬の副作用が出始めたので、一方的にキャンセル。もうじんましんなんか構ってられない(Y崎教授ごめんなさい)。

    泌尿器科は毎日の水分摂取量と排尿量の詳細な記録を取るようにと、計量器と記録簿を渡されたが、うわーこんなに面倒なことやらされるんじゃどうしようか・・・とじっとプラスチックの計量器を見つめながら考え込んでいたら、?教授が「今日はいいから、もっと悪くなるようだったらまた来なさい」と言ってくださった。ありがとう?教授。

    内分泌代謝内科(糖尿病)の先生ももう表情は明るい。

    で、血液内科は三か月に一回の検査で、もう来なくてもいいじゃん? のノリなのだが、今日の検査では・・・ウ~ム。マンダム(>_<)。

    まだ貧血は出ていないので問題なしなのだが、免疫グロブリンのIgM-IFCCがひたひたと値を上げてきている。「チェッ、こりゃ厄介なことになりそうだな」と先生が心の中でつぶやいたのが私には聞こえたような・・・

    やっぱ、私は死ぬな。

                                 

24インチ チューブラー手組ホイール完成

2009年07月21日 | 自転車
    どこのプロショップに依頼しても部品が無くて断念した24インチロードバイク用ホイールだったが、今日やっとサイクルショップBICI★STELLE(ヴェチ ステンレ(イタリア語、英語に訳せば Bike Stars))から完成のメールが届いて、夕方取りに行ってきた。

    あてにしていた久喜市のシクロ・タカハシでさえ、24インチリム製造元のアラヤで製造中止の為不可能で、結局自分でネット通販で寄せ集めた部品を持ち込んで、7月10日(金)にこのショップに依頼しておいたのだ。心配されていた地域大会招待キャンペーンにも間に合った。スポークの組み方は何も指定せず全くのおまかせでオーダーしたのだが、残念ながら期待していたラジアル組ではなかった。

    チューブラータイヤという非常にマニアックな仕様は、何も好みで選んだのではなく、24インチのロードバイク用リムがチューブラー仕様しか手に入らなかったからである。もし、パンクしたらタイヤ交換(チューブ交換ではない)かシールド剤注入になるが、かなり高い代償を求められそうだ。しかしその代償と引き換えに、よりフリクションの少ないしなやかな乗り心地とクイックなステアリングと巡航速度のアップが約束されているはずで、その辺のところをできるだけ早く確認してみたい。

    店はこじんまりとした綺麗な雰囲気の店で、私が小学生の頃住んでいた場所のすぐ近くにあり、景色は昔のなごりはほとんど残していないとはいうものの、やはりこの辺に来ると胸が締め付けられるような郷愁を感じる。


      


    この写真ではお店の入口にコルナゴのフルカーボンロードバイクが置いてあるが、実際今日も名門イタリアンバイクのピナレロFP3とコルナゴCLX(105仕様)が入ってすぐのところに展示してあった。40万円前後の売れ筋人気モデルであり、ロードバイク好きの心を揺さぶる。

    実は気づきませんでしたが、店長の娘さんは作新学院自転車部の時から日本代表に選ばれるほどの名選手で、今年結成されたブリッツェン宇都宮プロレーシングチームのCHISAKOとしてプロデビュー、雷娘として大活躍中。