オフィス・ヤハのトホホな日々

エホバの証人の一プログラマが聖書研究と自転車の趣味等を徒然なるままに

内分泌代謝内科定期検診

2010年09月27日 | 日記
    今日は、独協医大病院内内科(内分泌代謝内科)定期検診でした。雨で、朝の駐車場は満員御礼。病棟の西裏に誘導されて、お蔭で歩く距離が短くて助かりました。受付を済ませて、血液検査に向かいました。

    月末で月曜日だからでしょうか、いつもより採血待合席が混んでいます。受付番号が288。時刻は午前10時頃でしょうか。採血室入室番号表示板を見ると、274。そろそろ自分の番です。

    あらっ、目の前の席に座っておられるこの婦人は、W辺K子姉妹では? ヘアースタイルと肩の線がそっくりで・・・。でも、そんな訳ありません。





    採血後、今回はスターバックスではなく、自販機の薄いコーヒーにして、売店でビスケットを買い、日刊スポーツを自販機で求め、脳神経外科待合席で簡単な朝食。昨日の白鵬・日馬富士戦の連続写真が出ていないかと思ってめったに読まないスポーツ紙を選んだのですが、どのページも賜杯を抱えた写真ばかり。

    過去、結構痛い黒星を喫している日馬富士戦を心配していたのでした。優勝32回の大鵬親方の解説で、やっと日馬富士戦の記事を見つけました。小回りのきく相手に快勝できた要因として、変化を恐れない立ち合いの踏み込みを指摘していました。なるほどね。だから、どたばた相撲に陥らなかったのですね。

    「踏み込み」で思い出したのが、この局面、



    今年の名人戦第二局一日目の封じ手の場面です。長考の末、名人が指した次の一手は5三桂成。この手を新聞では「踏み込み鋭く」というような表現を用いていたと記憶しています。「すべての手を読んだのですが、どれも良くないので結局この手になったんです」という局後のインタビューに答えたマムシ、いや元い、ナキナワ・ハブ空港。(封じ手直前の3七歩がわずか四分で指されたことに直感的な何かを勘付いたのでしたよね。T川名人にも共通するいわゆるところの嗅覚ですか。)

    5三桂成は問題外として研究範囲に入れてなかったランボルギーニ・ミウラ個人教授。やっぱ2三金の「一度試してみたかった手」が敗着だったのではと思うド素人の私。研究の鬼に名人級の才能があれば、まさに鬼に金棒だったのですが。森内名人にも同じ要素が欠けているような・・・。一方、才能のある棋士は、油断・手抜き・慢心・怠惰etcに注意しなくっちゃね、Hさん・Wさん。(OBKYSKのYさんや、もっと古くはOYKのNさんなんかも入れましょうか。現会長のYさんは、いやらしいから除外ですよ(笑))。

    じゃあ、才能もあって努力も怠らない、歴史的偉業を成し遂げたあのネコ科選手は?

    多分、彼には、Ez.27:3が当てはまるのではないでしょうか。そうでなければ、とっくにJWになってますよね。

    血糖値85、HbA1c(ヘモグロビン・エーワンシー)6.4あたりだったでしょうか。安定していて良好だと診断されてほっと一息。DMK.NZM先生(子音字だけの記述で、なんだかヘブライ語のテトラグラマトンみたい)の歯切れの良い応対で、ものの数分で終了。三月の足壊疽の時には、めったなことではパニックしない先生を悲嘆させてしまいましたが、あの頃がハイライトな日々なのでした。


猫ネタ

2010年09月20日 | 日記
毎日新聞万能川柳最近の猫ネタ


風呂入るだけが猫との違いかな    茅ヶ崎   牛木英子  9月19日

さわらせてやるかと猫が寄って来る  さいたま  影無  9月6日



http://www.hanrasen.com 2009/11/08.



最新披露宴事情

2010年09月19日 | 日記
    近年の結婚披露宴はどうなっているのでしょうか。姉家族最後の結婚披露宴に出てきました。いやはや、まさに究極の時代ですね。まず、いきなりこれです。



JBL by HARMAN,フロアスピーカー,高さは1mを少し超える位でした。100万円クラスでしょうね。

 

    後ろの空気が数㎝動いたかのような衝撃です。25年昔の松戸競輪場での地域大会では高さ3mもあるかのような巨大なスピーカーが何個も設置されましたが、これほどの迫力はなかったような。



    会場は、宇都宮環状線沿いです。ステージ反対側の北側ガラス張りの向こうに目を向けると、まるで空中庭園のようです。


 



    量より質のフランス料理は助かります。最初のこだわりボルドー・シャンバンは、確かに何か非凡な個性をアピールしていました。軽くすっきりした赤ワインと淡麗辛口の白ワインもGoo.




    全部で11か12テーブルだったでしょうか。



    この空席には本来、新郎の父親が座っているはずでした。病状により、この日を2ヶ月早めましたが間に合いませんでした。こんなところにも胸打つドラマが。

    お色直しの合間には、真っ暗な会場にスポットライトを受けて浮かび上がった夫婦かとも思われる日本人?男女の迫力あるパーカッション生演奏。途中、見せ場で女性がスティック回転技を決め損ねてもだれもそんなことは咎めません。綺麗な姉ちゃんで何の不足があるやねん。えやないか、そないこと。


    最後には、外に壮大な仕掛け花火が。居ながらにして河川敷夏祭りです。




    緻密に構成された新郎新婦思い出のスライドショーに歓声が。会場の至る所に配置されたカメラマンと容姿端麗ウェイトレス。時代は、究極サービス業に象徴されていました。



     

アナログな日々

2010年09月16日 | 日記
    今度の日曜日に甥の結婚式があるのですが、М子姉親族の最後の結婚式なので、W気H夫兄弟の結婚記念に作ったCDと同じようなものを作ろうと思いました。

    そもそも私がマルチトラックレコーダーで音楽CDを制作するようになったきっかけは、先日亡くなったクレイジーキャッツの谷啓さんでした。谷さんはトローンボーン奏者ですが、たまたま某放送局のインタビュー番組で、谷さんが趣味で作られたチェイスの名曲、黒い炎(Get it on,1971,米)の自作多重録音演奏が紹介されたのです。もう30年くらい前の話です。



    その一人ブラスセッションに感激して、いつか自分もギター一本で音を重ねてお気に入りの音楽を制作できたらどれほど幸せだろうと思ったものでした。社会人になって給料をもらえるようになっても、最低限のマルチトラックレコーダーでさえ一月分の給料ではとても買えるようなものではありませんでした。

    下の写真のおもちゃのようなミキサーが、アナログ・マルチトラックレコーダーです。これでマスターテープを作り、アナログ音声でパソコンにミックスダウンして音楽waveファイルを作ります。それを、白く映っているCDライター(ネコちゃんのCDが乗っている箱です)で焼きます。




    W気兄弟結婚記念CD制作の時(病気で予定より2年以上大幅に遅れ)には、このライターが数年間埃まみれになっていたため、最初は全然動かず、一度分解組み付けをして丸一日通電していたら作動するようになりました。

    ミキサーからパソコンのwaveファイルにミックスダウンする時も、ラインアウトのジャックが接触不良を起こしていて、右チャネルだけ時々音切れを起こしていることに一枚試作した後気付きました(当然ミックスダウンを最初からやり直しのトホホです)。

    一昨日は、遂に十年以上使っていたCANNON BJS500 インクジェット・プリンタが目詰まりを起こしてしまいました。ネットの2チャンネル掲示板で裏技を検索して実行してみました。もう両手がインクまみれです。

    デジタル機器は使ってないと具合が悪くなるという、ニャンともアナログな話でスムニダ。