尾崎一雄の父がなぜ 勤務先の皇學館(現、宇治浦田 神宮工作所) から わざわざ、遠くはなれた、山田の岡本町に住んだのか。
この青い線の道(4キロ)を 尾崎一雄の父は 徒歩で通勤した。今の御木本道路のに沿っており、以前は狭い道だった。(当時、御幸道路はまだなく古市を通るより近い)。
なお秀吉が 古市街道をつくる以前は、この道が参宮道だった。
さて父が、歩いて通勤してたのは、
「父祖の地」に書かれてます
明倫小学校1年の尾崎一雄少年は、父の帰る時刻になると 庭はずれの用水路の堀に立ちまだかまだかと待っていると
『やがて はるか「かえる石」の曲がり角に山高帽をみとめると、私は両手をあげ地団駄踏む。聞こえはしないとおもいながら 「おとうさん」 と 呼ぶ。父はステッキを頭上で左右に振っているが、だんだんと 歩調は速くなり、やがて駆け出す』
なんか純朴というか、ほほえましい情景です。
さて、おそらく、無理をしてでも、岡本に住んだのは、単純に、山田は町で便利だった
からだろう。 あるいは、 息子の教育を考え学校を 明倫小学校にしたとか。 明治天皇が名づけた 当時は、ブランドの学校です。父は東大をでているから息子の教育に気をつかった。
追加。
この回顧録にでてくる「かえる石」です。私も遊んだところですが、今は取り除かれ、今はマンションが建っています。、その真横に「八束山」という山があります。そこにもマンションが建っている。
八束山は、 尾崎一雄の岡本の 住まいの縁側から、南に見えている山でした。(当時まだ、明倫小が岩淵にあった)
実は、尾崎の父の名は、「八束」なんです。母はタイ。
岡本から見える「八束山」とは、江戸時代では、山頂に、八束の髭の仙人がいて、毎日、スサノウを拝んでいたといわれた山です。
ちなみに、島根県の八束郡にあるのが出雲大社。 また、八束郡八雲村にはスサノウを祭る熊野大社があります。八束とは、スサノウが八岐大蛇を退治したことが由来とか。 小泉八雲は この八雲村にいたらしい。
なぜ 尾崎一雄の父に出雲の名前がつけられたのだろうか?
その父、尾崎八束は 小田原の曽我郷にある宗我神社(そがじんじゃ)の神主です。須賀神社とちがって宗我神社とスサノウは関係ないと思いますが、
蘇我蝦夷 入鹿=スサノウ 出雲大国主=天武 とかの 興味が沸く おもしろ説はあります・・・