小田の橋の謎

近所の身近な歴史だけど、それなりに深いのです。本音は、お伊勢参りのついでに小田の橋や古市街道や河崎に寄ってほしい。

尾崎行雄(1)

2010-01-26 19:39:13 | その他 伊勢周辺 日記 ニュース 

伊勢市には 神式で葬式をするところがある。もとは、霊祭公社(現、祖霊社)といって、靖国神社のような、西南戦争の戦没者を慰霊するところだった。

さて、昔、この祖霊社の近くに小泉八雲が住んでいたという話しがある! 

(小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)といえば、あの英語のリーダーに載っているムジナとか耳なしホウ一の「怪談」を書いた、松江に住む片目の外人。

小泉八雲は 英語教師として、文部省が招いて、アメリカから島根に直接来た人。もちろん、伊勢に住んだという記録はない)

だから この噂は、 人違いです。

尾崎行雄の英語の先生 小泉敦のこと だと思われる。

明治7年から、フレデリック・サンデマンという当時では珍しい外人教師もいたから 間違った噂が流れたといえる。

明治5年、行雄の父の度会県の官史赴任で15歳の尾崎行雄とともに 高崎から岡本の宮崎英語学校(現 宮崎文庫跡)に入学した。 驚くべきは、教師だけでなく 生徒ら数人も 高崎から、宮崎英語学校に来たという。 

さて尾崎行雄は 明治5年から、宇治山田市に住んでいたといっても、明治7年には 慶応義塾童児局に入学のため上京した。  

さて 些細なことで、たいしたことではないのですが 伊勢市にとっては大切なこと。つまり、

 行雄少年は伊勢のどこに住んでいたいたのだろうか? 

 で、尾崎咢堂会館にいる方に聞きましたところ、「知らない」という。

知らない?? 尾崎行雄の資料館の職員がそう言われるから 唖然としました。 だって、そんなことはあたりまえで、その先の、伊勢での尾崎行雄の学童時代の話を聞きたかったからです。

95歳まで長寿を全うした人、つまり 1954年までご健在だったから そんなに昔の人ではないはず。インタビューとかだって出来たはずです。

市立図書館にも そのことが書かれている資料がない。 

どうも 皆が 伊勢市 川端町の尾崎会館の場所に住んでいたと思っていたようだ。

日本で、自転車が出来たのは明治23年。文明開化といっても、明治5年に川端町から宮川を渡って、岡本の宮崎学校まで 毎日通学するのは 可能だけど、しんどすぎる。

  実は・・・ 

つづく

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