有名な人の中に、ゆきお さんは おおぜいいますが、
憲政の神といわれている尾崎行雄です。
、憲政というとむずかしいですね。「議会政治の父」ということです。
ただの肩書きばかりの、偉いさんではないんです。
年をとってからもスゴかった。尾崎行雄は 1941年 83歳を過ぎてからも、大政翼賛会に反対し、三国同盟に反対し、近衛内閣や東条内閣に質問状を出し。不敬罪で巣鴨の拘置所に入れられたりと、国民の為に 国の行く末を憂い、戦い続けました。 その姿は痛々しいばかりであった。
伊勢市 川端 の尾崎咢堂記念館は建て替える前は、市の経営する市民のための結婚式場でした。(安く結婚式があげられる 料理は料理屋に注文する し出し 。よくホテルがする出張パーティーのようなもの。)
外見からしても、新しい式場が出来ると期待してたら、資料館が主の建物でした。
尾崎の生まれ故郷の神奈川の津久井にもある。
さて、
行雄の父に、つまり度会県の役人になり 一年も過ぎようやく慣れてきたころに、、また熊本県へ転任の通達がきました。
尾崎行雄と弟は、明治7年に、九州へ行く 父や母や妹らを見送り、
行雄は弟をつれ 鳥羽から東京へ船立ちしました。
父は、明治9年10月に 熊本県庁の同僚4人などが死亡する、敬神党の乱があったころもあり、三重県にもどり
川端にあった、紀州藩の倉庫を買い取り、それを自宅とし、上地など周辺地域に養蚕の普及とその指導をした。
つまり、その倉庫のところが 今の尾崎ガク堂会館です。