禅宗の寺などで、開基と開山が書かれている場合がある。
例えば妙心寺の塔頭(たっちゅう)の雑華院(ざっけいん)は
本能寺の変の翌年、
1583 (天正11)年,牧村利貞により,一宙を開祖として創建されたものですが
この場合、開基は牧村利貞 開山は一宙になる。
つまり「創建者」が開基 で「初代住職」が開山です。
なぜ 三の丸殿の絵が雑華院(ざっけいん)にあるのかわかりませんが、
三の丸殿の空き地の左隣の蟠桃院(はんとういん)がその肖像画を引き取ったとすれば、
蟠桃院を開山した一宙は雑華院の開祖でもある。同じ開山の一宙の寺ということで 蟠桃院にあった肖像画が雑華院に にあるということも考えられる。
一宙とは、妙心寺で、一宙時代を築いた 妙心寺第79世の一宙東黙(いっちゅうとうもく
じつはこの周辺の塔頭は、開山の住職もほかならず 開基の武将 や 菩提として奉られる者たちは、美濃という土地に 強い関わりがある。
蟠桃院の開基の前田玄以と一宙は、ともに、美濃の安八郡の出身 雑華院の開基 牧村利貞は 一宙の兄です。兄弟とも安八郡の牧村城主 牧村政倫の養子。
この2つの 塔頭以外にも
大通院の山内一豊は、安八郡の牧村政倫のもとで元服しており、稲葉一鉄も安八郡に城があり、岐阜安八町にある三重の塔(重文)は斎藤利綱が建立し一鉄が修造したものです。
なお斎藤利綱は、春日局の先祖 美濃守護代 斉藤利国の弟です。
やはり、
なんか、 この周辺の、妙心寺の塔頭の配置を見ていると
道三に乗っ取られ、織田信長に 制覇される以前に、
もともとの美濃を治めていた 一族が寄り添っている感じがします。