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小田の橋の謎

近所の身近な歴史だけど、それなりに深いのです。本音は、お伊勢参りのついでに小田の橋や古市街道や河崎に寄ってほしい。

春日局 3

2010-01-14 18:18:09 | その他 伊勢周辺 日記 ニュース 

美人画といわれるのはあっても、亡くなってから描いたものが普通です。だから尼姿の場合が多い。

春日局の肖像画のように写実的に描かれたのは殆どなさそうです。。

 信長の妹の お市の方

その、お市の娘は

  長女の茶々(淀君)

お初 

 お江与(秀忠の正妻)

 お江与と 春日局は 世継争いで、大奥での確執(かくしつ)とバトルがあったとされるが、あくまで風聞であり小説の世界だと思います。

 後代に描かれた お江与の絵。

さて

このような↑浮世絵がまだないころの 美人画として

 三名幅 といわれる 日本三大美人画といわれるのがある。

信長の妹の お犬の方 (お市の妹)です。龍安寺(りょうあんじ) 

他の2画は、大野治長夫人と三の丸殿の肖像画で、妙心寺 塔頭(たっちゅう) 雑華院(ざっけいん)にある。 

なお 龍安寺も 妙心寺の境外塔頭です

 

春日の局は乳母だったけど、大野治長も三の丸殿も 乳母の子です。

織田信長の娘の絵がある 雑華院は明智系の寺。

詳しくいくと

三の丸殿は 信長の六女。 母は 長男の信忠の乳母(慈徳院)。 秀吉の側室から二条昭実夫人になる。

大野治長は  茶々姫の乳母の子。 大阪夏の陣では 淀君(茶々)・秀頼と 母小袖と 自分の長男とともに同じ蔵に避難しており そこで全員、自刀しました。 おそらく大野の妻も一緒だったと思われます。(娘は助かる、次男は江戸で刑死)

 

さて

 これらの 美人画と 小田の橋と どう 繋がるのか

                           →春日局4

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