(もちもん)
石高加増の縁起かつぎ!
餅を紋章としたのは、
古くから餅が、神祭や祝儀の際に用いられた
めでたいものとされてきたからである。
特に「黒餅」は〈こくもち〉とも読め、
先陣ではよく出したから≪石持(こくもち)≫に通じ、
石高加増の幸先よしと縁起をかついだものである。
「白餅」「枡に餅」「水に餅(一名月水)」など。
餅の中に他の紋も組み込んだ紋もある。
いつの間にか、黒餅・白餅・月の区別も混乱した。
だから、餅を月と呼んでいるところもある。
もっとも、かなり古くから黒・白に関わらず、
「餅紋」を「石持」と呼ぶようになっていたらしい。
基本は、白あるいは黒の円形だが、
他の図形をこの中に入れたものもあり、
二つ重ねた「重ね餅」、「菱餅」もある。
菱餅 白餅 黒餅
「白餅紋」
「城持ち」を表すといわれている。
① 近江西大路藩主市橋氏
「三つ盛り菱」「柊に打ち豆紋」と併用。
② 備後福山藩主阿部氏(⑤)の分家、上総佐貫藩主阿部氏
「丸に左重ね鷹の羽」と「白餅」を併用。
③ 同じく(=⑤の分家)磐城棚倉藩主阿部氏
「白餅に違い鷹の羽」に「中輪」を併用。
「黒餅紋」
「石持ち(こくもち)」として多くの土地を持つ
ことを意味する。
④ 福岡藩主黒田氏
「藤巴紋」に「黒餅」を併用。
⑤ 藤原北家八田氏の後の備後福山藩主阿部氏
「丸に右重ね鷹の羽」と「黒餅」を併用。
⑥ 武蔵七党丹治党加治氏の末の上総久留里藩主黒田氏
「黒餅の内に木瓜」と「枡に月」を併用。
⑦ 羽前ノ山藩主松平氏
「黒餅の上に酢漿草」「五三の桐」「山桜」を併用。
旗本では、浅野・島田・竹中・谷・黒田・
五十嵐・筑紫・市橋・阿部の諸氏が用いた。
いつもお世話になっている↑↑家紋ワールドさんです。
いつもありがとうございます。
【 追記 】
餅は、①黐(もち)のようにねばる、
②もとは丸形のもちが多いので望(もち)の意、
③腹もちがいい、④持ち運ぶに便利な飯(いい)
などの諸説がある。
また、餅紋は、ふつう外郭として用いられ代表家紋はない。
『家紋大図鑑』;参照
「石持紋」は、
留袖の既製品を作るためのものと思っていました。
着付け関連の本家紋の本には、
そのような説明しか載ってませんでした。
今の時代は、普段の家紋で「白餅紋」「黒餅紋」を
使っている人を見たことがありませんでしたし、
自分が持ってる家紋の本にも載ってるのがありませんでした。
今勉強してる古文書がらみで、「石高」がよく出てきます。
なので、「石持紋」が気になっていました。
本当に由来は「石高」からだろうか、と思っていました。
しかし、食料の餅からとは思いませんでした。
そういや、腹が減っては戦は出来ぬといわれるし、
祭りや正月などお祝いの時に良く供えられるもの。
考えてみれば、納得でした。
『家紋の由来と美』丹羽基二著:参照
『苗字・名前・家紋の基礎知識』監修・編者:渡辺三男
僕も一個あるのです。
解決は何時になるのかと思います。
餅でも食べて考えます。
今まで思っていたことが違うことだった、なんてことも結構ありますよね。
違うことを書かれている参考書があれば、よけい混乱したりしてね。
ま、自分なりの解決で納得してたりしてるものかもしれません。
忠太さんの疑問って難しそう…
いろいろ考えすぎて、
お餅を詰まらせないよう気をつけてくださいね。
コメントありがとうございました。