昨日、ゆうちゃんが
この時期にいつも会社で買うアイスクリーム
を持って帰ってくれました。
オハヨー乳業のクリスマス用アイスクリームだそうです。
今年は少し受け取る日がずれたようです。
まだ食べていないので味の方はわかりません。
が、ネットで見るとおいしそうです。
今日はゆうちゃんが東京へ遊びに行ってます。
会社に入社した時、本社で研修があったんですが、
その時の同期だった人たちとの交流があるそうです。
毎年誘われていたのを断わっていたようですが、
5年ぶりに行って見ようか、と思ったようです。
泊まるところは考えていなくて、
カラオケか、漫画喫茶みたいなとこで過ごすとのこと。
久々の一人旅です。
今頃…、何してるかな~。。。
今日はマーちゃんは飲み会です。
久しぶりに梅田まで出ています。
うちはマーちゃんの今日の最終日がお給料日!
未だに、手渡しなのでいつもこれからが
お正月の買い出しです。
やっと、お正月を迎えれる~って気分になるんですョ。
私は月末〆なので、月が明けてからになります。
マーちゃんは、今日は午前様だろうな~。。。
もひとつ、
これはまごちゃんからのお歳暮。
確か・・・
この間、ビールを送ってくれたはずなんだけど・・・
DVDのお礼だそうですが、今日また、
「お漬物送るわ~!」
との連絡があったようです。
ホントに、実家の田舎のお兄さん・・・
って感じになっちゃってます。
いつも、ありがとうございます!
さて、私は早く寝なくちゃ~~!
明日は1時間も早い出社です。
今年の最終日、頑張らなくっちゃ~~♪
お休みなさい!
~「逆修」の由来~
①『仏説閻羅王授記四衆逆修七往生浄土経』(略『閻羅王授記経』)
中国の蔵川という僧がインドで出来たお経
と偽って書いた偽経。
蔵川が書いたことになっているが、実際は
鎌倉時代はじめに日本で書かれた偽経。
※「偽経」=インドで作られたお経で無いというだけの意味。
どちらも『十王経』と呼ばれているが、一般的には②が有名です。
この中に「逆修」という文字があり、「あらかじめ準備できる死後
の世界がある」ということが前提にあります。つまり、この死後の
世界の様子を人々に具体的に示したのが、この『十王経』と
『往生要集』です。
特に『十王経』は、756年~848年ごろまでに中国で書かれ、
九世紀末には、早くも日本に伝来したそうです。
『十王経』には、生前に善行を積むと、死後それが七倍にもな
って返ってくる という教えがあります。このために形ばかりの
出家をするという発想が生まれたそうです。
またこの教えは、十世紀ごろに、地蔵信仰と深く関わりつつ、
民衆に大きな影響を与えました。そして日本版の『十王経』である
『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』が生まれて、冥土の構図が
さらに明らかになります。
この日本版の『十王経』には、冥土双六のように、閻魔大王の捌き
を頂点とする冥府の行程と、そこでの光景が書かれています。
≪内容≫
亡者(死者の魂)は、針の山、三途の川、閻魔の裁きなどがある
死出の山を登っていきます。その過程で、9人の裁きの王に厳しく
断罪されます。それらを乗り越えて、前世の罪や穢れを払い落とす
ことの出来た人は頂上み至ります。そこには第十番目の王、
阿弥陀仏の化身である五道転輪王がおられ、そこは極楽浄土へ
と連なっている、というわけです。
極楽浄土に行き着くまでに会う裁きの王が、十人であることが、
「十王」の由来です。この厳しい王たちは、実は慈悲深い仏・菩薩
の化身であり、本当はみんな優しい王である設定になっています。
≪意図≫
「死後の世界はこのようになっているので、生前から正しい行い
をして、善を積み、死後責め苦に遭わないように精進しなさい」
という意味です。
ところが、日本人は「このように死後の世界が決まっているなら、
生きてるうちに早めに責め苦を受けるか、出家して仏の力で
責め苦から逃れよう」と考えたようです。
つまり、逆修とは「先取り」という意味なので、
「先取りして供養して責め苦を逃れれよう」というもの。
ここに「逆修」の由来があるのです。
『戒名と日本人』保坂俊司著より
【 戒名 】
≪戒名≫=法名・法号
仏教の出家者(僧侶・信者)に与えられる仏教者の名前。
本来戒名は仏教を信じ、悟りを求めて生活することを誓った
者の証、つまり、僧侶の名前です。
死後に戒名を付けてもらうことによって、僧侶になってあの世へ
行くことで、極楽に往生するか、悟りを開いてもらいたいという
願いがこめられ、仏の力にあやかるという意味合いがあります。
①『得度授戒』 =出家する時に師僧から頂く出家者の戒名
(とくどじゅかい)
②『順修戒名』 =死後にお坊さんにつけてもらう戒名
(じゅんしゅかいみょう)
③『逆修戒名』 =出家していない在家者が仏教者として頂く生前戒名
(ぎゃくしゅかいみょう)
『逆修戒名』
日本で呼ぶインド本来の戒名。
「逆」という文字には、「あらかじめ」という意味がある。
つまり、「あらかじめ修めておく戒名」の意味。
詳しくは→ ~「逆修」の由来~ へ
「戒名の使い道」
① 葬儀で引導を渡す(あの世へのお別れ)。
一般の人が戒名を持つことは少ないので、
大体の人は葬儀の前に戒名を受けます。
② 位牌に書くのに使う。
白木の位牌は、中陰(四十九日または三回忌)を過ぎる
と、燃やしたり、川に流したり、割るなどされて、黒い朱塗り
のものに新調される。(=死者の霊が成仏するのにこれ
だけの期間がかかるという意味)
一般的にはさらに三十三回忌や五十回忌を経て、死者の
霊は浄化され祖霊になると考えられ、位牌は燃やされる。
③ お墓(墓誌)に刻むのに使う。
明治以前には個々の戒名がお墓にきざまれていた。
明治以降、墓石を家族で共用する習慣になった。
④ お寺の過去帳に記載するのに使う。
日本で一番初めに戒名をもらったと伝えられているのは女性!
☆584年(敏達天皇13年)
司馬達等(しばたつと)の娘、嶋(斯末売)という女性。
17歳(書物によっては13歳)で出家・授戒。
「善信(ぜんしん)」という戒名をもらっています。
正式ではないものの日本で最初の戒名を受けたといえ
そうです。後に、女性禁制などの差別が日本仏教の特徴
のひとつになりますが、そのはじめは女性によって担われたようです。
『戒名と日本人』保坂俊司著:参照
↓クリスマスチョコノエル
抹茶ムース・X'masイチゴムース・X'masプリン
今年のクリスマスケーキ!
我が家は食べる時間がバラバラなので、
やはり、デコレーションはやめました。
今回、ビックリノエル
ってのがあってビックリしました。
大勢集まるならこんなのもいいなあ。
ビックリノエル
ふわふわスポンジに生クリームと栗を混ぜてサンドし、
マロンペーストで仕上げました
<高さ17cm/下段21cm> 9,500円
寿たこ
最近、たこ焼き屋さんが近所で増えています。
昨日、ケーキ屋さんを探し求めて
(自転車でいける範囲内)
大阪城界隈の3駅ぐらいをめぐって見ました。
すると、ケーキ屋さんが無くなっていた代わりに、
≪たこ焼きショップ≫がかなり増えていました。
寿たこ
↑クリックで大きく
(地下鉄今里駅ロータリー北側、新道筋商店街へ入る大通りの向かい側にあります)
写真少し失敗!・・・解りにくいので
今回は控えめに写真アップしておきます。
オムたこ
250円
少し大きめのたこ焼きに近い明石焼きを
3個使って卵で包んで巻いた「オムたこ」
チーズを内側に挟んでいるようです。
かなり美味しかったです。
やみつきになりそう・・・
ビールに合いますョ~♪
もうひとつ、
明石焼きの基本の食べ方って、
本来だしにつけるんですが、
これはぶっかけて食べます。
手っ取り早く食べられていいですね。
これも美味しかったです!
だしたこ
250円
明石焼き3個とねぎが入ってます。
家に帰ってからだしを入れて食べましたョ♪
こんなに基本的な食べ方をしたのは、
何十年来です。。。
懐かしい味がしました。
とっても美味しかったです。
昨日はマーくんの誕生日、
そして今日は、ゆうちゃんの誕生日!
二人ともお誕生日おめでとう!
いつものごとく恒例の
ひとり丸ごとミニデコレーションケーキ!
(詳細は去年のブログ記事『今日は記念日≪ケーキ≫』を見てね!)
今年もやっぱりケンテルにしました。
そろっーともって帰ってきたつもりなのに、
今日も少し傾いて前面がくずれかけ。
昨日は自転車から持ち上げる時、
手がすべって、”あっ!”
えらいこっちゃ~、思いっきり落としたー!
あ、ぁぁぁ…片方の持ち手が滑ったー!
うわっ!…よっ、横向いちゃったー!
ひゃあ~~~!!
家に帰って中を確かめて、”きゃー!”
マー君のケーキが…
・
・
・
ケンテルでは最後のミニデコだったョ~
何軒か探したが見つからない!
しゃーない!最後の手段!
ホイップクリームで手作りだー!
……って、ごまかしちゃったー!
てなわけで、
これは今日のゆうちゃんのです。
はい!
これは今日の家族のお相伴用です。
ゆうちゃんは、今日は夜勤なので、
これから起きてから,ケーキの朝食(PM5:00)
誕生日ディナーメニューは、一日遅れの
明日の朝9時半ごろ、ステーキとなります!
あああ…ややこしや~~!!
今年は近所での事件・事故が多い年でした。
今朝もまだ仕事中(8時半頃)、
消防車やらパトカーやら救急車やらがいっぱい来て、
なにやら川を降りる姿が見えたり、下を覗いたり。。。
なに騒いでるのかと思えば、
すぐそばの川にどざえもんが流れてきたようで、
大変な騒動になっていたようです。
半そでだったようですが、
酔っ払って落ちたのでしょうか?
昨日も飲みすぎたらしい19歳の大学生が小指を切断する
という事故(何にはさまったのかなあ。。。聞き逃した)や、
飲酒運転事故で死亡などのニュースも絶えませんね。
これからまだまだ忘年会は続く方もいらっしゃるでしょうが、
くれぐれも飲みすぎないよう、飲ませ過ぎないよう、
皆様、十分お気をつけくださいね。
(今回はニュース出るかなあ・・・?)
今年もあと少しで終わりです。が、
もう少し気を引き締めて新年を迎えるとしましょう!
最近の義母は調子がいいみたい。
一緒に住もうかという弟さんの申し出を断り、
やはりひとりがいいと、
もう少し狭いマンションを探そうと言っています。
どうしても人がそばにいると、
気を使ってしまいがちですからね。
今年はもうあわただしいから来年にするらしいけれど、
なかなかそれ相応の物件は見つからないみたい。
義母の弟である叔父さんとも、私から見れば仲が
いいと思っていたら、結構けんかもするんだって。
と、この間話してくれたんです。
(へ~、そうなんだー!)
兄弟がいないからそこんとこはあまりわからないけど。
今のマンションは、水漏れが原因で家主さんに
提供してもらったところなので、広い割には安くして
頂いているみたい。でも広すぎるんだって!
市内は家賃が高いからなあ・・・
適当なところがなかなか見つかりませんねぇ。
昨日の忘年会は、義母と義姉の3人だったので、
マーちゃんがアッシー君してくれました。(珍しいこっちゃ♪)
一緒に飲食すればいいのに・・・
なぜかうちのマーちゃんは外食が嫌いな人なのです。
今回は義母の快気祝いを兼ねた忘年会でした。
しかし、・・・切除手術毎にしてるような・・・
実は義母は、胃に良性のポリープができやすい性質らしい
ので、3~6ヶ月ごとに大きくなったのを切除しています。
でも、今は簡単で一泊だけで帰れます。
「お医者さんの許しが出たからって、
そんなにすぐすぐ飲んでいいんか~!」
なんて義姉に言われながらも楽しめるってことは、
義母にとって一番の癒しになってることでしょう。
この間図書館で、「カムイ伝」を続け借りしていた人が何人か
いました。今年上映された映画の影響でしょう!
格好よかったですからね、カムイ役の松山ケンイチ君は!
他の役者さんも、小雪さん、伊藤英明さん、佐藤浩市さんなど
人気ある人も起用されてましたからね。
しかし、 「カムイ伝」を知ってる私としては、まさかこれが映画化
されるとは思ってもいませんでしたね。
それほど衝撃的な漫画だったからです。
昔のアニメの時も少しびっくりしたぐらいですが、アニメはただ単
に、忍者を抜ける抜け忍の掟によって刺客が送られ、死ぬまで
戦い続けねばならないというようなストーリーでしたね。
ま、カムイ個人を主体にした外伝の方ですから、忍者好きの
世界中の外人さんにも人気はあったようですね。
来年2010年2月17日に、DVD&ブルーレイも発売されるようです。
「カムイ伝」の方はまだ、完結にはなってないようで、1998~
2000年の第二部に続きました。原作者、白土三平氏によると、
まだ第三部を構想執筆中だそうです。
私は小学生の時から時代物が好きで忍者ものも当然大好きで、
コミックスも全52巻ぐらいあったと思いますが全巻集めました。
当時はただ単に興味ある面白い漫画という感覚だけでした。
まだ、歴史好きになるまでには至りませんでした。
結婚するときマンション住まいには流石に置き場所も無いので、
近所の施設へその他集めたものも全て寄付してきたのですが。。。
なぜ、今頃?と思われるでしょうが、
今回、仏教を勉強していてこの作品を思い出し、
そして問題にも関係があると言うことで、私個人の趣味の
姓名由来にも関わりがあるとたどりついたのです。
(地名が無くなるという事はそういう事実を消すことに繋がる所もあるかもしれない)
今、「カムイ伝」は大学でも講義や授業でも使われている教授も
いらっしゃるようです。差別、問題だけでなく、職業の上でも
参考になるようです。
差別に対しては、社会的問題か、生物的理由(見た目の違い等)
に基づいた問題か、また動物(カムイ伝に仲間はずれにされる
白い狼が出てきます)の世界からはどうなんだろう。。。
というような問題提議をして論議あるいは講義されているようです。
前者は社会的な差別が「」という差別される集団を作って
しまっている、後者の「ハンディキャップ」差別の場合は、個人の持っている
個性に関わる部分が背景にあって差別されています。
そして、問題には大きく仏教が関わっていたようです。
での記事、江戸時代の全ての人間は寺の檀家とならなければ
ならないという「寺請制」が拭いきれない差別を作ってしまって
認められていませんでした。
にも関わらず、「寺の檀家になれ!」とはどういうことでしょう。
ーーー当然、差別するための寺(穢寺)を作るのは
目に見えるように想像できるというものでしょう。。。
ここで、やっと「差別戒名」と言う言葉の本当の意味が解りました。
問題は、今まではっきり知らないから、なんとなく過ごして
きて、仏教からここへと繋がってしまいました。
今回、私はこの問題を避けようかとも思いましたが、やはり
事実は事実と受け取り、少しでも多くの方に知ってもらい
偏見や差別が無くなる事を願い、記録することにしました。
時代背景がそうさせたとはいえ 、
中国で形が変わったとはいえ、
さらに日本にたどりつき変貌してきたとはいえ、
仏教の始祖釈迦は、本来みな平等であるべき
と差別無く付き合ったがために、インドでは下級とされ廃れて
しまったというのに、他の国でこんなふうに歪みながら栄えて
しまった仏教を嘆き悲しんできたことでしょうね、
とつくづく思わずにはいられません。
え た
「」語源 (『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
「」ということばの文献上の初出は13世紀においてであり、
『天狗草紙』などに見られる。江戸幕府の公文書には1644年
以降に現れる。
935年に編纂された『和名類聚抄』は「屠児」の訓を「恵止利
(えとり)」とした上で「牛馬を屠り肉を取り鷹雞の餌とするの義なり」
と解説している。また、1275年に北条実時に献上されたとされる
『名語記』には「河原の辺に住して牛馬を食する人をゑたとなつく、
如何」「ゑたは餌取也。ゑとりをゑたといへる也」と記されており、
また同時期の『塵袋』には「根本は餌取と云ふへき歟。
餌と云ふは、ししむら鷹の餌を云ふなるへし」とある。
つまり、元々は鷹などを飼うための餌を取る職業を意味しており、
それが転じて殺生を業とする者全般がと呼ばれるようになった。
「」という呼び名には、元々「えた」と呼ばれており、
穢れが多い仕事をするとして「」という字をあてたという説や、
蝦夷(えぞ)との関連を指摘する説、更には掃除人夫を意味する
穢手(えて)が訛ったという説など、諸説があり、確定していない。
時に「エッタ」などとなまって呼ばれることもあり、地域によっては
「エッタボシ」(「法師」の読みか)などの呼称もある。
忍風カムイ外伝 OP/ED
↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=ZLrYqgMZIJ8&feature=related
【江戸幕府の宗教政策】
寺請制度・檀家制度の確立へ
≪本山末寺の制≫
・僧二人を顧問に据えた。
(仏教格宗派を取り込むため)
① 天台宗の天海(1536~1643)
② 臨済宗の金地院(以心)崇伝〈すうでん〉(1569~1633)
・内部事情に詳しい二人の意見で、各宗派に「法度(はっと)」という
定め書きを与えて、本山を頂点にして、中本山、直末寺、末寺と
いったピラミッド型の組織を作らせた。
・本山の責任者である大僧正の任命権は、幕府が握った。
つまり、本山に幕府のイキのかかった人物を据える事で、
末端まで幕府の意思を伝えるラインを確立した。
・本山には、末寺までの住職の任命と財産管理の権利を認めた。
↓ (双方が納得する形でスタート)
・切支丹信者を探し出して転宗をすすめ、転宗しない信者は追放
するなど、厳しい処分で成果をあげる。
↓
・1637(寛永十四)年、島原の乱が起こる。
九州島原半島でキリスト教徒3万人による大反乱に大衝撃!
原因は島原藩の圧政にあったが、
最後は幕府軍に全員殺され終結した。
↓ (切支丹信仰の根強さを警戒のため)
≪寺請制度≫ (今日の基本がスタート)
・日本人一人一人を強制的に仏教徒として管理する
「寺請」制度が考え出された。
・最初は、禁教とされた切支丹から仏教徒に転向した
人間についてのみ適用された。
↓
・やがて、全ての日本人(神主も含む)にどれか寺の檀家
となるよう義務付けられて行った。
『宗門人別帖』(=檀家の戸主と家族について、生まれから
死亡までを書き込んだもの)を各藩に対して定期的に提出
させるようになった。(戸籍上の役割を果たすもの)
旅行に使う関所手形の発行・結婚・離婚・移住・奉公人の出入
りなどに『寺請証文』が必ず必要となり、お寺の権力が増した。
〔強制と浸透〕
民衆に仏教への信仰強制はなかなか簡単ではなかったようで、
そのために利用された文書があります。
慶長十八(1613)年五月、
「神君様御掟目(しんくんさまごじょうもく)十六箇条 宗門檀那請合掟」
(神君様=徳川家康)
現代に繋がる戒名制度はこのときスタートしました。この文書
は、いかにも幕府の方針であるかのように庶民を説得するのに
利用したようですが、後に幕府の関与しない、元禄時代(1688
~1704)以降の偽文書であることが指摘されているようです。
仏教(寺院)への帰依を強制するような内容をもつもので、
切支丹や禁教とされた日蓮宗の不住布施派の徒としての疑
いをかけられたくないなら、檀那寺との関係を密にしろと言う
ようなことが書かれているそうです。(竹田聴洲『先祖崇拝』参照)
〔檀家へのすすめ〕
・寺の行事に参加すること
・寺の用事や修理、建立をつとめること
・葬式の際には一切の寺の指図により、死者に剃刀を与え、
住職から戒名をつけてもらい、引導をわたしてもらうこと
・中陰・年忌・命日、あるいは先祖の仏事法要を怠らないこと
等々…
江戸時代においての戒名は仏教の信仰に対する証ではなく、
危険宗教を持っていないと言う社会への身分証明だったのです。
寺請制度の確立によって、仏教が民衆の生活に浸透し、
仏教式葬儀が一般化していくことになりました。
そして、強制による戒名やお布施への負担などの問題も
出て、批判する声も出てきました。
現代も似たようなこと、あると思います。。。
→次回 戒名へと続きます。
『お坊さんが困る仏教の話』:村井幸三著参照
『戒名 なぜ死後に名前を変えるのか』:島田裕巳著参照