「昨日、白いタイヤキやさん、凄い並んでたで~!」
「知ってる、知ってるー!!」
「年よりは、喉詰まるからやめといた方がいいで~!
ってうちの子供いいよんねん。まだ若いワイ!っていうたった。」
なあんて、今日会社で話題になっていた。
私も昨日、ブログで見たところだった。
へ~~どんなんだろうと思ってたところ、
近くの玉造にもできたとのこと。
たった2~3日ほど行かなかっただけでもう新しくなってた。
ここお弁当やさんかラーメン屋さんだった気がする。
入ったことがないと案外覚えていないもんだなあ。
この道路をはさんだ前には「BOOK・OF」がある。
ここも去年ぐらいにできたところだ。
今日も図書館が休み(連休)だったので、ここにきた。
「博多一国堂・玉造店」
まるで、ラーメン屋さんの名前だね。
それとも関係あるのかな?
抹茶・黒あん・白あん
ほかにも、クリーム・赤あん・チョコレートがあった。
外はパリパリ、中はもちもち。
お餅ですね。どちらかというと。
程よい甘さで美味しかったですよ。
欲を言えば、
白あんも粒あんにしてほしかったなあ。
≪追記≫
2009.4.2.(記)
東京にもあるようです。↓
http://blog.livedoor.jp/saginomiyan/archives/51443240.html
http://www.enjoytokyo.jp/id/cazcaz/166709.html
小麦粉にタピオカ粉、卵白を混ぜて焼いた皮の白さが特徴で
黒あん、白あん、カスタード、チョコ(各130円)
大阪の茨木にもありましたよ。
ゆうちゃんには、親友(かどうかは定かでない)がいる。
毎週金曜日、オールでカラオケに行く友人だ。
ようやく、彼の母親も金曜日出かけるとなれば、うちのゆうちゃんと
一緒ということが知れてきていたようだ。
私にとっては4年前から熟知していたことだが・・。
とうとう4月(明日)から社会人だ。
確か二週前だったか、ひとりごとを聞いた時には、父親の紹介で知人
の会社へ入社が決まったと言っていたが、今日あれっ?と驚く。
「予定してたとこ、潰れたらしい。。。僕はな、家継いだらいいやん!
ってすすめてんけど・・・。今までどおりに金曜日出かけられるでぇ~
ってさ。全ての友達からも言われたらしいでぇ~。」
確かに潰れるかも知れんからと言ってはいたが、
病院のリハビリ関係の仕事をすることになったらしい。
歩いて5分・・もかからんなあ、あそこなら。
ゆうちゃんが子供時代救急でよく通ってたところである。
しかもヘルパーなどの資格も持ってないとちゃんと言ったとのこと。
なんだか、ヘルパー制度自体、変わる様な事を言っていて気に
なった。必要ないという仕事もあるのだろうが、彼が受けた時は
自分一人だけだったのが、当日即決(しかも正社員)の後、80人
も来たそうだ。介護の勉強もしてない者がそんなに簡単に福祉の
仕事についていいものか・・・流石に彼も気になったという。
2週間の適正研修(バイト期間)をもうけるから、合わなければ
やめてもいいとのこと。
福祉の勉強をしても採ってくれるところがないと、つい最近まで
聞いたものだが、ラッキーな人もいるもんだ。
なんにせよ、これをきっかけにでも、介護の仕事に興味が湧けば
仕事も面白くなってくるでしょう。
若いうちはどんなことでもやってみるのもいいですね。
新社会人の皆さんも、明日から頑張って頂きたいものですね。
山鹿素行の説
旗に紋を描いたのは7世紀はじめの聖徳太子の時に始まったが、
武家が家のシンボルとして旗に紋を付したのは源の頼朝の頃・・・
12世紀末だという。(『武家事紀』)
新井白石の説
紋は蓋(きぬがさ)の紋と牛車につけられた紋が起こりであろう。
いわゆる平安後期(11世紀末)。(『紳書』)
伊勢貞丈の説
武家の紋は旗幕の目印として保元、平治の頃にはじまったのでは
ないか。平安末期(1156~59)の頃。(『四季草』)
生田目経徳氏の説
平安初期説。9世紀ごろの発生としている。
家紋が上古の品部に起源をもつもので、各職能の記票とした遺制を
後世の武家が用いた。
沼田頼輔氏の説
弘仁・天長(810~834)以後の皇族賜姓の頃、
いまだ源、平、藤、橘の四大姓に固定した紋がなかった。
『日本家紋総覧コンパクト版』:参照
一般的によく言われているのが、
公家の輿車(こしぐるま)に、武家では旗・幕・盾・武具
から始まり、衣服、調度品など生活用具、さらに建築物、
石碑、仏具にまで広く用いられるようになった。
鎌倉時代一般化していなかったが、南北朝時代に
直垂につけるようになり、これが礼服となった。
羽織が盛んになったのは徳川時代。しかし、
当時は民間でも紋の入った裃(かみしも)を
用いたので、礼服としては通用しなかった。
紋付羽織が礼服として盛んになったのは、
刀を捨てた明治維新後で、しかも男のみに限った。
元禄時代になると、装飾的な面が強調されるようになり、
家紋の形も優美になり、派手な世相を反映し、金糸を
使った縫い紋・鹿子紋など工夫され、用途も広範多岐に渡り
一挙に拡大していった。
現代でも同じような使われ方をして、消えることなく
続いてきたのは、礼服とのつながりが非常に
強かったからだと言えるかもしれない。
さらに、今では、会社のマーク、ネクタイ、タイピン、
カフス、コンパクト、帯留、バックルなど装飾品、
アクセサリー、五月人形や雛人形にもつけられている。
女性が美しくなりたいと思うのは今も昔も同じようで、
優美に華やかに魅せるために、帯が発達したので
紋付羽織でも礼服ではないんですね。何よりも、
長い間、男性社会だったということも関係してる
とは思いますが。。。
ねむの木の子守歌(ヘイリー)
今年は天皇、皇后両陛下のご成婚50年にあたることもあり、
ヘイリー側が同曲を歌う意向を宮内庁に打診したところ
了承されたとのこと。詞の著作権は美智子さまが66年、
肢体の不自由な子どもらのために
「日本肢体不自由児協会」に賜与なさっており、
CDの印税は同協会に入る。
美智子さまの手紙
「犠牲は幸福に繋がるものではないでしょうか?」
に込められた思い、そして正子さまへの御伝授。
御家族への配慮・思いやりが込められているものでしょう。
美智子さまの帽子
先日25日も、皇室のスペシャルTV番組してましたが、
いつも中睦まじいお姿で微笑ましいですね。
小さな御帽子ひとつにも、
周囲の人々への思いやりを込めているもので、
だんだん小さく小さくなっていったとは知りませんでした。
れんげ草/ビリー・バンバン
私の覚えている故郷のれんげ草は、
田んぼになる前の段々畑に
一面に咲いていました。
れんげ草で首飾りを作ったことが思い出されます。
今は家が段々畑にも建って面影もありません。
れんげ草は、古来より緑肥用。
根に根粒菌が共生し、空気窒素を固定するので
土中のチッソ供給源となるんですね。
「れんげまつり」ってネットで見つけました。
今は・・勝手に咲くものでもなかったんですね。
苦労して育ててきたものだそうです。
(三熊花顛『続近世奇人伝』)
BEGIN with アホナスターズ/笑顔のまんま
Youtube、リクエストによる埋め込み無効でしたので
URLよりどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=X7blqYsxClE
または、PV動画を視聴/試聴 URL
http://musicmovie.blog48.fc2.com/blog-entry-5904.html
「生きてるだけで丸儲け」
さんまさんの娘さん、
いまるちゃんの名前の由来だそうですよ。
現在、関西テレビ「さんまのまんま」のエンディグテーマ
となっているが、2009年3月19日(木)~3月22日(日)まで
開催される沖縄国際映画祭のテーマソングにもなっている。
今日はお墓参りに行ってきました。
車の中で聞いた曲に感動です。
すずき様へ
やっと手がかりを見つけました。
長岡市ホームページ より検索。
→ 観光
→ ゆかりの達人
「 (1577年~1639年)豊臣秀吉の小姓であったが、
慶長年中蔵王堂城主堀鶴千代の後見役を勤め、
その頃から長岡城と城下町の築造を始めた。
元和2年蔵王堂城8万石の城主となって
これを更に進めたが、元和4年村上に移った。」
さらに、堀 直竒 (ほり なおより) をネットで調べて、
〔 2004/11/03:武将の銅像・・・堀直竒 〕
のアップより、銅像とともに詳しく知ることができます。(下記引用)
「特に2度にわたる長岡在城中には、
長岡城の建設および城下の整備、
信濃川の河口である新潟までの航路の整備によって
長岡だけではなく新潟も港町として発展するようになります。
ちなみに当時の新潟市周辺は沼地や潟が多く、
人が住むには難しい土地だったと思います。
以上から、現在の新潟市の発展は
直竒抜きでは考えられないことになります。」
さて、すずきさんの場合ですが、
もしかしたらこの長岡城を作った 堀直竒 に、
何らかの繋がりがあるかもしれませんね。
まずここで、『豊臣秀吉の小姓』に注目しました。
秀吉と言えば、天正十九年の
「菊桐禁止令」が思い浮かびます。
堀直竒 は 銅像より≪中菱≫が定紋であったと思われますが、
秀吉の小姓というからには≪桐紋≫を頂いていたかもしれません。
そんな、秀吉とかかわりのある人が、住むには大変な土地を
開拓しにきたのだから、有難がられたのかもしれませんね。
もし、
スズキさんの家が家紋がなかった家なら、
秀吉の桐紋の人気にあやかった可能性もあります。
禁止令が出るまでは定紋にもできましたからね。
家紋 ワールドさんの
を参考にして頂けばわかるでしょうが、
昔は、家紋はそれぞれの場所へ行くのに
ふさわしい家紋を使っていた武家も多かったようです。
定紋も時代によって変えていた家もあるようです。
それに、「秀」という字も気になります。
もし、すずきさんが
苗字の持っていない家だったとすれば、
何かしら気に入られて、
苗字を授かった可能性もあるでしょう。
あるいは、先祖が苗字を決めるときに、
秀吉にあやかったのかもしれませんね。
また、お百姓さんなどの場合は、
「田んぼの中のウメさん=田中ウメ」
という感じで、
「沢の近くの秀でた○○さん=秀沢○○」
なんて
つけられたのかもしれません。
≪おまけ≫
苗字の百貨店 というホームページから検索した、
【 「ひ」で始まる珍しい苗字 】 から、
秀沢さんは電子電話帳で8件あり、
(この4,5倍したものが実際の件数に近いものだそうです)
新潟県には5件とありました。
くるみのブラウニー
【 材料 】
(丸型プレート1台分)
卵 2個
ブラウンシュガー 100g
刻んだチョコ 200g
とかしバター 120g
刻んだくるみ 150g
ラムレーズン 100g
小麦粉 80g
ベーキングパウダー 小さじ1
今回は小麦粉とベーキングパウダーの代わりに
市販のホットケーキミックスを使いました。
かなり楽チンでした!!
【 作り方 】
①、 小麦粉はベーキングパウダーと共に、ふるっておく。
(ホットケーキミックスを使う場合:150g)
(ふるわなくてもよい)
②、 卵とブラウンシュガーを泡立て機でよく混ぜる。
③、 ②にチョコ・バター・くるみ・レーズン
を入れざっくり混ぜる。
④、 ①も入れ、ゴムヘラでよく混ぜる。
⑤、 オーブンシートを敷いた天板に、
生地を流し入れ、平らにならす。
⑥、 160度のオーブンで30分焼く。
⑦、 オーブンから出して、冷ます。
適当に切って出来上がり。
ホットケーキミックスを入れる場合は3分の1量の
粉の上にくるみと乗せるように入れると
焼いた時くるみが底に偏らないですよ。
基本は混ぜるだけなので簡単ですよ。
≪チョコレートとバターを湯せんで溶かしておく≫
という方法でも大丈夫ですよ。
一日遅れの Whiteday!
今回はうっかり途中写真を忘れてしまいました。
ゆうちゃんの危なっかしい手つきを見ていたからね。
出来たての端っこのつまみ食いはもちろん、
3人でいたしましたとさっ!!!
(お兄はお仕事)
お~~い、ゆうちゃ~ん!
どんだけーつまみ食いするんだよー!!!
この母の分も、残しといてんかー!
余談
お義父さんからは、ケンテルのクラッシックケーキ、
叔父さんからは、ケンテルのクッキー、
マーちゃんからは、やっぱり・・・
ビールでした。
ありがとう!ありがとう!
感謝、感謝の日でした。
久々のゆうちゃんの話題。
昨日14日、ホワイトデー。
ゆうちゃんはオールナイトでカラオケからの朝帰り。
なので、おデートではありませんでした。
一日遅れのホワイトデーのための下準備でした。
あれは、1週間前のこと。
彼女との話。
彼 女 :「お返し、いつもは何返してるの?」
ゆうちゃん:「中学まではブラウニーってお菓子作って返してた。」
彼 女 :「えっ?手作り?美味しいの?」
ゆうちゃん:「めっちゃ、うまいねん!」
我が家では、小学生のときはできるだけ手作りをと、毎年作っては、
おばあちゃんやおばあちゃんのお友達に渡していました。
これからの子供は女も男もない育て方をできるだけしないと・・
という私の考えでした。それに、忙しいからこそ、そういう時間を持つ
ことに意義があるのと気持ちを込めることを教えるためでした。
そうしたら、彼女が、「それ食べたい!」だってさ。
「ちゃんと、お母さんと一緒にって言ったんやろうねえ!!」と、私。
「うん。食べたいって言われたときに、あっ、しもた!って
思てんけど・・・うまい!って言うてもてん。」
「さあ、お母さんしょーか!!」
「お~い、あんだけしててできないのー!!」
「おお!可愛いお母様~~。
忘れっちゃったので教えてくださいませませ~~♪
お母さんの作ったものは何でもうまいっすー♪♪」
・
・
・
そんなこんなで、何年ぶりかのゆうちゃんとのお菓子作りでした。
しっかり、つまみ食いなどもしましたよ。
そして・・・夕方。
焼きあがってできて冷めたころ・・・
買い物へ行こうとした私に、
「え・・・と、あ、やっぱり!!詰める箱・・なかったんや~~。
とは思ったんやけどな~~。
センスの良いお母様~~~♪♪♪ 箱、頼んますー!
宜しくお願いしっま~~す!!ありがとーさんでーす。」
ホントっに、こいつは・・・チョーシいいやっちゃ!
なんて思いつつも、ニヤニヤ喜んでいる、母なのでした。
ゆうちゃんの一日遅れのWhiteday!
彼女のん。
ご家族へ
ブラウニーのレシピは次のページにて・・