オーソレ、何それ?

私、o_sole_mioが好きな歴史、旬の話題、
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適当に書きつづります。

今読んでいる本3

2008-12-27 11:53:02 | 太平洋戦争
これまでご紹介しました通りHarry A. Gailey著「The War in the Pacific」を読んでおりますが、旅行や出張がなどで進まず、ようやくフィリピン戦線が終わりました。

ソロモン、ニューギニア、マリアナ、フィリピン、そして硫黄島、沖縄と米軍を中心とする連合軍の進攻は大きな犠牲を払ってものでした。これは日本軍のまさに命がけの抵抗によるところが大きいと思います。

フィリピン戦線の終盤、マニラ市街地の攻防戦がありますが、ここで気になる記述を見つけました。

「The city's Filipino population suffered unblievable horrors. Although many became casualties of the fighting, even worse had been the orgy of torture, rape and murder by the doomed Japanese defenders」

これは、俗に「マニラ大虐殺」と呼ばれた事件に関する記述ですが、マニラ市街戦によって10万人のマニラ市民が死亡しています。戦闘の巻き添え、米軍の砲撃または爆撃もあるようですが、この原因の多くは日本軍による殺害によるとされています。一橋大学の中野教授(戦後50年とフィリピン)によりますと、10万人のフィリピン市民の犠牲者のうち約7割が「日本軍による殺戮と残虐行為の犠牲者だとされる」とのことです。当時日本陸軍のフィリピン方面の責任者だった山下奉文大将はこの殺戮行為の責任を問われ死刑判決を受け1946年に処刑されました。

南京事件同様、保守の側からはマニラ大虐殺を日本軍の責任に帰することは「濡れ衣」との主張がありますが、フィリピンからこの事件について今日取り上げられることもないことから国内でも南京事件ほどの論争とはなっていません。その要因としては、フィリピンの歴史教育がこの事件をさほど大きく取り上げていないこと、戦後日本との経済的な結びつきから対日感情が好転していったこと、フィリピン国内でいまだにテロやゲリラなどの武装勢力による殺戮行為が今日でも起きていること、などが挙げられると思われます。しかし戦争の記憶が鮮明に残っていた1960年代まではフィリピンの対日感情はかなり悪かったようです。

なおフィリピンに対する日本軍の占領行為の賠償は1956年に賠償総額5億5000万ドルで妥結したとのことで、戦闘を行った米国も物的損害に対する補償の必要を認めて1946年に総計6億2000万ドルの賠償を行ったそうです。

ここ数年フィリピンを含む各国議会が日本に対して従軍慰安婦に関する謝罪を求める決議を提出する動きがありますが、反日勢力の「プロパガンダ」と一蹴する前にこういった「日本軍の行為」とされる事件が各地で起きていることを認識する必要があると思います。

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