今年の夏の甲子園は早稲田実業が駒大苫小牧を引き分け再試合の末下し、夏の甲子園として初の優勝を遂げました。駒大苫小牧は惜しくも3連覇を逃しました。
昨年も夏の甲子園について記事にしていますが、昨年に続いて盛り上がった夏の甲子園になったのではないでしょうか。本塁打の数が最多となり打高投低が指摘されていますが、引き分け再試合を投げぬいた早実斎藤、駒苫田中の両投手は本当に立派だったと思います。特に優勝投手となった斎藤投手は引き分けとなった試合の最終回に147km~146kmの速球で駒苫打線を打ち取ったのは印象的でした。ただ、これだけの肩の酷使が両投手のこれからのキャリアにどのように影響するかは少し気がかりです。
また今年は惜しくも3連覇を逃した駒苫の香田監督ですが、相次いだ不祥事を乗り越え一度は監督を辞任しながら、復帰後チームを建て直して3年連続で決勝戦進出を果たしました。不祥事の責任問題として議論の余地はあるかとは思いますが、苦難を乗り越えての達成には敬意を表したいと思います。
今回の甲子園の決勝戦は延長15回引き分けの後の再試合で決着がつきましたが、決勝戦が引き分け再試合になったのは1969年の三沢-松山商戦以来です。このときは引き分け再試合の規定が18回でした。三沢-太田、松山商-井上の両エースの投げあいでは18回では0-0のまま決着がつかず、翌日の再試合では選手層の厚い松山商業が地力の差を見せて4-2で三沢を破り、真紅の優勝旗を手にしました。当時私は夏休みで親戚の家でテレビを見ていたのですが、夏の暑さとセミの声が併せて思い出されます。
延長18回の引き分け再試合で有名だったのが1958年(これはさすがに私が生まれる前ですが)の準々決勝での徳島商-坂東、魚津-村椿の投げあいです。本格派の剛速球投手の坂東と技巧派の村椿の投げ合いはこれも一歩も譲らず0-0で18回を終えました。翌日は魚津が控え投手を先発させ村椿を温存しましたが、先取点を取られた後村椿が救援したものの追加点を奪われ、魚津高校は健闘むなしく1-3で惜しくも敗退しました。
徳島商は準決勝も作新学園を破り決勝へ駒を進めましたが、さすがの豪腕投手、坂東投手の体力の消耗は著しく、決勝戦では山口県の柳井高校に打ち込まれ0-7で破れましたが、堂々の準優勝を果たしました。ちなみに「漁夫の利」を得た形となった(もちろん決勝戦までいったことがすごいのですが)柳井高校ですが、県下でも有数の進学校としても知られています。
さらに徳島商の坂東投手ですが、後にプロ野球に進み中日ドラゴンズでストッパーとして活躍、引退後タレントや司会者として人気者になった坂東英二さんその人です。坂東英二さんの大会奪三振記録83個というのは未だに破られていない、といいますかおそらく破られることがないであろうと言われている大会記録です。
斎藤4連投で早実初の夏制覇…執念で駒苫田中打ち崩す (夕刊フジ) - goo ニュース
昨年も夏の甲子園について記事にしていますが、昨年に続いて盛り上がった夏の甲子園になったのではないでしょうか。本塁打の数が最多となり打高投低が指摘されていますが、引き分け再試合を投げぬいた早実斎藤、駒苫田中の両投手は本当に立派だったと思います。特に優勝投手となった斎藤投手は引き分けとなった試合の最終回に147km~146kmの速球で駒苫打線を打ち取ったのは印象的でした。ただ、これだけの肩の酷使が両投手のこれからのキャリアにどのように影響するかは少し気がかりです。
また今年は惜しくも3連覇を逃した駒苫の香田監督ですが、相次いだ不祥事を乗り越え一度は監督を辞任しながら、復帰後チームを建て直して3年連続で決勝戦進出を果たしました。不祥事の責任問題として議論の余地はあるかとは思いますが、苦難を乗り越えての達成には敬意を表したいと思います。
今回の甲子園の決勝戦は延長15回引き分けの後の再試合で決着がつきましたが、決勝戦が引き分け再試合になったのは1969年の三沢-松山商戦以来です。このときは引き分け再試合の規定が18回でした。三沢-太田、松山商-井上の両エースの投げあいでは18回では0-0のまま決着がつかず、翌日の再試合では選手層の厚い松山商業が地力の差を見せて4-2で三沢を破り、真紅の優勝旗を手にしました。当時私は夏休みで親戚の家でテレビを見ていたのですが、夏の暑さとセミの声が併せて思い出されます。
延長18回の引き分け再試合で有名だったのが1958年(これはさすがに私が生まれる前ですが)の準々決勝での徳島商-坂東、魚津-村椿の投げあいです。本格派の剛速球投手の坂東と技巧派の村椿の投げ合いはこれも一歩も譲らず0-0で18回を終えました。翌日は魚津が控え投手を先発させ村椿を温存しましたが、先取点を取られた後村椿が救援したものの追加点を奪われ、魚津高校は健闘むなしく1-3で惜しくも敗退しました。
徳島商は準決勝も作新学園を破り決勝へ駒を進めましたが、さすがの豪腕投手、坂東投手の体力の消耗は著しく、決勝戦では山口県の柳井高校に打ち込まれ0-7で破れましたが、堂々の準優勝を果たしました。ちなみに「漁夫の利」を得た形となった(もちろん決勝戦までいったことがすごいのですが)柳井高校ですが、県下でも有数の進学校としても知られています。
さらに徳島商の坂東投手ですが、後にプロ野球に進み中日ドラゴンズでストッパーとして活躍、引退後タレントや司会者として人気者になった坂東英二さんその人です。坂東英二さんの大会奪三振記録83個というのは未だに破られていない、といいますかおそらく破られることがないであろうと言われている大会記録です。
斎藤4連投で早実初の夏制覇…執念で駒苫田中打ち崩す (夕刊フジ) - goo ニュース
自ブログでも記事にしましたが、今大会は実にスリリングな試合が多かったですね。逆転勝利が多かった事も然る事ながら、やはり斎藤&田中両投手の投げ合いに心を打たれました。
TV等では、「これでプロ野球人気も復活する。」といった御気楽な意見も出ていますが、そんな甘いものではないと思っています。WBCのあの異常な盛り上がりを以ってしても駄目だったのですから。唯実際には、野球人気の低落と言うよりも、ジャイアンツ人気の低落と言った方が正しいのですが(苦笑)。
板東氏、凄い選手だったんですよね。今は単なる金儲け好きのおっちゃんと化してしまっていますが(笑)。
書き込み戴いた件ですが、自分は歴史の中でも近・現代史が特に好きで、逆に古代史は結構疎かったりします。でも、往時に思いを馳せて、色々想像するのって楽しいものです。
そもそも歴史書の類は、それが現存しているという段階で、時の為政者達にとって都合の良い形に変えられて(又は都合の良い形で書かれて)いる可能性が非常に高いと言えます。埋もれている諸文献や史跡を基に、これ迄事実と思われて来た事柄の矛盾を究明して行くのも、これ又歴史学の醍醐味でしょうね。
高校野球の醍醐味といえば、ミラクルともいえる逆転劇で、今年は智弁和歌山-帝京など印象に残る試合も多かったですね。しかし今年の甲子園のヒーローはやはり斎藤投手で、太田幸司、荒木大輔に並ぶ高校球界のアイドル誕生といったところでしょうか。しかも斎藤投手は、奪三振78を記録し坂東氏の不滅と考えられていた記録(83個)に迫ってたのですね。
古代史は、歴史書などとつじつまの合わない部分がかなりありますので、自分の立てた根拠の乏しい仮説を裏付けるような発見や研究者の論説を見かけると「してやったり」と思ってしまいます。
甲子園での球児達のプレーを見守り、そしてやがて彼等の内の何人かがプロ入りして切磋琢磨して行く。そんな成長過程を”肉親”が如き立場で楽しめるのも、高校野球の醍醐味ですよね。
それと、荒木大輔投手が甲子園で活躍した年に生まれた子供に、「ダイスケ」と名付ける親が急増し、それによって十数年後の球児達の中に「ダイスケ」という名前の選手が多く見られた・・・というのは有名な話ですが、今回も十数年後に「ユウキ」という名前の球児が多く甲子園で見られるか、今から楽しみです^^。
o_sole_mio様が書かれている様に、「自らの立てた根拠の乏しい仮説が、新たな発見や研究者の論説で裏付けされた時の何とも言えない喜び。」というのは歴史の醍醐味でも在りますね。だからこそ「神の手事件」の様な事が起こると、非常に腹立たしい思いが在ります。
http://www.asahi-net.or.jp/~XN9H-HYSK/godhand/
見守ると言えば印象深いのが、1974年の夏の大会です。原、篠塚、定岡と'80年~'90年代の巨人を支えた選手たちが甲子園で大活躍した大会だと記憶しています。また1982年は岡山県大会決勝の川相選手のサヨナラタイムリーがこの選手が将来発揮する「強さ」を象徴する試合だったのだと、今になって思い出されます。自分が見守った選手たちが成長しプロ野球で活躍することはやはり嬉しいですね。
古代史といえばご指摘の「神の手事件」はやはり汚点だと思います。この捏造によって確立した「古代史の定説」が反故になった影響は決して小さくなく、その罪は重いと思います。
今年の高校野球は、かなり面白い大会でしたね。
先日の朝日新聞に、優勝した早実の監督に関する記事が掲載されてました。
若い頃には、山口県の南陽工に赴任し、
チームを実力校に仕立てたそうですが、
あまりの厳しさに選手全員から後に反発をくらい、
結局辞任することになったようです。
そのときの苦い経験から、
今の指導に変更されたそうで、
そういう意味では、南陽工も、
今回の優勝に一部、“貢献”していたのかもしれません。
偶然にも、南陽工は、春夏出場しましたし。
何か、不思議な縁みたいなものを感じました。
南陽工の相手も、準優勝の駒苫でしたしね。
今の早実の監督は南陽工の監督だったのですか。
南陽工も優勝候補相手に善戦したと思います。
野球に限った話ではありませんが、スポーツ指導者も
こういった挫折を乗り越えて「名監督」、「名将」へ
と成長していくのだと思います。
バレーボール女子の日本代表チームを立て直した感の
ある柳本監督ですが、女子のクラブチーム監督時代に
大変苦労したという話を以前されていました。