若生のり子=誰でもポエットでアーティスト

文字さえ書ければ、ポエット
感覚次第で、何でもアート
日日を豊かに遊び心

「ホームレス排除アート」、もしくは「ギザギザハートの現代美術」ということをご存じでしょうか。

2020-12-13 | 現代美術
「美術手帖」12月12日付で、五十嵐太郎氏が、『排除アートと過防備都市の誕生。不寛容をめぐるアートとデザイン』で指摘されています。
<他者の排除に貢献したくないならば、アーティストは慎重にならざるをえない。>

「そういうことだったんだ」と目から鱗で、ノー天気で、何も考えないボンヤリなわたくしでした。
「色々なベンチがあって、この頃はオモシロいな~」ぐらいにしか思っていなかったのです。あさはかでした。

チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られます ネ!(苦笑)

どういうことか、その意味と本質を次に抜粋します。
~~~~~~~~~~~~~~~
《過防備都市の誕生》
近年、排除アートが増えているというニュースが散見される。路上、あるいは公共空間において、特定の機能を持たない、作品らしきものが、その場所を占拠することによって、ホームレスが滞在できないようにするものだ。もっとも、こうした現象は最近始まったわけではない。16年前、すでに筆者は『過防備都市』(中公新書ラクレ、2004)を上梓した際、都市のフィールドワークを通じて、排除アートというべき物体が登場していることを確認した(*1)。有名な作品(?)としては、1996年に新宿西口の地下街でホームレスを排除した後に設置された先端を斜めにカットした円筒状のオブジェ群や、京王井の頭線渋谷駅の改札前において小さな突起物が散りばめられた台状のオブジェなどが挙げられるだろう。都築響一も、『ART iT』2号(アートイット、2004)において、こうしたオブジェに対し、「ホームレス排除アート」、もしくは「ギザギザハートの現代美術」と命名している>

何も考えなければ、歩行者の目を楽しませるアートに見えるかもしれない。ときには動物を型取り、愛らしい相貌をもつケースさえあるから厄介で、ほのぼのとしたニュースとして紹介されることもある。しかし、その意図に気づくと、都市は悪意に満ちている。排除される側の視点から観察したとき、われわれを囲む公共空間はまるで違う姿をむきだしにするはずだ。私見によれば、1990年代後半から、他者への不寛容とセキュリティ意識の増大に伴い、監視カメラが普及するのと平行しながら、こうした排除アートは出現した。ハイテク監視とローテクで物理的な装置である。21世紀の初頭、路上に増えだしたときはニュースにとりあげられたが、いまや監視カメラが遍在するのは、当たり前の風景になった。

<ベンチの真ん中に不自然な間仕切りをつけた排除系ベンチが目立つようになったのも、このころだった。言うまでもなく、ベンチは座るためにデザインされたプロダクトである。だが、通常は細長いことによって、その上で寝そべることも可能だ。これは本来、意図されていなかった機能かもしれないが、ホームレスにとっては地面の上で寝ないですむ台として活用できる。そこで座るという役割だけを残して、寝そべることを不可能にしたのが、間仕切り付きのベンチなのだ。中略。すなわち、誰もが自由に使えるはずの公共空間が、特定の層に対しては厳しい態度で臨み、排除をいとわないものに変容している。おそらく、通常の生活をしている人は、間仕切りがついたことを深く考えなければ、その意図は意識されないだろう。言葉で「~禁止」と、はっきり書いていないからだ。しかし、排除される側にとって、そのメッセージは明快である。

<排除系ベンチは「進化」し、最初から間仕切りを備えたプロダクトが登場した。ベンチのメーカーのホームページを調べると、こうした製品は様々に存在することが確認できる。背もたれがなく、座板が丸みを帯びたベンチは、さらに座るという機能だけに特化される。運動ができる健康増進ベンチという名前で、きわめて不自然な造形を正当化するものも認められた。もちろん、製品の説明にホームレスを排除するためとは書かれていない(はっきりと目的を記していれば、炎上案件だろう)。ともあれ、間仕切りが存在していれば、本来寝そべることは可能だが、それを拒否していることを想起させる。が、極端に座板が細かったり、座板の代わりに線状の部材を並べるようなプロダクトは、間仕切りが必要ない。最初からそこで寝そべることができるかもしれないという選択肢をあらかじめ奪う。だが、ベンチはベンチである以上、座るという機能は残る。ベンチはアートではなく、デザインされたプロダクトだからだ。これをさらに「進化」させると、排除アートになるだろう。(中略)いや「~させない」という否定形の機能はもつ。そもそも公共の空間は、さまざまな行為を許す自由な場なのだが、その可能性を部分的につぶすことに貢献している。とすれば、排除アートは、作者が表現を行うアートではなく、ネガティブな機能をもつデザインなのだ。

実際、「排除アート」にあたる英語としては、やはり「Art」という言葉は使われておらず、「Hostile architecture(敵対的な建築)」や「Defensive urban design(防御的なアーバン・デザイン)」などが使われているという