![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/astro_sagittarius.gif)
達磨と月
月はフリーハンドで描かれたのですか
綺麗ですね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/astro_aries.gif)
ザッコさん
月はまさに曲者でした。
言いたくはないのですが、下書きをしたフリーハンドです。
それでも、小さいので苦労しました。おまけに鉛筆じゃなくてマーカーでしたので尚更です。
何度いなされたことか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/astro_cancer.gif)
達磨!「抱擁」としか見えませんが、修行が足らんのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/astro_scorpio.gif)
アカショウビンさんの別ブログからお借りして
『生存の苦い甘み』
いきとしいけるもののあがないがたい運命を感じ、
この作品を観ていると、わが身が透きとおってきて理由なく哀しくなります。
ザッコさんの『達磨』はスゴイ感覚とお見受けします。
壁観は達磨の宗旨の特徴をなしており、『壁となって観ること』即ち『壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅』のことである。これは後の確立した中国禅において、六祖慧能(638~713)の言葉とされる坐禅の定義などに継承されている。
禅宗では達磨を重要視し、「祖師」の言葉で達磨を表すこともある。禅宗で「祖師西来意」(そしせいらいい:達磨大師が西から来た理由)と言えば、「仏法の根本の意味」ということである。
達磨が面壁九年の座禅によって、手足が腐ってしまったという伝説が起こり、玩具としてのだるまができた。
Wikipediaより
<壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる>
ワコウなどまだまだ魑魅魍魎のなかで煩悩多くて、いつになったらその境地の端っこでもつかめるのかと。
アカショウビンさんはともかく、ワコウは修行が足りません。
まだまだ彷徨い続けることでしょう。