アマユウ 2008年01月11日 05:17
道ならぬ恋の駆け落ち。
アカショウビン 2008年01月11日 07:25
この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなり・・・アマユウさんのイメージから連想すれば「曽根崎心中」の名調子が浮かびます。でも心中のイメージではないですね。
ザッコ 2008年01月11日 13:24
槍の嵐ですね・・・
義経の最後。片方は弁慶か。強いて言えば、静御前。
ワコウ 2008年01月11日 14:35
「越ゆれば到る彼の岸の 玉の台に乗りをへて
仏の姿に身の成橋 衆生済度がままならば
流れの人の此の後は 絶えて心中せぬやうに 守り度いぞと
及び無き 願いも世上のよまい言」
「心中天の網島」より
あーあー
アマユウさん、アカショウビンさん
どうしてそのように、ペシミスティックなんでしょうね~。
ある願望でしょうか? 「心中」というのは。
一途な恋いの成就が心中とは、ちと情けない。
21世紀は、近松の時代とはジダイがチガイますヨ~。
アマユウさんもアカショウビンさんも、世情の“ モツレ”や、“ ネジレ”れからは、一線を画していらしゃるようにお見受けいたしますが。 でも、今そういう「場」にいらっしゃるのかも!!
(もっとも、アマユウさんは、ロマンティストで、恋多き粋な殿方でいらしゃるようですが、アカショウビンさんは、そこまではまだ探知できておりません。)
それはさておき。
これは、人の世の中で、嵐が吹き荒れて、
恐怖に慄く時、
辛くて辛くてどうしょうもない時、
悲しくて悲しくて涙で前が見えない時、
戦慄を覚えるほどの孤独感に襲われた時、
心がバサバサで、トゲトゲになった時
いつでも私のそばに来てください。何も言わず、ハグして温めます。
一緒にずぶ濡れになりながら、鋭い槍が刺さってこようとも精一杯スタンドします。
嵐が過ぎ去り
暖かい日が射すまで
というような感じで描きました。
このシリーズのコンセプトは、
「Share]
「Warm Heart]
です。
ワコウ 2008年01月11日 17:58
ザッコさん、アマユウさん、アカショウビンさん
お三方とも、死の道行、最期ですね。
皆様、未来がないですねー。
どーしてでしょうか?
「死」の美学なんでしょうか?
世情の表れですか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
どんな苦境でも、明日がくることを信じていたい。
この世に生まれた「生」を出来るだけ楽しくしたいと。
いくらノーテンキと言われようとも。
そう思わないと生きて来れなかった時が、遠ーい遠ーい昔にワコウにはありましたから。
ある種のどん底の暗さを知っていますから、何でも愛、コイです。
アマユウ 2008年01月12日 07:26
新テロ特措法成立。日米同盟の地獄の道行きにも思えてきました
ザッコ 2008年01月12日 18:16
日米だけではないですけどね。サルコジだって、イギリスだって。やっとプーチンが、らしさを出してきたようですが。
世界の枠組みは全く変わっていませんね。
我々は我々の足元を見なければいけない。
しかし、例えばクェートでは、労働者がこきつかわれている。
そういう現実もある。近代化とは…
アカショウビン 2008年01月13日 01:34
コメントはともかく私には「死の美学」なんていうのはありません。かつて三島由紀夫の死には腰を抜かしましたが。しかしワコウさんの「プラス思考」には恐れいるばかりです。とかく日本の男は玉砕かウジウジかの両極端が多いのではないでしょうか。私はその中間を狙って生きてきたつもりですが・・・。
ワコウ 2008年01月13日 14:25
アマユウさん、ザッコさん、アカショウビンさん
「衆生」はほんとにキツイです。
世界はますます、おっしゃるとおり地獄の道行きの如くです。
どこまで行くのでしょう。クライシスになるまででしょうか。
そんなこと!
小さな小さな砂粒以下でも、日々の小さな小さなところのそれぞれの闘いあるのみと思っています。
遠い昔の或る日、突然世界の裂け目を知ったとき、ソレを獲得しました。
それ以来ずーっと小さな小さな戦いを自分に課し、緩めず続けています。
文章の苦手なワコウが敢えてこのブログをやっていることも小さな小さなソレの一環です。
アマユウさんのブログは、正に、魑魅魍魎の衆生界に、直接,警鐘と楔を打っていらしゃいます。
アカショウビンさんのもうひとつのブログも、直接、間接的にそう思います。(人間の存在やバックグラウンドの掘り下げ)
ザッコさんは、日常を暖かい眼差しでご覧になっています。
“「衆生済度」がままなれば、絶えて心中せぬやうに 守り度いぞと”
セツニセツニ思います。
No matter how even as for the difficult situation that is severe in a steep long way.
Surely I believe that people can overcome it someday.
日本語で書くと、なんだかいやらしい感じになりますが、英語だとスッキリします。
ワコウ 2008年01月13日 20:44
アカショウビンさん
ワコウも、三島の死には、「何でーあんなふーに不恰好に逝くの???」でした。ビックリ仰天でした。スノッブで、ナルシストで、ささやかな小市民生活を唾棄し、最高の教養人なのにあのおめもおくせもせず俗物極まりない生活を送り、そのアンビヴァレントさに苦笑せざるをえませんでしたのに、またまた最後にあのような死にかたを現実にするなんて、可哀相なくらい美しくありませんでした。
あの「金閣寺」や「憂国」を書いた人ですから、有終の美としての割腹は想像に難くないのですが、檄文や前劇があまりに酷かった。
誰かが、挫折した日本浪漫派の最後のスポークスマンといっていましが。
アカショウビンさんが、日本浪漫派の保田譽重郎、や「憂国」に触れていらしゃいましたが、アカショウビンさんのことですから、何もかもご承知のうえでのことだと思っております。
滅びの美学は、オプティミストのワコウでさえビリビリと感じてしまう魅力があります。恐しいことですが。
吉本隆明や橋川文三を弁証法的に超えた視点がお有りなんだろうと思っています。いつかそれをもう少し詳しく披露してください。
<とかく日本の男は玉砕かウジウジかの両極端が多いのではないでしょうか。私はその中間を狙って生きてきたつもりですが・・・。>
その中間を狙って生きてきたというところがアカショウビンさんの真骨頂だと思っています。
アカショウビン 2008年01月15日 00:19
>挫折した日本浪漫派の最後のスポークスマンといっていましたが。
★それは当時の左翼の画一的な解釈だと思います。戦後民主主義の中の論説は左翼が主導したわけですから「日本浪曼派」とひとまとめにし論壇や文壇から締め出した左翼陣営にとって小林秀雄や保田與重郎は不倶戴天の敵だったでしょうから。江藤 惇も「南洲残影」(文藝春秋 平成10年)という著作で西郷の生き様と死に方を「滅びの美学」として論じていました。それはそれで聴くに値する論説です。それにしても川端康成、林 房雄や朝日新聞に乗り込み拳銃自殺した野村 某のような死に方が、なぜ連綿と続くのでしょうか?それを見るとアカショウビンは、その中間を生きるしかないではないかと愚考するのです。吉本さんや橋川文三や戦時中の軍国調に巻き込まれ辟易した世代は、その垢のようなものを削ぎ落とすために戦後を生き続けたようにも思えます。私に吉本さんや橋川文三を弁証法的に越える視点はありませんが、その視角を開く作業は続く世代を生きる者たちには不可欠だと思います。
道ならぬ恋の駆け落ち。
アカショウビン 2008年01月11日 07:25
この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなり・・・アマユウさんのイメージから連想すれば「曽根崎心中」の名調子が浮かびます。でも心中のイメージではないですね。
ザッコ 2008年01月11日 13:24
槍の嵐ですね・・・
義経の最後。片方は弁慶か。強いて言えば、静御前。
ワコウ 2008年01月11日 14:35
「越ゆれば到る彼の岸の 玉の台に乗りをへて
仏の姿に身の成橋 衆生済度がままならば
流れの人の此の後は 絶えて心中せぬやうに 守り度いぞと
及び無き 願いも世上のよまい言」
「心中天の網島」より
あーあー
アマユウさん、アカショウビンさん
どうしてそのように、ペシミスティックなんでしょうね~。
ある願望でしょうか? 「心中」というのは。
一途な恋いの成就が心中とは、ちと情けない。
21世紀は、近松の時代とはジダイがチガイますヨ~。
アマユウさんもアカショウビンさんも、世情の“ モツレ”や、“ ネジレ”れからは、一線を画していらしゃるようにお見受けいたしますが。 でも、今そういう「場」にいらっしゃるのかも!!
(もっとも、アマユウさんは、ロマンティストで、恋多き粋な殿方でいらしゃるようですが、アカショウビンさんは、そこまではまだ探知できておりません。)
それはさておき。
これは、人の世の中で、嵐が吹き荒れて、
恐怖に慄く時、
辛くて辛くてどうしょうもない時、
悲しくて悲しくて涙で前が見えない時、
戦慄を覚えるほどの孤独感に襲われた時、
心がバサバサで、トゲトゲになった時
いつでも私のそばに来てください。何も言わず、ハグして温めます。
一緒にずぶ濡れになりながら、鋭い槍が刺さってこようとも精一杯スタンドします。
嵐が過ぎ去り
暖かい日が射すまで
というような感じで描きました。
このシリーズのコンセプトは、
「Share]
「Warm Heart]
です。
ワコウ 2008年01月11日 17:58
ザッコさん、アマユウさん、アカショウビンさん
お三方とも、死の道行、最期ですね。
皆様、未来がないですねー。
どーしてでしょうか?
「死」の美学なんでしょうか?
世情の表れですか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
どんな苦境でも、明日がくることを信じていたい。
この世に生まれた「生」を出来るだけ楽しくしたいと。
いくらノーテンキと言われようとも。
そう思わないと生きて来れなかった時が、遠ーい遠ーい昔にワコウにはありましたから。
ある種のどん底の暗さを知っていますから、何でも愛、コイです。
アマユウ 2008年01月12日 07:26
新テロ特措法成立。日米同盟の地獄の道行きにも思えてきました
ザッコ 2008年01月12日 18:16
日米だけではないですけどね。サルコジだって、イギリスだって。やっとプーチンが、らしさを出してきたようですが。
世界の枠組みは全く変わっていませんね。
我々は我々の足元を見なければいけない。
しかし、例えばクェートでは、労働者がこきつかわれている。
そういう現実もある。近代化とは…
アカショウビン 2008年01月13日 01:34
コメントはともかく私には「死の美学」なんていうのはありません。かつて三島由紀夫の死には腰を抜かしましたが。しかしワコウさんの「プラス思考」には恐れいるばかりです。とかく日本の男は玉砕かウジウジかの両極端が多いのではないでしょうか。私はその中間を狙って生きてきたつもりですが・・・。
ワコウ 2008年01月13日 14:25
アマユウさん、ザッコさん、アカショウビンさん
「衆生」はほんとにキツイです。
世界はますます、おっしゃるとおり地獄の道行きの如くです。
どこまで行くのでしょう。クライシスになるまででしょうか。
そんなこと!
小さな小さな砂粒以下でも、日々の小さな小さなところのそれぞれの闘いあるのみと思っています。
遠い昔の或る日、突然世界の裂け目を知ったとき、ソレを獲得しました。
それ以来ずーっと小さな小さな戦いを自分に課し、緩めず続けています。
文章の苦手なワコウが敢えてこのブログをやっていることも小さな小さなソレの一環です。
アマユウさんのブログは、正に、魑魅魍魎の衆生界に、直接,警鐘と楔を打っていらしゃいます。
アカショウビンさんのもうひとつのブログも、直接、間接的にそう思います。(人間の存在やバックグラウンドの掘り下げ)
ザッコさんは、日常を暖かい眼差しでご覧になっています。
“「衆生済度」がままなれば、絶えて心中せぬやうに 守り度いぞと”
セツニセツニ思います。
No matter how even as for the difficult situation that is severe in a steep long way.
Surely I believe that people can overcome it someday.
日本語で書くと、なんだかいやらしい感じになりますが、英語だとスッキリします。
ワコウ 2008年01月13日 20:44
アカショウビンさん
ワコウも、三島の死には、「何でーあんなふーに不恰好に逝くの???」でした。ビックリ仰天でした。スノッブで、ナルシストで、ささやかな小市民生活を唾棄し、最高の教養人なのにあのおめもおくせもせず俗物極まりない生活を送り、そのアンビヴァレントさに苦笑せざるをえませんでしたのに、またまた最後にあのような死にかたを現実にするなんて、可哀相なくらい美しくありませんでした。
あの「金閣寺」や「憂国」を書いた人ですから、有終の美としての割腹は想像に難くないのですが、檄文や前劇があまりに酷かった。
誰かが、挫折した日本浪漫派の最後のスポークスマンといっていましが。
アカショウビンさんが、日本浪漫派の保田譽重郎、や「憂国」に触れていらしゃいましたが、アカショウビンさんのことですから、何もかもご承知のうえでのことだと思っております。
滅びの美学は、オプティミストのワコウでさえビリビリと感じてしまう魅力があります。恐しいことですが。
吉本隆明や橋川文三を弁証法的に超えた視点がお有りなんだろうと思っています。いつかそれをもう少し詳しく披露してください。
<とかく日本の男は玉砕かウジウジかの両極端が多いのではないでしょうか。私はその中間を狙って生きてきたつもりですが・・・。>
その中間を狙って生きてきたというところがアカショウビンさんの真骨頂だと思っています。
アカショウビン 2008年01月15日 00:19
>挫折した日本浪漫派の最後のスポークスマンといっていましたが。
★それは当時の左翼の画一的な解釈だと思います。戦後民主主義の中の論説は左翼が主導したわけですから「日本浪曼派」とひとまとめにし論壇や文壇から締め出した左翼陣営にとって小林秀雄や保田與重郎は不倶戴天の敵だったでしょうから。江藤 惇も「南洲残影」(文藝春秋 平成10年)という著作で西郷の生き様と死に方を「滅びの美学」として論じていました。それはそれで聴くに値する論説です。それにしても川端康成、林 房雄や朝日新聞に乗り込み拳銃自殺した野村 某のような死に方が、なぜ連綿と続くのでしょうか?それを見るとアカショウビンは、その中間を生きるしかないではないかと愚考するのです。吉本さんや橋川文三や戦時中の軍国調に巻き込まれ辟易した世代は、その垢のようなものを削ぎ落とすために戦後を生き続けたようにも思えます。私に吉本さんや橋川文三を弁証法的に越える視点はありませんが、その視角を開く作業は続く世代を生きる者たちには不可欠だと思います。