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カントリージェントルマン・・・御風と石塚正英先生

2016年11月20日 20時13分51秒 | 糸魚川自慢

相馬御風(ソウマギョフウ)は、明治から昭和にかけて活躍した糸魚川出身の歌人、随筆家、作詞家、そして良寛研究家である。

新進気鋭の歌人だった若き日の相馬御風は、早稲田大学の校歌の作詞を依頼された事で脚光を浴びて、流行歌や歌謡曲、童謡の作詞と売れっ子文化人になっていった。

 

今日は旧知の東京電機大学教授の石塚正英先生が糸魚川市に来られて、御風の講演会があった。

せっかくだからと講演前に、「ぬなかわヒスイ工房」と稚児ケ池などをご案内。

石塚正英先生を稚児ケ池にご案内。小雨だったので傘と英国製ハンティングブーツを貸してあげたら、風貌と雰囲気、ツイードのジャケット姿もあいまって、これぞカントリージェントルマンと笑い合った(笑)

 

講演内容は流石で、あっという間の1時間を堪能。

御風関連の講演会というと、通常は文献の解説などだったりして睡魔との戦いなのだけど、石塚先生は御風の思想を産んだ背景を詳細に説明してくれて、ちっとも退屈しなかった。

会場は糸魚川市中央公民館で、ほぼ満席の盛況。

 

例えば、なんと若き日の御風は、アナーキスト(無政府主義者)の大杉栄に出会ってアナーキズムに共鳴していた!

石塚先生によると、アナーキズムを「無政府主義」と訳したのは誤訳で、本来は「支配を受けない人間復興主義」であるという。

しかし大杉は外的変革として社会変革を指向したに対し、御風は内的変革として自己の内面的改造を指向していった…との事。

その結果、惜しまれながらも華やかな東京での活動に終止符をうち、糸魚川に帰郷して良寛研究に打ち込んだ。

こんな御風観があったのか!と興味深く拝聴したが、話しの途中で膝を打った。

御風こそカントリージェントルマンぢゃないですか!

カントリージェントルマンはチャップリン映画の影響からか「田舎紳士」と訳されているけど、本来は社会の一線から離れた場所から中央を俯瞰して、一朝あると物申す、と檜舞台に出てくる教養人のこと。

政財界でいえば、戦前の白洲次郎がその典型だろうが、御風は思想界のカントリージェントルマンって訳って事か。

 

 

 

 

 



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