縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

ワタシがシッポをフルフルと振る時・・・超小型勾玉

2020年11月28日 09時31分18秒 | ぬなかわヒスイ工房

土産物屋で安く売られている短冊形のヒスイ製ストラップを見るたび、これを作る2個分の原石を俺に売ってくれれば、その10倍以上の値段の勾玉が作れるのに~!と歯がゆくなる。

ラベンダーヒスイ製の超小型勾玉イヤリング

 
これはモノ売り指向と、端材を余すところなく使い切りたい作品指向の考え方の違いだが、10年後には入手できないような高品質のヒスイが切り刻まれて安売りされているのを見るのは心臓に悪いので、なるべく安売りしている所には寄らない( ´艸`)
 
厚み5㎜、縦横15㎜前後の原石があれば超小型勾玉が作れるのだが、極小の世界に集中し続けて急に立ち上がると、現実とのサイズ感との違いで立ち眩みしてしまうし、2個も作るとフラフラに消耗してしまう。
 
こんな作り方なので沢山は作れないから、結果としてヒスイの価値を高めることになるのではないか?との切なる思い。
 
個展で「この勾玉、綺麗に加工してくれてアリガトー!って喜んでますねぇ~」と何度か言われ、ヘタはヘタなりに一生懸命作ったのデスよ~と泣きそうになった(笑)
 
ヒスイの質に関係なく、この勾玉カワイイ!と存在としてのリアリティ、すなわち奥行きと密度を感じ取って頂けるのはモノ作りの喜び。
 
生きているみたい!ニコニコ笑っているぅ!美味しそうだから舐めてみたい!喜んでるぅ~!などなど、特に女性客の感覚的な感想は励みになり、もし私にシッポがあるならフルフル振っていると思うのデス。
 
 

矢口高雄さんを偲んで(その2)・・・自立した子供

2020年11月27日 16時17分27秒 | 民俗学ごっこ

少年時代の矢口高雄さんの家はアワ飯を常食とする貧農で、いつも腹を空かせていたそう。

登下校の際は、スカンポ、桑の実、イタドリ、山ツツジの花などを文字通り「道草を食う」ことで空腹をいやし、釣果は家族の貴重な食料となり、もちろん農作業にも従事した。
コロナ休校で子供の面倒を観るために親が休職する現代と違い、この時代の大人は自然が相手の農作業で忙しく働いていたので、子供もそれなりに自立し、遊びながらも家族の一員として働いていたのだ。
 
貧乏だから無いモノは自分で工夫して作ることが当たり前の生活は、後年の矢口さんにとって創作の源となったのではないか。
豊かさとは何だろうか?人間らしさって何だろう?
 
矢口さんは貧困ゆえに肺炎になっても医者に診せることができず、弟が3歳で亡くなるなどの悲愁も描いているが、貧しいながらも溌溂と暮らしてきた農村の生活描写に憧憬を感じる。
 
 

アユの甘い匂いは母親の汗の匂い・・・矢口高雄さんを偲ぶ

2020年11月26日 08時23分27秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
矢口高雄さんが亡くなったそう。
「釣りキチ三平」「マタギ」もいいが、最も好きなのが、自伝的漫画の「蛍雪時代」と「おらが村」
昭和30年前後の豪雪地帯に生きる人々の暮らし、家族模様が余すところなく描写されていて、民俗資料としても貴重。
少年時代の思い出をつづったエッセイ「ボクの学校は山と川」もよく、後に国語の教科書にイラスト入りで載ることになった。
 
アユの匂いはスイカの甘い匂いに似ているというけれど、それは真夏の農作業から帰った母親に「おっかぁ~!」と飛びついて抱かれた時の汗の甘い匂いと同じで、アユ釣りをするたびに、母親の胸の柔らかさを思い出すそうだ。
 
久しぶりに読みますよ~。

 


ホピ族とヌナカワ族のコラボ作品・・・ホピチェーン勾玉

2020年11月24日 07時54分12秒 | ぬなかわヒスイ工房

個展でお買い求めになった淡い色相のロウカン質の勾玉と、天川彩さんが経営するホピ族のジュエリー店「San & Rain」のシルバーチェーンと組み合わせて欲しいと注文を受けたのでございます。

太いチェーンなのでゴツくなるのでは?と危惧しておりましたが、予想外に相性がよく安堵した次第。

チェーンの留め具が、シンプルこの上ないフックという点が好ましく、土俗的でありながらお洒落。

糸魚川にいるだけでは自己完結し勝ちですが、思い切って東京に出てこそ拓けた新境地でございます。
異分野と交われ、爆発せよ、激突せよ!と、思春期に耽読していた岡本太郎の文章が蘇えって参ります。
 
世界初のホピ族とヌナカワ族のコラボ作品の誕生!
 

浅草芸人御用達のレトロな喫茶店・・・コロナに負けないでほしい

2020年11月21日 09時54分19秒 | 記録しておきたいヒト・モノ・本・映画
上京すると必ず寄るのが、昭和の芸人街の匂いがプンプン漂う浅草の「喫茶店ピーター」と「シルクロード」
ピーターの名物は、カレーとハヤシライスに浅草にゆかりのある芸人さんや有名人の大壁画。
 
どちらも私が泊まっている友人宅の近所にあり、後期高齢者経営の古い喫茶店なので、コロナ騒動で閉店しているのではないかと心配していたが、貸し店舗ではない自宅の1階の店ということと、地元の贔屓が付いているからなのか存続していて嬉しい。
都内でタバコが吸える喫茶店という点でも貴重なのだが、運がいいと常連の浅草芸人さんが来ていることもある。
この日は「ポルノの帝王」こと久保新二さんと、コメディアンヌのしのはら実加さんが、大壁画前の芸人さん用の「予約席」に陣取り、店主と芸人さんたちの噂話しに興じていた。
耳に入ってくる浅草芸人さんの話を、聴くとななしに食うピーターのカレー(670円)は昭和の味。
 
後継者がいないのでいつかは閉店する運命だけど、せめてコロナに負けないで欲しい。

大円団の三本締め・・・環状集落と年輪

2020年11月19日 06時57分48秒 | ぬなかわヒスイ工房

個展を成功裡に終えて、一切を撤収して元のガランとした空間に戻ったギャラリーは、ツワモノどもの夢の跡。

私は梱包作業、プロデューサーの天川彩さんとスタッフの恭ちゃんは売上集計作業にと、4日間の怒涛の日々にケジメを付ける。

何人の人が来て話したのか?夢の中のできごとのように感じる。

麗しき女性からお花まで頂きましたぞ・・・

「大首飾り」複製プロジェクトでお世話になった、國學院大學の内川先生が激励に来てくださいました。

私の荷物を宅急便で送り出し、売上集計が終わったら、いよ~っ!と大円団の三本締め。

打上げで中華料理屋さんに行ったら、天川彩さんの友達のWAHAHA本舗の佐藤正宏さんが偶然に隣の席におられ、合流する幸運に恵まれた。

落語談義から始まり、私の好きな小沢昭一さんや三木のり平さんの思い出話しなど貴重な話しを聴けたのだけど、佐藤さんの演劇論が私のヒスイ加工論とまったく同じで「そうでしょ!」と、我が意を得たりと膝を打ち過ぎて青アザになったくらいだ( ´艸`)
 
最も印象に残っている話しは、縄文時代の環状集落について「樹の年輪の中央は死んでいるけど、周りは生きて大きくなっていく。俺は死んで材木として使ってもらえばいい」という佐藤さん独自の解釈で、その感性の鋭さに感嘆した。
万葉集や古事記の研究家として高名な、文学者の三浦祐之先生も来てくださいましたが、先生のお人柄の良さに悪ノリして勾玉イヤリングを付けてもらって記念撮影(笑)
 
橋・箸・柱の語源は、端と端を繋ぐ役割に由来していると梅原猛が書いているけども、私と世界を繋ぐ架け橋はヒスイと縄文、そしてヌナカワ姫。
 
個展会場に来てくれた方々の多くは、それらの関連で知遇を得たお友達だから、私にとってのヒスイは天橋立、天磐舟。
 
東京糸魚川会の方々もたくさん来てくださったので、地縁も忘れてはなりませぬ。
三浦祐之先生からは、例えばヌナカワ姫の時代のヒスイの固有名詞はヌだと思いますなどなど、知りたかった疑問をご教示頂いた上にご著書まで頂きました!
 
7年前に3畳間の狭い工房を自分ひとりで建て、5年目に「大首飾り」を作るために6畳間に増築したが、来客が増えたので手狭になってきた。
 
六畳間だと来客は4名が限度だし、狭いから作品を常に収納しているので見せることができず、個展会場では何度も工房に遊びに来た人から「えっ、こんなの作っていたんですか?!」と驚かれたりもして、作品群を常設展示する必要を実感した。
 
今後はもっと多くの方々が訪ねて来るだろうから、接客の合間に脳内で増築の可能性を考え始めた。
 
来年は9年目だから9畳間に増築するゾ!と帰りの新幹線の中で決意・・・2ヶ月くらいは仕事できなくなるが、作品が常設展示できて応接間がある工房を作りますぞ。
 
2、3年ごとくらいに増築を繰り返す計画性の無さに笑ってしまうが、脱皮!
 
 

個展の前夜

2020年11月17日 16時07分07秒 | ぬなかわヒスイ工房

個展の前日に新幹線で上京

ホンジツ ドンテン ナレド ナミ ヒクシ ニイタカヤマノボレ ヒトヒトヒトヒト(11月11日)・・・決戦を前にいささか緊張して、日本海海戦の電文をなぞるわたくしは昭和の男( ´艸`)

夜遅くまで作品群のデイスプレイをしたが、備品のパーテーションに布地をかけて石笛首飾りを飾ったら、プロデューサーの天川彩さんが備品のトルソーに布を巻き付けて飾るアイデアを閃いた。やってみたら大正解で「これ、ヌナカワ姫でしょ!」と一同が納得。

突如と会場に降臨したヌナカワ姫は個展を見守っているかのようだったし、記念撮影の場所として大人気だった。私と一緒に記念撮影を!という方も多く、そんな時は私では役不足だからヌナカワ姫を挟んで撮影(笑)

準備の時は、近所にアトリエのある舞台衣装デザイナーのクウちゃんが手伝いに来てくれて大助かり。彼女のアトリエはさながら梁山泊のようにクリエーターやダンサーがやってくるサロン状態になっていて、田舎では逢えないような人々とも知遇を得ることができた。

私と天川さんはモノを売りさえすればいいとは考えておらず、モノの文化的背景を発信する点で共通しているから、全8枚の「ヒトと翡翠の物語」をパネル展示した。このパネルは作品作りに疲れ切りながらも夜な夜な2週間かかって推敲した甲斐があって、来場者から「これ自分で作ったの?博物館みたい!」と驚きの声があがっておりましたぞ。

明けて11月12日、準備が整った開場の開演前に関係者が次々とやってきて内覧会。

会場は谷中よみせ通り商店街にあるギャラリー「天's CAFE」・・・昔ながらの商店街にアトリエやギャラリーが点在する谷中は実に面白い街。

右が大麻チョーカーの作者のみやざわあかねさん、左がイラストレーターのみやれいこさん。今回の個展がきっかけで天川さんとも繋がりができて友達の輪が広がっていった。

結果は千客万来の満員御礼が続き、最盛期は入場制限をしたくらい。

友人や先輩、後輩、恩師、ぬなかわヒスイ工房のお客さん、東京糸魚川会の方々が来場されて、ご祝儀やお菓子などのお供物(笑)が雨あられと降り注ぎ、ひとりひとりに満足なご挨拶もできず申し訳ない限り。

もしかしたら長崎や中国などからもお呼びがかかるかも・・・。

急展開に目が眩みそうだが、私は余計なことは考えずに目の前の仕事に邁進するだけですな。

 

 

 


「糸魚川翡翠展」ヒトと翡翠の物・・・前評判が好評につき平日のご来場がオススメ!

2020年11月10日 07時57分59秒 | ぬなかわヒスイ工房

個展の前評判が高いので入場制限をすることになり、なるべく平日のご来場をお勧めくださいとのこと。

できるだけのことはやっし、やりきった感はあるが、最後の悪あがきで時間ギリギリまで作品作りに邁進。

10年後には入手できないと思われる高品質のヒスイを奮発して勾玉を作ったが、時間がなくて写真撮影できず、売れてしまったら記録を残せないのが心残り。
今夜は宅急便を発送し、明朝に上京して設営準備。
明日からはゆっくりすればいい。
 
期間中は在廊しておりますし、午前中と夜はフリーですよ。
 
 

 


ぐるぐる渦巻と勾玉Kidsの名刺でござる

2020年11月05日 07時53分05秒 | ぬなかわヒスイ工房

私の名刺を受け取って「かわいい!」と言ってくれる女性が多いのだけど、個展を機会に天才霊感イラストレーターのみやれいこさんが描いてくれた、勾玉Kidsのイラストを追加することにした。

外国人のお客さんも来るから、裏面に英文のあるバージョンもある。
 
見るたびにムフフと頬が緩む勾玉Kidsを、今後はパンフレットなど色んな活用をしていきたい。
 
保育園児のころから、螺旋紋と鋸歯紋がなぜか好きでトレードマークみたいにしていたが、勾玉Kidsもいい。
 
ムフフのフだ( ´艸`)
 
 

 


ヒスイパウダーついに一般販売!

2020年11月02日 19時02分56秒 | ぬなかわヒスイ工房

縄文研究の一環として、先史時代の画材の実験のために作り始めたヒスイ顔料を、これまでは画家の来客限定で小分けしていたが、銀座のカフェで売ったら大人気だったので、体裁を整えて個展会場でも販売することにした。

加工で研磨機の底に溜まったヒスイの粉を集めて、乳鉢で擂り潰し、フルイにかけて精製した顔料でござる。
 
メデユーム(固着材)にニカワを使えば日本画の岩絵具、アラビアゴムだと水彩絵の具、リンシードオイルだと油絵具、卵白だとテンペラ画になり、胡粉やアクリル系絵具に混ぜると、角度と光線の当たり具合によって結晶がキラキラ光るのですぞ。
エステシャンの方が、オイルマッサージだかで混ぜたら額のチャクラが開いた!と喜んでおられたけど、ヒスイの結晶を継続的に吸い込むと塵肺の危険も考えられ、美容目的で問題がおこった場合には自己責任でお願いしま~す( ´艸`)
 
寡作なのであまり採取できず、当面は対面販売限定品デス。
 
ありがたいことに、個展の前評判が高いらしく、入場制限が検討されているので、なるべくなら平日のご来場をお勧めします。