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縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

赤い鳥居はユダヤの文化とする選民意識ファンタジー・・・日ユ同祖論の矛盾点

2025年04月18日 06時18分04秒 | 民俗学ごっこ
神社の鳥居が赤いのは、古代ユダヤで玄関をヒツジの血を塗って魔除けにした風習と同じ!これぞユダヤ人が日本に渡来した証拠ですぅ!
写真はNHK番組「ダークサイドミステリー」で日ユ同祖論の矛盾を追求した放送時からお借りしました
 
このように教えてくれるスピリチュアルオタクがいたら、20年に一度の遷宮で古様を継承している伊勢神宮の「唯一神明鳥居」は、なんで白木なの?と質問してみてちょうだい。コーフンが覚めて静かになるからw
スピリチュアルさんが最強のパワースポットと持ち上げる伊勢神宮の鳥居は「唯一神明鳥居」という白木。元々の神社の鳥居は樹皮をつけたままの黒木か、樹皮を剥いだ白木なのですネ。
 
赤い鳥居は神仏習合で中国から渡来した仏教建築の様式を神社にも取り入れた明神系神社の様式だから、日中同祖論にならないとおかしいよw。
 
ついでながらだけど・・・ユダヤ教は一神教だけど神道は多神教だよね?日本に一神教の宗教ってあるの?と聞いてみてちょうだい。
「あっ、そうか!」と、いとも簡単にマインドコントロールから覚めた人がいたw
雲南省から漢民族から弾圧されてラオス北部に居住するようになったアカ族も村の入り口に鳥居をたてるのだが、薄く割った竹で編んだカゴメ(籠目)を魔除けとして取り付けたものもある。
道に落ちていたカゴメ・・・ダビデの星!こんなところまでユダヤ人の痕跡が!と、コーフンしてはいけない・・・東南アジア北部も日本と同じく、自然崇拝・祖霊信仰の多神教文化圏だ。ただし南部にはイスラム教やキリスト教の一神教の地域もある。
 
カゴメがいつからあるか不明だが、昔の日本でも竹カゴを玄関に吊るして魔除けとする風習はあったし、今でもラオスの山岳地帯で見ることがある、かなり古い魔除け。ダビデの星がユダヤ教のシンボルになった時期は諸説あるが、中世からであるらしい。
 
東南アジアにはヘビも食う地域もあって、巣穴にカゴメを仕掛けるトラップもある。カゴメは沢山の眼で睨み返しする魔除けであり、侵入者を絡めとる防護柵でもある訳で、それを平安時代くらいに家紋に意匠したのが六芒星だ。
 
日ユ同祖論の真偽はさておき、陰謀論やフェイクニュースも含めて、情報をそのまま真実と思い込むのは危険な風潮だ。
大衆を扇動して熱狂させるカリスマの登場で簡単に戦争になる。その典型がヒトラー。
 
また「日本は特別な国」という考え方の根底には、選民意識がある。
お国自慢レベルならいいのだけど、行き過ぎると民族優位思想になって、他民族を見下す危うさがある。「八紘一宇」を旗印にして、世界を統一の嚆矢として満州事変をおこし、太平洋戦争へと繋がっていったのが典型。シオニズムを国是にして戦争ばかりしているイスラエルもまた然り。
 
どこの国、どの民族も特別のオンリーワン。
 
日本人とユダヤ人は同根とするなら、アフリカ大陸が人類誕生の地とされるのだから、どこの国の人とでも同根でしょ?
 
 
 

咳こんだら試してガッテン!カウボーイ式の湯気の吸引・・・映画で学んだ外国の民間療法

2025年03月28日 07時02分50秒 | 民俗学ごっこ
老人虐待の図ではなく、母が数日前から気管支が炎症した時の湿った咳をゴホゴホとはじめたので、悪化前に湯気を吸引させている図デス。
これは子供のころに観た西部劇に出てきた民間療法で、映画ではお湯をいれた洗面器の上にタオルを頭からかぶって湯気を吸引していたが、わたしはお湯が冷めにくい丼鉢をつかい、湯気が逃げないようにビニール袋に入れてかぶる工夫をしている。
 
後期高齢者だから酸欠や心臓発作に気をつかい、湯気を鼻から吸い口から吐き出させて具合を聞いたら気持ちがいいというので、お湯にミントオイルを1滴だけ垂らしてやったら効果抜群。
たった5分の吸引で胸のモヤモヤが解消してスッキリして咳が出なくなったと驚いていたが、わたしも母の免疫抵抗力の高さに驚いた。
以後は咳は出なくなっている。
 
88歳にしては元気なのは、飢餓地獄のインパール戦の最前線から、栄養失調で失明した部下をかついで生還した祖父の頑健さの遺伝か。
 
自分がやる時は、吸引でぬるくなったお湯に塩を溶かし、片鼻づつ吸い込んで口から吐き出して鼻腔を洗浄するインドのアーユルヴェーダ方式を追加すると、鼻詰まりも解消する。
 
医者まかせだけでなく、自分から体の変調に向き合う気持ちが大事なのだから、気持ちよさをたのしむつもりでやってみればいい。
 
読書もそうだが、映画も外国の文化や歴史を学ぶ機会。大人向けの映画も子供に見せたらいい。
わたしなどは小学生のころから親に隠れて深夜放送の外国映画を観ていたから、親と同じ世代の人と映画談義していて「ボク幾つなの?」とよく聞かれていたw。
 
 
 
 

ヒトはネコ化はするのに何でイヌ化はしないのかニャ?を考える・・・「ヒトのネコ化にみる同化現象とその危険性」

2025年02月06日 07時20分18秒 | 民俗学ごっこ

坐骨神経痛に耐えつつ、吹雪の中の除雪をおえて家に入ると、わたしの苦労もしらず、どこへ行ってたニャ?と視線を送るネコ。

人間社会に我関せずの立場を守り、好きな時に寝て食うネコという生き物のフシギ、謎に迫りたいのである。

そこで「ヒトのネコ化にみる同化現象とその危険性」について、以下で若干の考察を試みたい。
 
今どきの家は暖かいからか、拙宅のネコはコタツで丸くならずストーブの前を好む。しかし、わたしはコタツで寝ころんで読書をしつつ、いつの間にか眠りこんでしまう行為を冬の悦楽とする者である。
 
これは幼少のみぎりに歌わされた「ネコはコタツで丸くなる」の擦りこみによる、面倒くさいことはせず、好き勝手に生きるネコへの憧憬があるのではないか?と睨んでいる。すなわちヒトのネコ化である。
 
いくらイヌが好きでも、雪が積もった庭を喜んで走りまわる成人はおりますまい。つまり、ヒトはイヌを擬人化することはあっても、ヒトそのものはイヌ化しないのだ。
 
言語においてもネコ化は顕著で、あニャがとニャ!こんにちニャ!と話すネコ好きは枚挙に枚挙にいとまがないが、いただきますワン!という犬好きには会ったことはないので、ヒトはイヌ化しない考察の蓋然性は担保されるのである。
 
いや、小学生の時に放映された学校ドラマ「熱中時代」で、船越英二と草笛光子が演じる犬好きの校長夫妻が、ワン?ワンッ!と犬語で意思疎通をする場面があったが、実際に犬語を話すヒトがいるのかは不明。
 
わたしなどは驚いた時にニャッ!と思わず声をあげるし、ショッキングなことがあるとニャニャニャニャ~!とベートーヴェンの「運命」をネコ語で歌ってしまう。ネコ化が「病膏肓に入る」に達しているのである。
 
ネコには周囲を感化させるフェロモン、あるいはウイルスがある疑いが示唆されるが、抗ネコ化ワクチンの開発が待たれる。
 
あまりネコ化し過ぎると危険だ、と思う次第ですニャ(=^・^=)
 
 
 

かっぱ橋だから郵便ポストは緑なのっ!・・・浅草のアバウトさ

2024年11月30日 06時55分42秒 | 民俗学ごっこ
外国人観光客が来るようになった「かっぱ橋道具街」に緑色の郵便ポストがあった。40年ちかくも通っているのに気が付かなかったが、昔から緑だったっけな?
河童だから緑なのだろうけど、外国人にこのシャレがわかるのか?そもそも外国人に河童って判るのか?誰がデザインしたんだかねw
背景に青海波が描かれて江戸情緒は取り入れてあるが、ところどころに丸で囲まれた「ア」が散らされている意味もわからん。いわゆる「判じ物」という江戸の遊び心ですナ。このアバウトさが浅草らしい。
河童は裸なのでマフラーが唯一のオシャレというつもり?でもマフラーよりフンドシが先でしょ!と突っ込みどころをつくってあるのが、江戸っ子の了見なのだw
 
浅草のアバウトさは伝統だ。江戸城下から風紀を乱す無法者を追い出して住まわせた新開地が浅草だから、今でも日本橋あたりの住民には「ホントの下町は日本橋・神田のことで、浅草は端っこの新開地だし、川向うなんて江戸じゃないの!」と悪口をいったりする人もいる。
 
ちなみに「川向う」とは隅田川の左岸のことで、この定義だと葛飾柴又のフーテンの寅さんや、本所に生まれ育った「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵は江戸っ子じゃなくなる。江戸府中といっても時代によって広がっていったので江戸っ子の定義も様々。
 
足立区出身のビートたけしが売れた時、浅草育ちの毒蝮三太夫から「江戸っ子だって?どこよ?」と聞かれて「足立区です」と答えたら、「なんだ、川向うかよ!」と笑われたと言っていたが、東京出身者にも出身地区のヒエラルキーがあるらしい( ´艸`)
 
そんな風土からかマイノリティやホームレスも居心地がいいのが浅草。他人の価値観に口出しせず共存するのも浅草。
 
浅草のアバウトさが好きだねぇ。
 
 
 

白いご飯がご馳走だった時代・・・輪島漆器義援金プロジェクト

2024年08月26日 06時59分50秒 | 民俗学ごっこ
ある日突然に昔の冠婚葬祭では、白いご飯が特別なご馳走だったと気付いた。
通常の四つ脚膳(正式名称は宗和膳)より二回りほど小さく、脚の下部がつながって窓あきになったタイプの用途がわからなかったのだが、正体は飯ビツ専用の膳ではないか?
 
戦前の日本では白米が食えない、あるいは食ったことのない庶民は多く、麦めしや大根めしに代表される雑穀・豆・野菜で増量したカテ飯が常食だった。
 
臨終の枕頭で米をいれた竹筒をシャカシャカとふって「白マンマだぞう!」と聴かせ、安らかに逝かせる風習もあった。
 
そんな庶民にとって冠婚葬祭で椀飯振舞い(おうばんぶるまい)される白マンマ・銀シャリは特別なご馳走であったに違いなく、だからこそ飯ビツは畳のうえに直置きせず、わざわざ専用の膳に鎮座させていたのではないか?
 
地元の人でさえ用途がわからなくなっていた輪島漆器であっても、7ヶ月も付き合っていると断片的な情報と情報がつながって気付きになる。
ご飯を粗末にしちゃバチがあたりますナ。
 
 
 

サラバ三社祭の半纏・・・浅草三社祭

2024年05月18日 07時13分39秒 | 民俗学ごっこ
今年も浅草の三社祭がやってきた。
帰郷してから「柴崎西」の町会半纏に袖を通さなくなってもう14年になる。全体に「吉原繋ぎ」の伝統文様をほどこした総型半纏というヤツ。
 
20代からの思い出のある半纏なので手放す決心がつかず先送りにしていたが、昨年に友人の秋田真介さんが浅草に移住したことで浅草の友人宅に託すことができた。
客人用の半纏に活用してくれるだろう。オレの男気を引き継ぐのは秋田君、君だ!w
思い出ぶかいこの半纏を畳むのも最後と思うとシンミリ。御輿を担ぐときの帯は木綿がいいし、「浪人結び」だとほどけないネ。細目の帯が江戸好み。
 
今でも西浅草を歩いてると、地元の人から「師匠~!最近みないね!」と声がかかる。いい街だ。師匠はわが青春の浅草でのわたしの呼び名。
サラバ三社祭の半纏!
 
 

海岸に漂着している筒状の物体の正体は?!・・・お盆の迎え火・送り火のダケカンバの樹皮

2023年08月15日 06時54分10秒 | 民俗学ごっこ
日本海に漂着している筒状の物体の正体は、長野県白馬村あたりで、お盆の迎え火・送り火の時に燃やすダケカンバ(岳樺)の樹皮。
左端が購入品で他は漂着品。
お盆時期に白馬村のコンビニで売られて正体がわかったのが20年ほど前だが、ある漂着物図鑑には漁具の浮木であり、シラカバの樹皮であるとデタラメが書いてあったぞw。
柏崎市立博物館発行の「渚モノがたり」より。考古学もそうだが、意外に専門家はいい加減なので鵜呑みにしてはいけないw
 
 
色が抜けて白くなった漂着ダケカンバでも、黒い煙を出しながらよく燃えるから、シーカヤック旅の時に焚き付けにしていた。乳香を燃やした時のような香りがする。
購入品と漂着品の燃焼比較をしたらほとんど差はなく、小指ほどにカットした樹皮でも3分程度は燃え続けた。
 
「海のヒスイロード検証実験航海」で青森市までシーカヤック航海をした時は、糸魚川~青森の十三湖くらいまで確認できたのだが、白馬村だけの盆行事にしては量が多すぎるのではないか?
 
日本海に流れてくる理由は、お盆のあとの北信濃では、あまったダケカンバを穢れとして川に流しているのではないか?と推測しているが、富山湾内の対馬海流は時計回りの支流があるので、ひょっとしたら能登あたりまで漂着しているかも?
 
バリ島では椰子の実の外皮を燃やして迎え火・送り火をしていたので、ことによると仏教伝来以前からある環太平洋地域の祖霊崇拝の儀式ではなかろうか?
 
それならアイヌや沖縄はどうなのだ??と友人に聞いてまわっている。
 
これまでの聞き取り調査の結果は、浄土真宗は迎え火・送り火の風習はなく、地域や宗派によって藁や苧殻(麻の茎)を燃やしているようだ。
情報を求む!なんでも教えてちょうだい!
 
 
 
 
 

鬼の器を求め、能登から佐渡へ120キロの航海・・・ドブネと輪島塗のモノガタリ

2022年08月26日 07時46分59秒 | 民俗学ごっこ

上越市立博物館の夏休み企画で、収蔵庫が特別公開されてドブネを観察してきた。

ドブネは能登から新潟で使われてきた定置網漁の木造船で、丸木舟を発展させた「オモキ造り」という準構造船。かっては糸魚川にもドブネ職人がいた。
図面では鈍重そうに見えたが、実物を観察すると波を切りさく凌波性(りょうはせい)は良さそう。
 
佐渡の小木には、「鬼の器」の民俗譚が残っている。
 
嵐の翌朝、小木の浜にゴツゴツした木の器のようなものが大量に漂着し、村人は鬼の丼ではないかと気味悪がった。数日して輪島からドブネがやってきて、鬼の器は嵐で流れた輪島塗りの椀生地なのだと回収していったというのが、鬼の丼の正体。
グーグルアースで測ると、輪島から小木まで直線距離で124キロもあり、往路は時速2キロで北上する対馬海流に乗れるにしても、平均時速5キロで漕いでも24時間以上はかかる「沖走り」の航路であったらしい。
 
復路は富山湾を時計周りに流れる対馬海流の反流を利用して、妙高・立山・白山を山当て(やまあて・位置測定の目標)して、能登の付根にある氷見市付近を目指し、沿岸に沿って帰ったのではないだろうか?
 
ちなみに越佐海峡の最短距離でも40キロあり、中央付近では360℃が水平線で、陸地は見えない。
 
そこまでして回収した椀生地とは?
 
漆の椀造りは、爺さんの代で丸太を玉切り、粗加工までして乾燥させ、この状態が「鬼の器」。親父の代で8割がたに削って乾燥、当代が椀生地にして漆をかける3代に渡る気の長い仕事。
 
だから「鬼の器」が台風で流されたりすると、数代後の子孫の飯の種が失われることになるから必死だったのだ。
 
蔵出しの輪島漆器が不要だからもらってくれと言われた時、収納された箱には、江戸時代中期から大正時代までの誂えた年号が書かれていた。
 
かっての輪島塗の漆器は、冠婚葬祭用に飯椀・汁椀・皿・脚付き膳などのセット販売で、買い求めた人も数代に渡って子孫のために誂えていったようなのだ。
時代が変わって、先祖が子孫に託した家宝が、捨てられていく。ドブネ大工の道具も捨てられていく。
 
学芸員さんとそんな話をして、「モノはともかく、ドブネや輪島塗のモノガタリを残すしかないんでしょうねぇ・・・」とうなだれて外に出た。
 
 
 
 

今だからこそ「脱出航路」・・・国家の枠組みを超えて個人の道義心に従う男たち

2022年04月26日 16時00分00秒 | 民俗学ごっこ
ロシアのウクライナ侵攻について、英国のハードボイルド作家、ジャック・ヒギンズの「鷲は舞い降りた」の一説を紹介するフェイスブック投稿を読み、私は30年以上も前に読んだ海洋冒険小説の名作「脱出航路」を思い出した。
ドイツの敗戦が濃厚になった時、ブラジルにいたドイツの民間老朽帆船ドイツェランド(ドイツ号)が捕虜になることを拒み、故国を目指す選択をして帰国の航海に出た。乗員には修道女一行もいる。
 
連合軍の掌握下の航路で、容赦なく嵐が老朽船を襲い、故国を前に遭難の危機でSOS発信。
 
探索のドイツ軍の爆撃機とドイツェランドの無線交信を傍受したアメリカ海軍の砲艦は、ドイツのパイロットと連絡を取り合い、敵国船の救助に向かう。しかしドイツェランドはスコットランド諸島近海の暗礁で座礁。
 
アメリカ海軍からドイツ船座礁の救助要請を受けたスコットランドの漁師たちは、憎たらしいドイツ人船を放置するか?救助するか?救助に出ても嵐だから命の保証はない!と紛糾する。
 
そこで長老が演説する。「皆の衆、なにを迷っている!確かに座礁したのはワシらを殺そうとするドイツの帆船だ。しかしワシらは海に生きる漁師じゃないか!ワシら海の男は先祖代々、助け合って生きてきた!ワシと一緒に行く勇敢な男は誰だ?前へ出ろ!ぼやぼやせずにボートを出す準備にかかれ!」
 
波間に消えゆくドイツェランド乗員の命運やいかに!・・・だいたいこんな粗筋。
 
ロシアのウクライナ侵攻の今、戦争当事国同士の海の男たちが、国家の枠組みを超えて個人の道義心に従う物語をもう一度読みたくなった。
 
現実にこんなことがあったとしたら、世の中捨てたもんじゃない。日本ハードボイルド小説協会会長であり、作家、コメディアンでもあった内藤珍のベストセラーのタイトルを借りると「読まずに死ねるか!」

ヤップ島の石貨から、太古のヒスイ交易について考える

2021年03月14日 08時15分50秒 | 民俗学ごっこ

太古のヒスイ交易の実態について色々と考えるのだが、上越市のNPO法人「くびき野カレッジ天地びと」にて、元東京電機大学教授の石塚正英先生の講座を聴講。

石貨とは石製のお金と認識されているが、経済法則を体現する貨幣ではなく、宗教的儀礼を体現する貨幣なのだというのが先生の捉え方。

「民間信仰の基底をアミニズム(身体と霊魂の分離)ではなくフェティシズム(身体と霊魂の非分離)に見出す」という先生の文化論も、ヒスイは希少鉱物だから尊いという価値観から脱却して、ヒトとヒスイの物語へと見出す私の考え方に理論的な整合性を示唆してくれて、話が尽きない。
 
思想や哲学といった抽象論は好みではなかったが、具象論や経験値だけでは限界があると感じ、このところ実存主義に興味を持っているので、東京に帰る先生を新幹線駅まで送って質問責め!
 
昔の書生や芸人が、師匠のカバン持ちを勝ってでて、少しでも吸収しようとするのと同じですな。
 
大学教授の講座を無料で聴講できるのに、若い参加者がいなかったのは実にもったいないぞ、上越方面の人たち。