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縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

一騎当千の縄文キャンプのゲストたち・・・長者ヶ原遺跡

2025年05月30日 08時53分23秒 | 糸魚川自慢
自然観察グループを市内ガイドと縄文キャンプしたら、写真撮影に慣れた会員ばかりなので、自発的にライティングしてくれて、いつもより面白い写真がたくさん撮れた。
 
糸魚川市には自生していないと聞いていたサルナシの花や、触るとカブレるツタウルシが遺跡に自生しているのを発見した人がいたり、天津神社付近の民家の植え込みにキツネの通り道があると教えてもらったりと、ガイドしたわたしも勉強になった濃密な二日間。
もしかしたら長者ヶ原遺跡の石囲い炉に縄文土器が鎮座したのは3,500年ぶりか?国指定遺跡なので竪穴住居の中は火気厳禁だから、撮影用に置いただけですけどw
 
ちなみに土器は二方向からライティングしてもらっている。
喜色満面で遺跡を走りまわる縄文犬ゲンを呼んだら、駆け寄ってきてサービスショットを撮らせてくれた。
行きすぎ~!ちょうどいいところでとまって土器とツーショットを撮らせてほしかったが、興味のおもむくまま動くのが縄文犬というもの。顔が笑っているぅw
 
参加者たちは野生動物や植物に詳しいのは無論だが、自動車メーカーの開発技術者や、電車模型のプロもいたので話題が尽きることはなく、雑談が楽しいのなんの!
今回は縄文とヒスイのお話しは日中に済ませたので、夕食時は焚火料理に専念できた。縄文土器の中身は縄文時代にあった食材だけ。最初に味付けなしで食ってもらい、各自で塩・コショウ・醤油で味付けして比べてもらうと調味料のありがたさもわかろうというもの。
 
夕食時に縄文談話をする時は人に焚火料理を手伝ってもらうことになり、むやみに薪をくべられて近寄れないくらいの大きな炎になってしまうことが多いのだが、今回は最初から最後まで焚火奉行できたので半分以下の薪で済んだ。
使用した土器は20年ほど前に初めてつくった多摩市の遺跡出土の「勝坂式」の複製。
焚火を囲んでの食事はいいもんだが煙たい焚火はいただけない。料理用の焚火の基本は熾火。
 
食事と談笑タイムの鑑賞用の焚火は、輻射熱で薪木がジワジワと燃えていくように足していくのが縄文人(見習い)流でございます。
就寝時間を考慮して、少しずつ焚火を小さくしていった。談笑している時も煙くなかったので、師匠の「自然界の報道写真家」宮崎学さんから「いい焚火だ」と何度も褒められた。ムフフ(笑)
 
 
14年も縄文キャンプのガイドをしてきたので、焚火奉行としてスキルアップできてきたということだ。
 
 

ありがとうブックスサカイ、さようならブックスサカイ・・・糸魚川に個人経営の書店が無くなった夜

2025年05月01日 07時35分20秒 | 糸魚川自慢
開口健などの文庫本8冊を買って、わたしはブックスサカイの最後のお客さんになった。
開口健の書籍は90年代くらいまではどこの書店にも並んでいた。アメリカの高校の教科書に作品が載った芥川賞作家。
 
軽妙な語りで海外紀行番組のナビゲーターとしてテレビにもよく出ていた人気作家だったのに、いつの間にか書店で見なくなったし、図書館でも古い本は処分されて見なくなった。久しぶりに書店に並んだ著作に諸行無常を感じますなぁ。
以前にW主任が選書した「能登怪異譚」を珠洲市の「いろは書店」に紹介したら、仕入れた端から売れていく人気商品となり、被災地を元気つけたと書いたが、好きな仕事で世の中に貢献できるのは幸せなこと。
 
その職場を失った店員さんたちの心情はいかばかりか・・・。
仲間と買った花束を贈り、店員さんたちひとりひとりとと握手してお別れ。4月からは2名体制だったのに、最終日は店員さんが勢ぞろいで有終の美を飾った。ご苦労様でした・・・。
 
ありがとうブックスサカイ
さようならブックスサカイ・・・(´;ω;`)
 
 

別れの日がきた・・・ブックスサカイの灯りが消える日

2025年04月30日 05時37分22秒 | 糸魚川自慢
本日午後8時にブックスサカイの灯りが消え、二度と灯されることがなくなる・・・諸行無常。
わたしは近所の友達をさそい、午後7時半ころに最後の買い物をして、閉店時間まで名残りを惜しんで、最後のありがとうを言って帰りたい。天気は快晴の予報。
 
長年にわたり街に彩りと安息の場をあたえてくれたのだから、閉店の時にお客さんが誰もいないんじゃ淋しすぎる。
同じ想いの人がいたら、わが街も満更ひゃない。
 
 

ロケに来た映画人、そして市民の心のオアシス・・・ブックスサカイ閉店まで1週間

2025年04月23日 07時39分39秒 | 糸魚川自慢
ブックスサカイ閉店まで1週間・・・。
20日の注文締め切り日に駆け込み注文していた本が揃ったので購入。ブックスサカイへの餞別の意味で、高野秀行さん新書で買える著作もかたっぱしから大量購入した全20冊!今年中に読み終わるかしらん?w
昭文社「ツーリングマップル」は広域・市街地と見やすく、ガイドブックの「地球の歩き方」みたいに安宿や車中泊できる場所、美味い食堂の読者投稿が豊富だからフィールドワークに欠かせない。懸案だった北陸~北九州の日本海沿岸の勾玉探偵の実現のために購入。
すでにレンタルビデオコーナーはがらんとした。4月30日午後8時の閉店までは店員さん2人体制でまわすそうだ。寂しいねぇ・・・。
 
平成の大合併前のブックスサカイは、糸魚川駅をでてすぐ前の二階建ての酒井書店だった。
 
駅前に大きなホテルがなかった当時は、映画のロケがあると有名俳優たちは駅前の旅館に分散して泊まっていたようだ。
「越後つついし親不知」は三國連太郎・小沢昭一・佐久間良子の三人が主演。脇役の殿山泰司のエッセイに、この時の芸者遊びして、田舎のシャーゲイ(芸能界の符牒で芸者のこと)相手に手っ取り早くお寝んねしようと思ったら、オレは芸に涙した・・・などの逸話が書かれているが、みなさん読書家で知られる俳優なので郷土史や小説など買ったかも。
 
娯楽のすくない田舎町に、都会からロケにきた映画人たちにとって、酒井書店はオアシスだったに違いない。学業半ばで戦地に赴いた学徒兵たちも、哲学や宗教関連の岩波文庫をポケットに忍ばせていたと聞くが、どこにいても本の世界に心の居場所を見つけられるのだ。
カンヌ映画祭で最高賞受賞の「楢山節考」のロケでは、主演の緒形拳が堂々とエロ本を立ち読みしてたので、ダウンベストの背中にサインもらったと近所の人が見せてくれ、「おまん、これじゃ緒形拳が持ち主みたいだねか」と笑いあった。
 
少年時代、小遣いもらって駆け出して買った「天才バカボン」。
 
小学生の小遣いでは買えない巨大な戦艦大和のプラモデルを、ショウウンドウ越しに見惚れた学校帰り。
 
ゴム動力のライトプレーンを買っては競い合って飛ばした。
 
ブックスサカイの思い出は、小遣いをくれた親戚や爺さん、オヤジと少年時代の思い出と紐付けられている。
 
セレモニーもなく粛々と通常通りに閉店するそうなので、当日の閉店間際に、ちいさな花束をもって楽しい思い出をありがとうと、感謝の言葉だけでも伝えにいこうと思う。
 
同じ想いの方々もどうですか?ささやかでも有終の美を飾ってあげましょうよ。
 
 

体がよろこぶビンテージ「綿入れ半纏」・・・97歳が店主の奇跡の洋品店「無敵屋」

2025年04月21日 07時01分35秒 | 糸魚川自慢
朝晩はまだ冷えるので、無敵屋さんで昔ながらの「綿入れ半纏」を購入したら、柔らかい着心地でフワッと軽く、体が「これこれ、この感じ!」と喜んでる感じがする。
久留米木綿の織物製に、アンコはホンモノの薄い綿を何層も重ねて手縫いした100%国産品だから、いまやビンテージ品だ。スマホが楽に収納できる大きなポケットがあるのもいい。
5月で98歳になる奇跡の店主は、インボイス対応のレジも使いこなす。耳は遠いがふつうに会話もできる。
 
オヤジの遺品は量販店で買ったプリント柄でアンコは化繊綿、ベトナム縫製の安物だが、着比べると体になじまず別物であることがよくわかる。
ビンテージ「綿入れ半纏」は、いつ仕入れたかわからないデットストック品かも知れないが、確かで佳いものを安く買えるのが無敵屋さんだ。まだ何着かあったし、袖なしの「ちゃんちゃんこ」もあった。
買うとお母さん喜ぶ顔が見られるのも、通販や量販店では味わえないたのしみ。無敵屋の名前入りのノベルティタオルが2枚サービス!
 
長く着たいから、ちょっとくらい高くてもホンモノを買う。ホンモノはつかうたびに愛着が増す。輪島漆器も同じだね。
勾玉もそうでありたい。
 
 
 

本気にインバウンドや文化継承を考えるなら「ばとるかーにばる」の活用を・・・けんか祭り2025

2025年04月13日 07時20分34秒 | 糸魚川自慢
祭り装束の集団に、オーストラリア人旅行者からなにがあるの?と質問され、「ばとる!ばとる!え~とネ・・・ばとるかーにばるっ!かーにばるっ!」と説明してる爺さんの氏子がいたw・・・「Kenka Festival」と言って、二つの地域が二基の神輿でfightするラグビーのような祭りと補足し、ジョウバ(除魔・魔除けの獅子)を読んで頭をかじってあげた。
「けんか祭り」の現場に外国人向けのツーリストインフォメーションや通訳システムがない糸魚川市。インバウンドの掛け声はどうなった?
こちらは上越市の友人が連れてきたスリランカ人。
 
すぐ近くに中学と高校があるのだから、英語授業の一環でボランティア通訳させればいいのにネ。
 
ガイドするには基礎知識が必要だ。例えばジョウバ(除魔・獅子のこと)の由来、なんで顔が赤いのか?なんで口を開け閉めしてパカパカ鳴らして歩くのか?頭を噛まれると賢くなり、尻を噛まれると安産という言い伝えなどなど。
 
ボランティアの観光ガイドくらいなら、中学1年で習う英語を駆使すれば、のーぷろぶれむ。郷土の文化も学べ、生の英会話ができて一挙両得。
昔はお宮に近づくと、綿菓子や焼きそばの匂いがプンプン漂っていたのに、屋台の数も減って淋しくなってきた。「けんか祭り」は曜日に関係なく4月10日が開催日でも、昔から学校は通常通りの授業だからということに加えて、少子化ということもあるだろう。お隣の上越市の桜まつりの方が儲かるから的屋が来ないとも聞く。
 
英語が堪能でも日本の文化を語れない日本人を、外側が黄色くても中身が白いバナナジャパニーズと揶揄する言葉がある。都会に出てもお国自慢できない地方出身者も似たようなものではないか。
 
わたしの親族でも「けんか祭り」にでない家の子供とは方言が通じなかったりするが、地域の古老から若者の祭りコミュニティの中で育つと、方言やしきたりといった伝統、つまりは文化は自然に伝承されていくのだが・・・。
 
4月20日は市長選だ。どなたが市長になっても、せめて祭りを子供に見学させるなどの文化行政に力を入れてくださいな。
 
誇れるお国自慢があれば、望郷の念からいつか帰ってくるかも。
 
 
 

ご先祖が護ってくれました~・・・令和7年度「けんか祭り」

2025年04月11日 08時00分34秒 | 糸魚川自慢
坐骨神経痛を気合でのりこえ、最後まで奔り、競り合うことができた今年の「けんか祭り」。
祭りにでるからには弱音を吐かない、弱みを見せないのが氏子の料簡。法被を着ると背筋が伸びる感じがする。帰属社会が営々と営んできた伝統を背負うことになるから、祖霊がチカラをあたえてくれるに違いない、とわたしは実感する。
運営委員から御輿を担いで奔る白丁(はくちょう)を、歩いている時に休めるための交代要員を頼まれ、座骨神経痛で痛む左側を担いでいた。
 
幼馴染のミキオも、足首のじん帯を痛めたので御輿は担げんと言っていたが、中盤からは自らすすんで担いでニコニコしていた。
 
ラクビーのスクラムのような御輿の競り合いでは、孫が生まれたばかりの4年上のカズユキちゃんがいつも隣りにいた。
 
「勝ちにいく」文化ではなく、「負けられん」文化で共に育った男たち。こういった集団に身を置くことは男子の本懐と心底思う。
 
今年はわたしにとって特別な祭りだったが、ミキオやカズユキちゃんにとって、そして子供がはじめて参加するリエちゃんにとっても同じ想いだろう。氏子の一人一人が、今年は特別な祭りとの想いを秘めている。
 
 
 
 

激動の時代を生きた糸魚川の「おしん」・・・97歳が経営する奇跡の「無敵屋」さんが糸魚川タイムスで紹介

2025年04月09日 07時58分23秒 | 糸魚川自慢
97歳が経営する奇跡の「無敵屋」さんを糸魚川タイムズさんが取り上げてくれた。
今年は終戦から80年なので、当時の生き証人が現役というのも貴重だから、今後の記事に期待したい。
web記事は下記
https://j-times.jp/archives/95325
 
 
父親が創業した「無敵屋」は戦前の大火で消失して、店主が小学二年の時に再興。今年で創業100年を迎えるそうだが、1925年といえば「世界恐慌」が日本に波及する5年前で、起業早々に不景気に突入したことになる。
 
2前に亡くなった幼なじみのご主人とは、シベリアで4年の抑留生活から復員してから婿として結婚。憲兵の腕章をつけた軍服姿の写真をみせてもらったら、襟章に星二つがついていたので陸軍憲兵の軍曹だったらしいが、俳優みたいに凛々しい男前ですね!と言ったら老店主はニンマリした。
 
高度成長期は仕入れた先から売れてゆき、3人の従業員を雇い、子育てしながらの大忙しの日々。
 
郊外店ができ、同世代のお得意も次々と亡くなり客足は遠のいていった。
 
2016年の「糸魚川駅北大火」では煙と火の粉も飛んできて、貴重品や商品を防火用の床下ピットと蔵に収めたが、辛うじて延焼を免れた。火事が多かった糸魚川の古い商家は、店舗の床下に防火ピットが備えてあるのだ。
 
能登半島地震で息子の家が全壊し、廃業した問屋もいたし、跡継ぎがいなくて廃業した問屋もいった。
 
店のある旧国道(加賀街道)が賑わうのは、「けんか祭り」と「金毘羅神社」の祭礼だけになった。
 
店主の一代記は「おしん」のようだ。
 
身近なお年寄りと話してみると、内に秘めた歴史の重さに驚く。市内に店主のようなお年寄りがまだいると思うが、掘り起こしたらどうだろう?と記者と話し合う。
 
老店主の10歳年下の母に新聞をみせたら「なつかしい!会いに行ってくる」とえらい喜びよう。そんなお年寄りが多いと思う。
 
今年の敬老の日は特別な想いで迎えることになりそうだ。
 
 

97歳の店主がいる奇跡の洋品店「無敵屋」をご贔屓に!・・・「けんか祭り」の氏子の矜持

2025年04月06日 07時39分29秒 | 糸魚川自慢
もしかしてギネス記録?97歳の店主が独りで切り盛りする、奇跡の洋品店「無敵屋」をご贔屓のほどを!
97歳になってもお化粧している店主のオシャレ心と指に注目!しっかりした骨組みの手は、どんな人生を送ってきたかを如実に物語っている。Facebookで紹介したら、著名な「自然界の報道写真家」の宮崎学さんがスバラシイ手をなさっておられる!と褒めてくれた。わたしが師匠と呼ぶだけのことはあるネ。
 
「けんか祭り」の法被の下は白の足袋と肌着に決められているが、地元愛のつよい氏子は量販店ではなく、昔馴染みの旧国道沿いの「無敵屋」にいき、「婆ちゃん元気かね?今年も祭りの足袋買いに来たぜね」と、大声であいさつして買い求める。
大声なのは老店主が耳が遠いからw。
 
祭礼は地域の結束を固めるから、氏子は祭りを迎える喜びを分かちあいたくて、地元の個人商店にお金をまわす。
 
わたしが生まれ育った寺町区の祭りの集まりで飲む酒は「樋口酒店」、酒の肴は「一印かまぼこ店」の蒲鉾と「山一精肉店」のハムカツ、そして衣類は「無敵屋」と、駅北の旧国道8号線沿いの個人商店を義理堅く贔屓にしている。
 
「無敵屋」さんと同じ時代を生きてきたお得意はみんな鬼籍にはいり、問屋も次々と廃業して仕入れ先は1店だけになったそうだ。昔は従業員が何人かいたし、ご主人も亡くなって、独りでは淋しいよネ・・・。
お客さんが来なくなっても化粧をして、いつもの青い上っ張りを着て、店を開けて店番をするのがお母さんの日課だ。シャッターは独りでは無理なので、ご近所が開け閉めしてくれているそうだ。
 
心ある人よ、奇跡の97歳の現役商店主から肌着でも買って、元気つけてやってくださいよ。
長寿のお裾分けをもらえるし、量販店に比べて品揃えこそ少ないけど、値段は全品1割引きだ。
 
97歳ということは終戦は娘盛りの17歳。まさに生きる昭和史で、こんな人から買いものできる店は滅多にないヨ。
 
旧国道はかって加賀藩が参勤交代をした「加賀街道」だから、商店は間口がせまく奥行きのある典型的な町家つくりだ。
しかし徐々に人の流れは郊外店にうつり、市町村合併にともなう新幹線開業で街の賑わいは駅南にうつってしまい、往時をしのぶことは難しい。
 
愛国心がどうのと四の五の言う前に、郷土愛の育成が先。それには老人から若者までが団結して伝統が継承されてゆく祭りが一番!
 
地方創生や人口減少を心配するなら、地元の個人商店を贔屓にすることが最初の一歩!
 
 
 
 

「けんか祭り」で坐骨神経痛をぶっとばせ!・・・足袋の中敷き

2025年04月05日 07時26分01秒 | 糸魚川自慢
酷い坐骨神経痛で寝込んでいた1月時点では、今年の4月10日の「けんか祭り」の参加はとても無理と諦めていたが、2月には気力が湧いてきて祭りまでに回復すると決意をかため、足袋の中敷きクッションを買っておいた。
アスファルトの上で何時間もとびねる青森の「ねぶた祭り」で膝や腰を悪くする人が多く開発されたのが足袋の中敷きと聞くが、現在は全国の祭りや仕事で地下足袋を履く人にも愛用者が多いらしい。
「けんか祭り」はラクビーのように御輿をかついで奔り、ぶつかり押し合う激しい祭り。見ると出るのでは大違いで、はじめて御輿の競り合いをした時は、後ろから押されて呼吸どころか心臓が止まる!と死ぬかと思った。
ただでさえ天津神社の境内の地面が濡れていると、泥で重くなり湿った草鞋が足に食い込み、帰宅まで足が痛いくらいにジンジン冷えて辛いから、情けないけど坐骨神経痛持ちには中敷きは助かる。
 
氏子にとっては「けんか祭り」は、盆と正月より重要な一年の節目、人生の転換点だから坐骨神経痛とオサラバ・・・したいものでございますw