わたしは「3年B組金八先生」放映時に中三で、世は校内暴力が問題になっていた。

糸魚川市立中学校では校内暴力というほどの問題はなかったと記憶しているが、それなりに荒れていたと証言する同級生もいる。
バブル期に青春時代をすごしたオラたち中学の同級会の会場は、ジュリアナ東京になって大フィーバー!

60歳をこえると肩の力がぬけて和気あいあい。オバさんパワーを発揮して飛び入り参加する女子もいたw

あのころはデイスコがクラブと呼ばれはじめた時代でございました。

ディスコチックなノリのなかで同じアホなら踊らなにゃ損損と和のテイストw・・・元気があってよろしい。
中学をでてから消息不明になり、不穏な世界にはいったと噂されていた幼なじみが、目の前に座っていて、ひと目でわかった。
「おい!生きてたか!」が第一声。
他のテーブルをまわって幼馴染を連れてきて会わせたら、涙ぐんで再会を喜んでいた。ずいぶんと苦労したらしい。
担任だった恩師に会うたびに心配していたから、どんな過去があるのかは聞かず、現在の堅気の仕事と住所だけ聞いておき、安心させてやろうと思う。よかったよかった。
わたしは2年の時に3年の不良グループから生意気だと連れ去られようとするクラスメイトをかばって以来、目をつけられて卒業するまでは穏やかな中学時代ではなかった。
リンチされそうにもなったが、この時に校舎の2階の窓に肘をついてじっと見守っている恩師に気付いた不良たちが、「覚えておけ」と捨てセリフを吐いて帰っていき事なきを得た。陰湿な嫌がらせは別の高校に進学するまでつづいたけど。
後から恩師に職員室に呼ばれて経緯を聞かれ、「無理すんなよ」とだけ諭されて解放された。
子供のケンカに介入せず見守り、解決を子供自身に任せた恩師は、わたしの得意科目の美術と歴史担当。
♫ ぼくの好きな先生 ♫ RCサクセション
RCサクセションの「ぼくの好きな先生」そのまま。
締めの挨拶をした優等生のツトムが、昭和の教師は今なら問題になるような個性的な人が多く、おおらかないい時代だったとスピーチした。ツトムも教職だから身に染みるのだろう。
ホントにその通り。
ケンカしたヤツ、気の合わなかったヤツも今となっては同じ空気を吸って育った仲間。
大団円。