5月22日、隣の茨木ワードの教会員田中三則(みつのり)兄弟が亡くなった。大阪府茨木ステークセンターに集う教会員は、教会の植木をきれいに刈り込んでいる彼の姿をよく目にしていた。6月23日教会で行われた偲ぶ会に50名を超す人々が集まり、彼の生前の姿を偲んだ。
断っておかなければならないが、彼は事業で失敗し妻子と別居した状態で後半生を過ごしていて、彼を理想化してこの記事を書くのではない。昔副監督をしたことがあり、ホームティーチングに熱心であると記憶されるなど熱心な教徒であったが、教会の要職に就いたというタイプの会員ではなかった。
だのになぜ人びとは生前の彼を語る話にじっと耳を傾け、感動を覚えたのだろうか。戸を開け閉めする音やスマホの音をも嫌い、皆話し手にじっと注目した。これほど熱心に耳を傾ける聖餐会やステーク大会の説教があっただろうか。
彼はセミナリーの教師に召されたことがあった。教わった元生徒が涙を流し、言葉を詰まらせながら思い出を語った。彼は細かいところに気がつく人で(朝早く来る生徒たちに食べ物を用意)、一生懸命にする人(手の込んだ教材を用意、電動植木刈り機を自腹で購入)、心配りが効き、器用で心優しい人だった、と出席者は一人ずつ語った。
お金と時間を使って教会のために尽くす人であった、分け隔てなく愛してくれた、話しかけやすい人で、人の心をとらえた、なんでそこまでと思うほど教会のために奉仕した(催しがある時は初めから終わりまでいた、教会に行くといつもいた)など。女手ひとりで子供たちを育てたある女性は、彼が自分の子供のように子供たちに接してくれた、と語った。
「本当は家族の愛に飢えていたのではなかったか、とにかく彼は心から打ち解けて話せる心の友だった」と語る男性もいた。これほど人びとの心をとらえた人は珍しい。彼に大きな矛盾がなかったとは言わない、私は人がどのように生きるかは大変難しいことだと思う。しかし、田中三則兄弟は奇特な(行いが珍しく感心させる)人物で大勢の人々の友となり、奉仕し、愛された人物であった。
(なお、この日午前から大阪北ステークで3つ故人を偲ぶ会があった。他の二つは安芸、伴姉妹のための会であった。)
ここで例を挙げてはちょっと礼を欠き過ぎかもですが、あの斎藤由貴さんの場合、興味深いのは、火星が(そして金星も)ノーアスペクトということで、男女間関係で、境界を取っ払ってしまうみたいな、強引さというか暴走みたいな傾向、かつ自己表現イケイケのしし座に火星ですよねぇぇ、金星のノーアスペクトは常に愛される存在でい続けるみたいな・・・
やはり、このネット時代、そういったところまで光が当てられて、そこからスタートしていくのが基本ではないのかと・・・そういった深い人間理解がねぇぇ・・・
https://ameblo.jp/gekishi4704/entry-12310079195.html
火星 ノーアス
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E7%81%AB%E6%98%9F%20%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%AF%E3%83%88
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=mars%20unaspected
まぁね、弱点は見方によって強所にもなったりで・・・
http://www.horoscope-tarot.net/
例)由貴さんの1966 9月 10日 時間は適当
出生場所 東京でいいでしょう
で、ホロスコープ作成をクリック
そしたら、ホロスコープ・チャートの下のこのホロスコープ詳細というのをクリック
で、アスペクト表などがでます・・・
ほな、ご機嫌よろしゅうにて御座候。
でも、やらないでくださいね、たまWEBさん!
時計の修理をしていたぐらいで、実に手先が器用な方でした。教会の教材なども自作でいくつも作っていました。
どれも、永久保存版にすべき出来栄えでしたね。
クリスマスの時の装飾や、照明も自前で作っていました。
今年のクリスマスは少し寂しくなりそうですね。
誰が、あのホールの天井まで届くツリーを組立て飾るのでしょうか?
縁の下の力持ちの後継者は出てこないんでしょうね。
手先に比べて、生き方は不器用だった気がします。
今思えば、ミニスタリングをずっとやっていた人ですね。
一人で黙々と、教会を教会らしくしてた人だと感じます。
建物管理と、人間関係について、自分が「教会とはこうあるべきだ」と信じたことを、組織でもなく、指導者の指示でもなく、ただ、自分の良心と信仰によって行ってきた人ですね。
イエスの眼差しはこのような方に注がれているのではないでしょうか?
パワフルな指導者より、惹かれるものがあります。