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NJWindow(J)



膨大な人口を擁する南部バプテスト会議のリチャード・ランド氏
(「倫理・宗教の自由」委員長)がこの問題に触れて次のように述
べた、と伝えられている。

「私はイスラム教を別の宗教であると見るのと同じようにモルモニ
ズムをキリスト教とは異なった信仰と見ている。モルモニズムを最
も丁重かつ好意的に定義すれば、アブラハムの流れを汲む四番目の
宗教と呼べるのではないか。ユダヤ教が第一で、キリスト教がそれ
に続き、イスラム教が三番目に位置し、モルモニズムが四番目であ
る。ジョセフ・スミスは、イスラム教でムハンマドが占める位置を
モルモニズムの中で占めている。」

http://www.time.com/time/nation/article/0,8599,1675308,00.html

そう言えば、ジャン・シップスはモルモニズムを「新しい伝統」と
呼び、ロバート・M・プライスはジョセフ・スミスを宗教史上預言者
ムハンマドに最も類似した人物と見ている。

11月1日の「U.S.ニューズ・アンド・ワールド・レポート」ウェッブ
版は、M.ラッセル・バラード長老(使徒)とのインタビュー記事を
掲載している。教会もさまざまに議論されている昨今モルモンの信条・
生き方について説明を試みたものである。バラード長老は次のように
語っている。

「モルモン教徒はキリスト教徒ではないとされるが、イエス・キリス
トは私たちの信条と宗教実践の中心に位置し、教会の頭(かしら)で
あることを考えれば理解しがたいことである。またモルモン教会をカ
ルト視する人がいるが、私たちは堅固に確立されたキリスト教の組織
を持ち人々を苦難から解放し、福音の真理を伝えようと努めている、
また神の子である人々を鼓舞し祝福しようとしている。カルト視は理
解できない。」

http://www.usnews.com/articles/news/national/2007/11/1/qa-elder-
m-russell-ballard-on-the-mormon-way.html
 

モルモン書にキリスト論(Christology)の特徴が表れていることは、新
約学者ステンダールも認めている。モルモン教を第四のアブラハムの
流れを汲む宗教あるいはイスラムに次ぐ新しい宗教と見ることも理解
できるが、教会の中にいる者としてはプライスがちらっと書いている
ように「モルモン的キリスト教徒」と呼ぶ方が適切であるように思わ
れる。

Krister Stendahl, “The Sermon on the Mount and Third Nephi,” 1978
Robert M. Price, “Joseph Smith: Inspired Author of the Book of Mormon,” 2002


コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
理解に苦しむ (金豚)
2007-11-26 10:31:32
枝葉の話しに成るかもしれませんがご容赦を・・。


私にはバラード長老の言葉がどうも理解しがたいです。

他のキリスト教会の教えが全く間違ったものである。と言う事から始まったのが、モルモンですから、

どうして今になって、モルモンの方が既存のキリスト教会に擦り寄るのでしょうか?

モルモン教会の主張は、「唯一真の神の教会」ですから、他のキリスト教会も、ユダヤ教もイスラムも、「人間が作った間違った教えの組織。」でしかないわけです。

ですから、第四の・・でも無いし、キリスト教の一派でも無い訳です。

モルモンの幹部の発言としては変な気がします。
 
 
 
第3のキリスト教 (オムナイ)
2007-11-26 18:28:28
そう言えば南部バプテストがカーター大統領からモルモンをキリスト者として認めないのは間違いと批判されたとき、ある牧師はモルモンは新しい宗教運動である。と宗教としての有意義性は認めていたようです。

私はカトリック・プロテスタントに続く第3のキリスト教として認知されるのではないかと思います。


まあ、別にどう定義されようと気にしているわけではありませんが。
キリストを救い主として信じているわけですから、キリストの教会としての看板はおろさないでしょう。
ユダヤ教もイスラム教もキリストを礼拝しているわけではないので。。

 
 
 
Unknown (オムナイ)
2007-11-26 19:15:26
ちょっと気になったもので。(^^;

>他のキリスト教会の教えが全く間違ったものである。と言う事から始まったのが、モルモンですから、

これは教えがではなく、当時あったキリスト教会のどれが本当か?という問いかけに「全て間違っている」と答えたものです。

むしろ本当の教え自体は様々な教会や宗教に散見されるという立場でしょうか。


最近のリアホナを見るとルターのことを好意的に紹介し、カトリックなどの伝統的キリスト教会にキリスト教を継続してくれた恩義があると、の記事も見かけす。
かなり昔の聖徒の道を見ても他のキリスト教への尊敬は見られます。

擦り寄るというよりは違った形でキリスト教を定義しているということかなと思います。
 
 
 
擦り寄っていくのではなく初めから (NJ(擦り寄っていくのではなく))
2007-11-26 21:47:42
金豚さんへ

(最近の誰豚掲示板、モルモンの泉の掲示板とも密度・レベルが高い議論が交わされていることに敬意を表します。一部言葉遣いが荒いのは別ですが・・。)

金豚さんや同様に見る人たちのことは承知していますが、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)は考えてみれば初めから、回復運動のひとつで原始キリスト教会を回復したと主張していたのです。自分たちこそ真正のキリスト教であると。

「いずれの宗派も間違っている」と見て始まったとしても、自らがキリスト教の外にいるいう意識はなく、むしろ上に書いたようにキリスト教を継承していたわけです。

従って今になって「擦り寄っている」わけではありません。(以上はモルモン教の立場に立った見方であり、客観的に見てもそういう位置関係になるのではないでしょうか。)

> 他のキリスト教会も、ユダヤ教もイスラムも、「人間が作った間違った教えの組織。」でしかない

これについては、他の宗教はすべて人が作った組織であると否定する見方と他の優れた宗教を尊重する姿勢と両方が現在教会内に見受けられるように思います。私はオムナイさんが言うように後者を重視したい者の一人です。(モルモン教も成熟してきている。)

ミット・ロムニーの登場で、米キリスト教界はモルモニズムの占める位置の定義づけに急に直面させられた状況にあります。オムナイさんの言う「第三のキリスト教」が一つの位置づけの候補のような気がしています。

―時間の流れー カトリックとプロテスタントは袂を分かった頃は血を流すほどの敵対心をむき出しにしていたのが、今は平和な共存がはかられています。出現時のことを持ち出して共存を心がけるのはおかしい、という責めるような論法は意地悪に聞こえないでしょうか?177年という年月の経過では足りないのでしょうか?
 
 
 
反省が無い (金豚)
2007-11-27 11:21:27
私も、過去から現在に至るモルモンと他のキリスト教の関係に関しては、NJさんやオムナイさんとそう差異は無いと思います。

ただ、私が問題視するのは、モルモンでは全ての事(変更)がなし崩し的になされる。と言う事と、すべてを肯定する体質が有る。と言う点です。

かつて、ジョセフスミスは、他の教会を「悪魔の教会」と表現し、モルモン書にもそれを示唆するような聖句が有ります。
その様な事に目をつぶって、「私達もクリスチャンです」と言うモルモンの幹部に誠実さが見られない。と私は感じます。ですから、「擦り寄っている」と言う表現を使いました。

様は、今のモルモンの幹部が考えているのは、どの様に社会に受け入れられるか?と言う事じゃないでしょうか?
そこに、宗教者としての信念も、信仰者としての誠実も感じる事が出来ません。

そして、かつての預言者が公言し教会の公式な教義で有った事柄を変更するのに、何の説明も無ければ、過去の反省も表明しない。

私は、その様なモルモンの体質に対して不信感を持ちます。

お二方は、その様な事を「よき事」と捕えておられるようですが、その様な体質自体が変わらないと、モルモンが世間の人から受け入れられる事は無いと思います。

耳障りの良い意見や、好都合な情報を積み重ねて、会員や指導者が「これでいいのだ」と思っている。何の反省も無い、と言う事を私は一人のモルモンとして憂います。
 
 
 
反省、誠意について諒解 (NJWindow(なるほど))
2007-11-27 14:15:18
11/27日付け金豚さんのコメント、全面的に諒解。

私の場合、批判、攻撃が一方的に激しく見えるとき、反動として劣勢に見える方を味方する習性があるようです。私自身にも金豚さんが感じるような気持ちがしないわけではないのです。(無条件で「好都合」に見える「情報」を書いているのではありません。)

アメリカ政府の戦争政策を支持してきた米国の教会本部、圧倒的共和党寄りのユタ州とモルモン教徒、教会幹部に身内が召される例が見られること(幹部がほとんどアングロサクソン系であること)などを快く思っていません。

片方でそのような現状に対峙しながら、片方でなるべくバランスを取るような姿勢(客観的な視点)で情報を提示しているつもりです。

(そうは言っても、サイト毎にスタンスの違いはやはり厳然としてあるし、それも数年、数ヶ月で変化し、あるいは揺れていくのが実際ではないでしょうか。)


 
 
 
モルモンはクリスチャン? (トゥゲザー)
2007-11-27 16:31:43
興味深い議論を拝見し、ぶしつけで申し訳ないのですが、
日頃からみなさまに真面目におたずねしたいと思っている質問を
書かせていただきます。

モルモン教義における「他の全ての教会は間違っている」という点について
護教側にいる人たちの言い分は、以下の2種に大別できます。

A.これは神が直接現れて語ったことであり、事実である。
 神の意志なので人間の理解が及ぶところではなく、
 理由や意味をたずねられても回答はできない。
B.モルモン教会の発祥は19世紀前半の回復運動の一つであり、
 我こそは真なりとは当時の宗教家の常套句にすぎない。
 ジョセフも同じことをしたにすぎない。

上記の全く相反する理屈を状況に応じて使い分け、
その場しのぎの対応を繰り返してるだけでありまして、
首尾一貫した責任ある回答をした人を見たことがありません。

またカトリックとプロテスタントの和解を持ち出して、モルモンへの批判を
かわそうとする方もいらっしゃるのですが、そういう方に以下の質問を
投げかけたいと思います。

1.あなたは、同じキリストを信じていることを理由に「モルモンと
 クリスチャンは仲間である」と言っているのに、
 同じモルモン書を信じ、ジョセフ・スミス、ブリガム・ヤングを
 真の予言者と信じているモルモン原理主義者を「モルモンと仲間である」
 と言うことができないのはなぜですか?
 あなたが原理主義者をモルモンと認めたくないのと同じ理由で
 クリスチャンがモルモンを認めたくないのならそれは理解できますか?

2.クリスチャンは中世のキリスト教会の異端審問や魔女裁判、
 ユダヤ人迫害などの過去の出来事を受け入れ謝罪してきました。
 それらは現代のクリスチャンには無縁のものですが、それでも
 キリストの名を引き継いで過去の遺産を背負っているのです。
 モルモンはそうしたクリスチャンの過去の間違った行いを
 共に背負って謝罪することができますか?
 クリスチャンの仲間になるとはそういう事ですが?

私は上記の質問もあちこちで問いかけるのですが、いまだに
まともな回答をするモルモン会員に出会ったことがありません。
 
 
 
客観的には受け入れられる。 (オムナイ)
2007-11-27 21:49:03

>お二方は、その様な事を「よき事」と捕えておられるようですが、その様な体質自体が変わらないと、モルモンが世間の人から受け入れられる事は無いと思います。

モルモンの体質は昔に比べて変わってきています。
これからも規模が大きくなるにつれて必然的に大衆化するのではないかと思います。
またそれもモルモンの正しい行くべき道だとも思います。

客観的みて社会学者が言うように世間はモルモンを受け入れ有益な宗教の一つとみなすのではないでしょうか。

その道のりの中にはたして過去の遺物の清算が含まれるかと言うと私はあまり必要とは思いません。
謝罪の要求をしている人々の理由は別のところにあるのではないでしょうか?
 
 
 
理由はこれです (トゥゲザー)
2007-11-27 22:33:11
>謝罪の要求をしている人々の理由は別のところにあるのではないでしょうか?

真の悔い改めとは
「罪を悲しみ、相手と和解し、もう繰り返さないと決心することである」
と教えている教会が、
自らの行いに対しては自らの教えを適用しないことに、
モルモン教会の本質が露呈しています。
 
 
 
答えを記事に記載 (NJ(答えを記事に))
2007-12-02 00:01:21
厳しい質問が寄せられました。ここに続けるのでなく、新しい記事として答え(説明)を試みます。
 
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