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 私たちは近隣諸国の教会の様子をあまり知らない。台湾の教会の教勢と最近直面している問題についてダイアログ誌に興味ある記事が掲載された。要約して紹介させていただきたいと思う。

 ダイアログ誌2008年夏季号に掲載された陳穹黄(チェンチウンホワン、漢字は推量)の記事「台湾にあって台湾のものでない: 土着化の流れを前に課題に直面するLDS教会」によれば、台湾では日本や韓国、香港と違って教会は近年も停滞することなく増加を続け昨年末5万人に達したが、近年高まりつつあるナショナリズムを前に教会はこれまでのようにアメリカ的な存在のまま通していくのかどうかが問われている、と言う。台湾生まれの陳女史はブリガムヤング大学ハワイ校准教授で「メディアと文化」の側面から分析している。

 台湾におけるモルモン教会の伝道は歴史が浅く、1956年に開始され最近2006年に50周年を記念したばかりである。台湾は第二次大戦後国民党政府が宗教の自由を保証し、蒋介石総統の家族がクリスチャンであったこともあって、キリスト教に好意的であった。1940年代1950年代にキリスト教黄金期を迎えキリスト教人口も増加した。その幕が閉じられようとするときにモルモンの宣教師が来たのであった。

 長年植民地に甘んじてきた台湾では、「従洋媚外」(じゅうようびがい)の傾向があると陳は言う。これは西洋の文物を盲信し、外国に媚びる態度である。また、国際政治の環境が大陸中国の脅威にずっと曝されてきて、米国に頼らざるを得ない境遇にあったので、アメリカ寄りの気風が一般的であった。そのような中にあってlds教会は1985年以降増加率が上向きに転じ、当時1万人であった会員数は2009年には5万人に達している。ユニット数(ワード、支部)は102。なお定着率は低く20%に留まっている。

 但し、lds教会の台湾における認知度は低い状態に留まっている。そしてメディアの扱いもまだまだアメリカの宗教という枠を出ることはない。アメリカの記事の翻訳が多く、またlds教会と原理主義的モルモンの分派が混同して報じられることも多い。

 一方、1949年以来敷かれていた戒厳令が1987年に解除され、政治的に解放されて民主的になり経済的な自信を得て、人々はアイデンティティの模索を始めた。旧来の地元民の母語を復活させようという運動もそのひとつであった。このナショナリズムの運動にカトリックやプロテスタント諸宗派は、関心を示し礼拝に部族語を採用したり、現地人を聖職に就けたりしている。lds教会はアメリカの宗教であり続けるのか、地元の文化を盛り込む余地を作り適応していくのか岐路に立っている。ちなみに現在lds教会は標準中国語を使い現地語採用に踏み出す意思がなく、土着化への流れ(indigenous movement)に理解を示していない。今日の社会では福音を効果的に伝えるには、中央集権ではなく分権化に向かうことと各地の状況に適応することが望ましいとされているが、この点を教会はまだ認識しておらず台湾において立ち遅れている。

資料:
Chiung Hwang Chen, “In Taiwan But Not of Taiwan: Challenges of the LDS Church in the Wake of the Indigenous Movement,” Dialogue: A Journal of Mormon Thought, Vol. 41, No. 2 (Summer 2008)
http://www.cumorah.com/index.php?target=missiology_articles&story_id=14
参考 04年度モルモン歴史学会に出席して 2

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (Unknown)
2010-08-13 01:40:20
>今日の社会では福音を効果的に伝えるには、中央集権ではなく分権化に向かうことと各地の状況に適応することが望ましいとされているが

すみません
これはその記事の内容でしょうか
それともNJさんの望みなんでしょうか

最近の地方分権という日本の政治的な考えとオーバーラップしてませんか?
 
 
 
原文では (NJ)
2010-08-13 09:30:47
これは陳さんの記事に出ていた内容(最近の学者たちの視点に言及)です。私の望みでもありますが。

訳語が紛らわしいですが、原文は the traditional model of Western-dominated knowledge and authority を脱して a de-centered, contextual approach to Christianity に向かうことが求められているとあって、de-centered を中央集権に対して分権、そして「化」を加えて訳出しようとしたものです。

換言すれば、各地の文化や伝統と統合しながらキリスト教を定着(あるいは土着)させていくのがよい、という観点です。

日本の政治的な概念とは直接関係していないと思っています。
 
 
 
中央集権ではなく分権化 (ADHD)
2010-09-08 20:03:26
>今日の社会では福音を効果的に伝えるには、中央集権ではなく分権化に向かうことと各地の状況に適応することが望ましいとされているが

日本においても日本人による日本独自のLDS教義の展開がいっそう求められると思います。

LDSへの批判、LDS会員への批判もも多々ありますが、LDSのなかには、大変成熟した立派な教会員も大勢いらっしゃいます。

またLDS教義によって心に平安を取り戻す方もいらっしゃると聞きます。

世界標準のレッスンプランから脱却し日本人の求める教義を重点的に展開すれば伝道は成功を見るのではと思っています。

世界の中でも自殺者の多い日本を救いに導きたいというのが私の気持ちです。

LDSはそのために何ができるのでしょうか
 
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