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[Greg Olsen 画]

6年前このブログで、「最初の示現」に4つの版があって信憑性に欠けるのではないかという疑問や批判に対して、神の顕現については実際に何が起こったのか知るすべがなく、「現象学的留保」(epoche') の態度で肯定も否定もせず、その意義を研究し、受け入れるのがよいのではないか、と書いた。私が参考にしたその記事に、同じ方向から別の説明が出ていたので補足したいと思う。

まず、「最初の示現」の話は「神話」の範疇に属すると見るべきだとスティーブン・テイソムは言う。(テイソムはクリーブランド州立大学で宗教史を講じる末日聖徒)。「神話」とは重要な徳や比喩的真理を伝える物語を指す、学術的用語である。

「神話」はある文化の基盤となり、その文化を正当・真正なものとする機能を果たす。それで、その文化に生涯をかけてきた人々にとっては、反射的に批判の対象外に置いておきたいものである。宗教認知論学者ミルチア・エリアーデが、「歴史が始まる前」とか「宇宙開闢の時」(in illo tempore, 英語で in that time, 「あの時」)のこと、と呼んだ言い方に通じる。



ただ、「最初の示現」は1820年のこととされるので、宇宙開闢の時からかなり年月を経ている。それでこの神話を守護するため、別の言い方が必要となる。いくつも擁護のための説明がなされてきた所以である。

ゴードン・B・ヒンクレーは「宗教史の中でこれに比肩し得るものはない」と書いた。彼は「最初の示現」を歴史学、社会学、人類学、文学分析のような学術比較研究の対象とするにはそぐわない、言い換えるとそれはタブーである、と言うのであった。つまり、最初の示現の話を「神話」として扱うように求めたのだった。Epoche’の精神に通じるものである。

参考
当ブログ 2011.08.03 「最初の示現」をどう受けとめるか:新しい観点
Stephen C. Taysom, “Approaching the First Vision Saga” Sunstone June 2011
この記事に書かれたヒンクレー大管長の言葉
  Gordon B. Hinckley implicitly set the mythology of the First Vision in the in illo tempore category when writing that “in all of recorded religious history there is nothing to compare with it.” Essentially, his words are a taboo against subjecting the First Vision to analysis by comparative disciplines such as history, sociology, anthropology, and literary analysis. Hinckley is insisting that the story be treated as “myth”—that is, he is insisting that the story transcends any scholarly attempts to investigate it.



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コメント
 
 
 
約11年前・12/23/05の記事、 (たまWEB)
2017-01-15 19:39:08
「発展的生成の道をたどった見神録」での最初二つのコメ、たまWEBのでごんす、いやぁぁもう11年も、光陰矢の如し、全然成長ないたまW・・兎も角・・ http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/45cf36733d9aa1be79796df1e7328529

今回、思ったんですが、見神録の変遷は、教会の成長、教会員の信仰の深まりに応じてジョセフが開示していったんではとそんなふうにも解せる気が。なんか手前味噌って言われちゃいそうですが、38年5月に14歳で亡くなったトーマス・B・マーシュの次男の葬式の話があって(ミズーリ州ファーウエストでジョセフ主幹の新聞死亡記事・38年7月)、そこでは彼がとても信仰深く、9歳で御父や古代の預言者らと顔と顔を合わせて語ったり、再臨する主イエスの示現を見たといったことが葬式で父から話された模様。これは、教会記録関係で最初の’御父とまみえた’に関し最初のものなんでしょうね、この後に38年の最初の示現が書かれたと、そういったタイミングがあったんですよねぇぇ。まぁ、このへん、いろんなふうに推測可能でしょうけど・・・

また、33年開始の予言者の塾での何回目かの時での御二方の示現の記録もあるにはありますかぁぁ。http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/f7e2e371a7ff844fecd1fd767dd9b87b
 
 
 
「宗教史の中でこれに比肩・・・ (たまWEB)
2017-01-15 20:07:35
云々は、2002年10月総大会の説教ですかぁぁ。
あれま、2002年のリアホナ、PDFにつながらないんだが、なんとかしてちょんまげ・・・
https://www.lds.org/liahona/2002?lang=jpn

まぁ、ヒンクレーさんのことだから、神話にしてもいいよ、みたいに取れる??後々そう話したということなんでしょうかね??
まぁ、説教では「神話」の言葉は無かったでしょう・・・ 
 
 
 
そのマーシュの子息に関して (たまWEB)
2017-01-15 20:19:29
は、こちら英語ですが、
James G. Marsh, ~1832-33
http://www.mormonthink.com/firstvisionweb.htm#marsh
たまWEB、最初に読み知ったのは、もう何年も前ですかねぇ、そのサイトかどうかは覚えてませんが、今回、このマーシュ息子さんの思い出し引っかかってて、検索してみたわけです。
 
 
 
 ()
2017-01-16 11:29:42
豚の肝は良く加熱しないと危ない・・・って話ではなくて・・・。

何事にも「肝」と言う存在が有りまして、最初の示現は、モルモン教会の組織と教義と存在そのものの「肝」です。

キリスト教で、キリストの復活をどうとらえるか?と同じレベルで、モルモン教では、最初の示現をどうとらえるかが問われるんじゃぁないですか?

これが無いとモルモン教会じゃないって言う部分ではないんですかね?

それが、神話だなどとなると・・・???
 
 
 
Unknown (教会員R)
2017-01-16 14:22:20
たまWEBさんありがとうございます。

http://www.mormonthink.com/firstvisionweb.htm#marsh

この手の古い資料は信仰には不要であるが、歴史的には興味深いものがあります。

ジョセフ自身に実際に起きた最初の啓示は、14歳ではなくて、16歳のときにイエスお一人が直接現れて、お前の罪は赦されたと告げられた啓示(通常牧師がバプテスマをした後に宣言する台詞と同じです。御子を通してあなたと天父はつながりましたくらいの意味です。)だったのかも知れません。

お二方に遭った示現?の経験をしたのは、9歳のマーシュの次男の方で、14歳で亡くなった少年のお葬式で父から聞かされた証が、ジョセフの心に焼き付いて、その結果彼の中で融合されて、現在主流のの最初の示現を形勢されていったのかも知れません。

 
 
 
恥ずかしながら (nj)
2017-01-16 20:15:05
このマーシュの話、初めて知りました。少し探索してみたいと思います。コメントありがとうございます。(あり得る話として興味を覚えます。)
 
 
 
『史料で読むアメリカ文化史2』 (たまWEB)
2017-01-17 20:54:26
というの見たんですが、ジョセフの日記で32-34年と35-36年の2箇所の見神の体験およびその前後の記録がていねいに訳されてるようです。英文のは見てないですが。ネットには出てないようで。が、このジョセフ・スミス文書というの検索であったんですが、ちょっと端折り訳のようで、’史料で’の2箇所と同じ場面なわけですが、なんかダイジェストだったりしてな・・ま、他になさそうなので、http://www.josephsmithpapers.org/articles/primary-accounts-of-first-vision-jpn


 
 
 
最初の示現について、 (たまWEB)
2017-01-17 21:04:19
教会員としては、銘々、各個人がですね、直解的に、あるいは信仰の目で、各自の霊感でですね、理解していくものということに落ち着くんでは?!・・・
 
 
 
創作というのも (たまWEB)
2017-01-18 04:11:59
各自のベストの見解で、それも、ありかなと・・・
あっ、そうそう、1837年版(第2版?かな)のモルモン書で、ジョセフの更訂がいくつか入ってるわけで、たとえば、「18 すると天使は言った。「見よ、あなたが見ているおとめは、肉に関して神の御子の母である。」(第1ニーファイ)で、初版は、’神の母’、もうひとつ同様のは、
「21 すると天使がわたしに言った。「神の小羊、まことに永遠の父なる神の御子を見なさい。あなたは父が見た木の意味を知っているか。」」(同)では、’神の子羊、永遠の父を見なさい’だった。
モード・脳内的には三位一体の影響下だった?!みたいな。1835年版の教義と聖約に付加されてた『信証講義』で、神会は皆、霊の御方みたいに記されてるということのようで。教義と聖約130(:22)の骨肉の体は1843年。・・・啓示を通じ、ジョセフ自身の神・神会への理解が変化した、深まったということか、おそらく。その影響もあったんでしょうかね。


 
 
 
Unknown (教会員R)
2017-01-19 01:47:30
少年ジョセフの混乱は、さまざまな教派の教会が矛盾したこと(復活の教義の矛盾)や(幼児のバプテスマの賛否)などが起因していると説明されており、

その回答はモルモン書に、死者がパラダイスに入った時点で復活と言い、肉体との再結合(復活)とは別という見解とか、幼児にはバプテスマをしてはならないなど、基本的な論争への答えを与えてくれている。

一方、三位一体の教義は、どの教派の教会も一致していたので論争も起きず、当初のジョセフスミスは疑問にも思わなかったのでしょう。 

それで三位一体の否定が後になったのも分かるように思います。
 
 
 
教会の進捗ということでは (たまWEB)
2017-01-19 15:36:46
会員各自の信仰しだい霊的賜物の発揚といったことにかかっていると言えそうな感じでしょうか・・・
 
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