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モルモン書に交差対句法(キアスムス)がいくつも見出されるとジョン・W・ウェルチが1969年に発表して以来、交差対句法の存在はモルモン書が古代に起源を持つことを証明するものとして注目されてきた。しかし、1980年代から90年代を経て21世紀に入ると、研究者たちが再検討・精査し、慎重な視点や批判が提示されるようになった。

この稿では、ウェルチが発表してきたアルマ書36章全体に及ぶ交差対句法を取り上げ、主としてそれを批判した、ワンダーリの記事を紹介したい。交差対句法は、最も多いのは韻文の短い1節が前後半に類似した要素を含む対句で構成され、その順が交差するように配置された修辞法を言う。例、創世1:27 (倒置法を使ったKJVが原文の語順を留めているのでその英文と和訳、ヘブライ語で示す)
   So God created man in his own image,
in the image of God created he him;

   神は人を創造された、自分のかたちに。
   神のかたちに 神は人を創造された。(簡略試訳)

וַיִּבְרָ֨א אֱלֹהִ֤ים אֶת־הָֽאָדָם֙ בְּצַלְמֹ֔ו
בְּצֶ֥לֶם אֱלֹהִ֖ים בָּרָ֣א אֹתֹ֑ו 
(ヘブライ語は右から読む)

この種の対句法はもう少し拡張されて、数行から10行を超えるものも聖書に見受けられる。ウェルチは1991年にアルマ書36章は章全体(30節からなる)が対句法になっている、と発表した(「アルマ36章は最高傑作」”A Masterpiece: Alma 36”, 「モルモン書再発見」FARMS 1991年所収)。



それ以来、交差対句法は特にモルモン書との関連で注目され研究が進んだ。しかし、聖典の中に多くの研究者たちがこの修辞法を探すうちに、判断基準が甘くなったり拡大解釈されたりすることもあって、批判的な論調も現れるようになった。B. L. メトカーフ、ダン・ボーゲル、デービッド・P・ライト、E・M・ワンダーリなどが批判的な記事を書いている。ライト(Wright)は聖書と古代近東学を専門とする学者である。ここではワンダーリのダイアログ誌の記事をもとに論点を紹介したい。

まず、要素を構成する語句の選択が時に恣意的になる傾向があることを指摘している。例えば、冒頭の1節と末尾の30節に「ことば」(word) を置いているが、3 節と26節にも出てくるのは無視しており、16, 20節の「苦痛」は選び、13, 19節にある「苦しみ、苦痛」は無視している、など。重要な語であっても交差対句にならないと無視されている。次に、章前半と後半に対になる要素が交差するように配置されるのであるが、その対となる部分に長さの点で長短の不均衡が見られることが指摘されている。例、e の記号がついた「彼らは奴隷の状態にあった」(2節)は、後半の e’ では28, 29節が該当するとされ、その差は邦訳で 6行:16行となっていて、語数の均衡という原則が守られていない。図中の l, l’ も14行: 4行と均衡が守られているとは言えない。そして最後に、中央の部分に鍵となる重要な概念が置かれるとされるが、ウェルチがアルマ36章をこれまで4回扱った記事で、毎回内容が変化している。推敲の後が見られるわけであるが、ワンダーリはそれほど重要な個所を確認するのに苦労するものなのか、と疑問の目を向ける。(なお、ライトは冒頭と末尾に最重要な要素が置かれると言う。)

ワンダーリは詳細に点検してみると、ウェルチが交差対句法に見える様式を本文中から読み取り、工夫を凝らして配置したあとが窺われる、むしろ彼の創作的才能が感じられると厳しい。ウェルチは、交差対句法と判断するための幾つかの判断基準を掲げているが、だからといって古代の修辞法が厳密な科学的分析対象になるわけではない、そこにはジャズ奏者のように即興的で柔軟な適用もあり得る、という見方を示している。

大変端正にキアスムスが提示されたアルマ書36章であるが、批判が出されたことを知って、読者は自分で書き出してみて、結論を出すことが求められるのではないか。少なくとも短い、明確な形の交差対句法と同じではないこと、判断基準をはみ出すところがあることを認めなければならない。参考までにグラント・ハーディのモルモン書(韻文と散文、対句法が分かるような様式[フォーマット])でも、アルマ書36章は全章交差対句法の形を採用していない。

参考
Earl M. Wunderli, "Critique of Alma 36 as an Extended Chiasm," in Dialogue: A Journal of Mormon Thought, Vol. 38, No. 4, Winter 2005

当ブログ 2008/06/16 交差対句法(NJWindowによるまとめ)


コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
自分なりに確かめる態度 (オムナイ)
2015-07-11 10:18:03
不思議なもので権威的学者から提唱されると、そのように見えてしまう..


肯定的であれ批判的であれ一旦信じてしまうと、なかなか視点を変えるのは難しいのかもしれません。

モルモン書の交差対句法に対して肯定的な視点を持つ私の感想です。

アルマ書36章の様に長文の交差対句構造は聖書でも不均一さが見られるであろうし、アメリカ大陸に渡ったユダヤ人の末裔でしかも変形エジプト文字で書かれた前提の文書となると構造が崩れていても不思議ではないこと。

短く明確な交差対句構造はニーファイ書やモーサヤ書には見られる。

問題はジョセフ・スミスが欽定訳聖書の文体を真似る過程で自然とその構造が出来上がる可能性はあるということでしょう。
 
 
 
同意 (nj)
2015-07-11 13:54:13
理解できてるオムナイさん。
 
 
 
交差対句法ですが (ken)
2015-07-15 07:45:01
ふと読んでいて感じたのですがこの語法は他のセムハム語族たとえば古代アラム語、アッカド語、ゲーズ語、古代ヒエログリフなどでも同様の語法は存在するのでしょうか?

英語にこういった語法があるとすると他のオランダ、ドイツ語といったゲルマン諸語またはロマンス語諸語には存在するのでしょうか?

英語はゲルマン、ロマンス語のハイブリッド言語ですので上記の疑問を持ちました

さらに疑問はその全く違った言語族間において語法をすんなり互いに転換できるものだろうかともしそれが出来ていたとするとジョセフの言語センスはじつは素晴らしいものがあるということになります。
 
 
 
専門家によれば (NJ)
2015-07-15 22:21:30
専門家の本を参照するしかありませんが、それによると、シュメール語、アッカド語、ウガリット語、アラム語、古代ギリシャ語、ラテン語にも見られるということです。(John W. Welch, “Chiasmus in Antiquity” 1981).

ジョセフ・スミスの言語センスについてそう言う人がいます。ただ、私には何とも言えません。
 
 
 
交差対句法以外にも。 (オムナイ)
2015-07-28 01:40:11
聖徒の道時代にモルモン経の研究シリーズというのを読んだ記憶があって、確かマヤ文字はヒエログリフの影響を受けていて、しかも交差対句法が使ってあるようだとの記事を読んだことがあります。

さらにモルモン書にはヘブライ語の特徴が他にも見られるとのこと。

http://morumon.com/3365/モルモン書のヘブライ語の表現

いかなる時代、あるいは方言において、英語では絶対に共通しない条件の形は「もし/そして」の構造です。英語を母語とする人々はそのような表現を使いません。
ーーー

こういったことはアブラハム書の翻訳でも起こっているようで一概にジョセフ・スミスの創作とは決めつけられない事象があります。

https://www.lds.org/topics/translation-and-historicity-of-the-book-of-abraham?lang=jpn

その書には,聖書に出てこない「オリシェムの平野」という名称が述べられています。

世紀まで発見も翻訳もされていなかった古代の碑文に,シリヤ北西部に位置する「ウリスム」と呼ばれる町のことが記されています。

さらに,アブラハム3:22-23は,当時のアメリカの文体ではなく,もっと中近東の言語の特徴を持つ詩的構成で書かれています。
 
 
 
Unknown (ken)
2015-07-28 13:41:35
マヤ文字はすでに解読が完了しており現地では失われた言語を自分達で使おうという運動がおこっております。

具体的にはNHKでたしか数年前に放送されたものがかなり詳細にマヤ文字解読の経緯、明かされた歴史、文字の構造がわかる放送内容です。
私は興味ありましたので録画して何度か見直しております。

Eテレ 地球ドラマティック 古代文字を解読せよ という題名でyou tube かNHKアーカイブあたりで見ることができるかもしれません。


文字体系や単語群はエジプト文字というよりは古代中国の少数民族の文字体系で個人的には西夏文字に構成方法が似ているなという私見ですね。


興味ありましたら各自お調べいただければ幸いです。
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個人的にはモルモン書はジョセフの創作とも
翻訳したものとも現時点では結論をつけるのを保留しています。

一例ですが

モルモン書の表現で個人的に不思議に思っているのは it came to pass で始まる表現がやたらおおいのですが

これはセムハム語族を勉強していますとピントくるのですが英語などとちがいアラビア語、ヘブライ語等は動詞の基本形が
過去の三人称ですので


はたしてこれがジョセフが文体を厳格に見せるためにあえて使ったのか
原文を単純にそのように英語に変換したのか

私的には判断しかねます。

 
 
 
Unknown (ken)
2015-07-28 13:45:00
古代文字を解読せよではなくて

古代マヤ文字を解読せよ
です  

すいません
 
 
 
Unknown (ken)
2015-07-28 20:45:01
過去の三人称ですので

より厳格に表現しますと

*三人称(男性型)単数 完了型 *

です

 
 
 
Unknown (オムナイ)
2015-07-30 09:44:25
考察参考になります。
ありがとうございます。

>Eテレ 地球ドラマティック 古代文字を解読せよ という題名でyou tube かNHKアーカイブあたりで見ることができるかもしれません。

上記の動画は見つかりませんでしたが奇しくも8/1(土)深夜再放送されるようです。

http://www4.nhk.or.jp/dramatic/x/2015-08-01/31/26732/

ついでですがマヤ文字云々を紹介していた聖徒の道は1985年4/5月号でした。
 
 
 
and it came to pass (オムナイ)
2015-07-30 10:50:08
>モルモン書の表現で個人的に不思議に思っているのは it came to pass で始まる表現がやたらおおいのですが

蛇足ですがこのような記事がありました。

https://www.lds.org/general-conference/2012/04/in-tune-with-the-music-of-faith?lang=jpn

モルモン書から“and it came to pass”(訳注――英語のモルモン書で頻繁に用いられている表現。日本語では「さて」「そして」「そこで」などと訳されている)という言葉を取り除いたら「薄っぺらい小冊子になるだろう」というマーク・トウェインの言葉を引用したことがありました。・・・

セム語族の言語の権威であるこのエジプト人教授は・・・彼が挙げた数多い例の中に,“and it came to pass”という接続句がありました。

古代セム語の文献で用いられる言い回しを自分が翻訳するときも,そっくりな表現を選ぶだろうと言いました。

 
 
 
Unknown (ken)
2015-07-31 02:15:38
>上記の動画は見つかりませんでしたが奇し>8/1(土)深夜再放送されるようです。

再放送されるのですね。良かったです。

英語のオリジナル版ががyou tube にありました。英語が理解できる方々おすすめです。

https://www.youtube.com/watch?v=H5ppfC6y-5s

 
 
 
モルモン書の世界は多言語世界? (ken)
2015-07-31 04:19:49
モルモン書の記述によりますと

ニーファイ達のグループに
複数回別グループが合流、合体

その記述が正しいとすると時間経緯での変化もそうですがその時点で言語の変質が起きた可能性が多々あるかと 

さらにはモルモン書の中にニーファイの民が
レーマンの民の言語を原音のまま記述しそれの意味を書いている不思議な部分があります。

でも

お互いに手紙のやり取りをしたりしている部分があるのですが不可思議なのは通訳者という記述が見られないことです。


 
 
 
Unknown (ken)
2015-07-31 04:27:46
セム語族の言語の権威であるこのエジプト人教授は・・・彼が挙げた数多い例の中に,“and it came to pass”という接続句がありました。

古代セム語の文献で用いられる言い回しを自分が翻訳するときも,そっくりな表現を選ぶだろうと言いました

なるほど、、以前私は英語文のみ読んだ発想で

単純にit came to pass の表現をなんて冗長だと思っていたのですがなかなか奥深いものがモルモン書の中に内在しますね。

 
 
 
古代マヤ文字を解読せよ (オムナイ)
2015-08-09 19:25:30
録画してあったので観ました。

しかし、人間の知恵とは凄い。

絵文字が漢字のへんとつくりのように組み合わされ、しかもデザイン的に繰り返しを嫌って何種類ものパターンがあるなんて。。

頭の固い権威的学者が研究を妨げている例はどこでも同じですね。
 
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