香港在住の末日聖徒メリッサ・井上は、LDS教会をどう見るかについて「パン種を加えてこね、焼き上げたパン」のように見るのがよいのではないかと提案した。(2012.06.18ワシントンポスト紙に投稿)。これはモルモン教会の歴史で見出される矛盾を取り上げて、一か所途切れると続く部分が全部消えてしまう「クリスマスの明かり(電線でつながれた電飾)」のようなとらえ方より適切ではないか、と言うのである。

「クリスマスの明かり」の譬え(analogy)では、もしジョセフ・スミスが神の預言者であったのならLDS教会の提示することは神聖かつ真正なもので、モルモン書が正しければ教会の正統性は疑問の余地がない、逆にもしLDS教会の歴史上一か所でも何か矛盾や欠陥があれば、教会そのもの全体が神性という電流が途切れ信頼できないものとなる、という見方である。

それに対し、LDS教会をふっくら焼きあがったパンのようなものと見る譬えは、イーストを加えたパン生地が発酵し、初めはそうでなくても微妙なバランスの上でメリケン粉、水、塩を加えながら焼きあげると美味しいパンが出来上がり、滋養のある見事な食品となるのに譬えられると言う。
これはヒンクレー大管長が、「総じて言えば、LDS教会の結んでいる実は素晴らしく、広範にわたってよい影響を及ぼしている」と言った表現(1996年4月マイク・ウォラスによるインタビュー)に通じる見方である。
M. 井上は次のように述べる。「宗教はパンに似て複雑な生命体である。組織でもあり有機体でもあり、様々な多くの過程をへて、また人物の手をへて創出され維持される。そして時間の経過とともにまた環境に左右されて形成されていく。腐敗の道をたどることもある。」「しかし、パン種の作用によるのと同様、宗教はよいものを生み出す可能性も秘めている。このよさを味わう、あるいはよさを創り出す複雑な過程に積極的に参加することは、知識が欠如していてはできず知性のなせる業なのである。」
註:メリッサ・井上(Melissa Wei-Tsing Inouye)は、ハーバード大学で「東アジアの言語と文明」で博士号を取得し、香港に住み、現在「『真実のイエス教会』と中国のプロテスタント教会」について本を執筆中。
メリッサ・井上の投稿文 Mormonism Isn't Like A String Of Christmas Lights http://www.huffingtonpost.com/2012/06/19/mormonism-isnt-like-a-string-of-christmas-lights_n_1607410.html
参考 本ブログ 2013.06.16 MHA レイトン M. 井上の活躍
本ブログ 2012.07.11 MHA カルガリー M. 井上の登場
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最近の建築物にはすべて設計書や構造計算書が存在します。それは、国によって基準が違うし、年代によっても基準が違います。安全、安心、快適な生活を送るための計算書による照査が、現代の建築構造物には行われているのです。しかし、問題のある構造計算書の偽装が行われたことも、設計書通りに建築物が出来上がっていないこともあります。そのような建築物は、大きな地震に耐えることができなかったり、積雪に耐えれなかったりしています。
教会の聖典や手引きは、設計書に例えることができますが、十分その国に対応していない場合があるし、組織で働く人々が十分機能していない場合もあります。
また、大地震とかあって世間の基準が変化しているのに(脳科学、心理学の発展)教会の教義がついていっていないところもあります。
いつも課題が盛りだくさんの教会です