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NJWindow(J)



大変大きなテーマに対して大雑把な考えであるが、日頃思って
いることをメモとして記してみることにした。以下、こうある
べきではないか、という姿である。

1 ワード部、ステークレベルの教会運営上、外面・内面とも
問題なく運営できること。一般会員にはあまり見えないが、献
金納入が十分で国内の経費が賄えていること、神殿の参入者が
多く、神殿で奉仕する人手も充足していて、海外からの援助を
必要としない状態。
 中央の教会幹部に日本人がいて、日本の声が反映できている
こと。地域会長会、伝道部長に日本人が多数占めている。東京
の教会管理本部代表者も日本人である。

2 日本的要素を加味した教会の姿となっている。日本やアジ
アの文化、徳性を包含した考え方が宗教活動に、また信徒個人
に反映されている状態。運営上の卑近な例ではセミナリーの弾
力的実施、各種手引きの日本版作成など。lds教会が日本という
社会あるいは土壌に定着、土着している。

3 リベラルを含む多様な末日聖徒の出現。高徳の敬虔な教徒
が数多く輩出すれば幸いであるが、同時に米国本部からもたら
される情報だけに依存するのではなく、教会内外の複数の情報
源から学び、探求した結果柔軟な考え方ができる層も存在する
ようになる。

4 改宗者や二世の会員の教会離脱。戒律を守れないという理
由からではなく、内省・知的精神的成長による離脱も一種日本
人の信教上の独立と受けとめることが出来るのではないか。明
治20年代から大正初期にかけて国木田独歩、島崎藤村、有島武
郎、志賀直哉など数多くの文学者がキリスト教に入信したが、
いずれも後に離れていった例がある。(これは一側面として、
あるいは考え方としてあげたものである。)

5  経済的な自立。1996年G.B.ヒンクレー大管長が来日した時、東京で説教していて「日本は、アメリカやカナダ、そのほか数か国を除いて自国の什分の一で教会を維持できる唯一の国である」と語った。(聖徒の道1996年8月号、ローカル頁, p. 7)。その後はどうなのか、教会職員の給与、土地建物の資産などをどれくらい支えられているのかは不明である。財政的には途方もない米本部の支出に支えられているのだと思う。(この項、2018.09.29記入。)


私としては、1,2,3とも独立ないし自立した姿として心に
描いている。これらは相互に連続した要素である。4はこうい
う見方もできるのではないかという示唆としてあげてみた。

[付記]
牧師になる養成を受けている植田真理子さんが、次のような大
胆な発言をしている。
「キリスト教は暴力性を有するが故に信ずるに足るのだ。毒性
劇性を有するがゆえに良薬なのだ。毒にならんものは薬にもな
らんのだ。しかし、薬は用法用量を守って毒性劇性を抑えながら
のまなくちゃならんように、キリスト教も手綱を締めつつ信じな
きゃならんのだ。」(2013/10/28 植田真理子, Twitter で発言)
 正に自立した日本人キリスト者の姿がここにある。

参考
マーク・R・マリンズ「メイド・イン・ジャパンのキリスト教」
 2005年
高木信二、ウィリアム・マッキンタイヤ「日本末日聖徒史」1996年
古屋安雄「日本伝道論」1995年
Reid L. Neilson, Van C. Gessel ed., "Taking the Gospel to
the Japanese 1901-2001," 2006
本ブログ 2009/06/30 モルモン教は世界宗教か?ヴァン・ビーク
 宗教人類学教授のノート



コメント ( 15 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (エリちゃんの元HT)
2011-11-13 06:39:43
この場を借りて、ご指摘の4点に関して正直なコメントをさせていただきます。
1の項目について
>一般会員にはあまり見えないが
一般会員にお金の動きが見えないということ自体に問題があります。大切な教会員の献金が不透明なのは、誠実さに欠けた対応と言わざるおえないと思います。
その他の点では日本の教会が、数的に発展していないことの問題があるように感じています。とかく日本の指導者は「死者の救い」に重きを置き、伝道活動をないがしろにしていることにこの原因があると思います。日本人に「聖書」が所謂キリスト教国に比べ、浸透していない現状を見ず、『神殿参入』の方に傾向していることがひとつの原因かもしれません。「死人に口なし」で簡単ですし、神殿を崇拝しすぎるパリサイ人のように思えます。

2について日本的教会になることについては、なるほどと思います。しかしldsはアメリカ発祥の教会であるので、日本の教会員がアメリカ的発想に変化するのも面白いかも?無理がありますね、私の意見(笑)

3について、ほぼ同意見です。
>同時に米国本部からもたら
される情報だけに依存するのではなく、教会内外の複数の情報源から学び、探求した結果柔軟な考え方ができる層も存在するようになる。

でもこのような教会員は、残念ながら、比主流派の立場になり、保守的な会員からの「異端扱い」により、隅に追いやられるというのが私の周りで起こっています。かく言う私もその一人です。(笑)
私から見れば、彼らこそ「盲従」して教会を堕落させた人々に見えるわけです。

4、私もそう思います。戒めを守れなくても「よく来たね」と他の教会員に歓迎される雰囲気が、必要ではないでしょうか?スーツが買えない人にスーツを強要するような言動や行為が昔ありましたが、今ではないということが言えることが出来ればとも思います。

かく言う私も、ご指摘の教会から独立した人間です。
もう5年にもなりますが、残念ながら私の周りにも独立した人が何人かいますが、この方々に共通して言えるのは、彼らが真面目に福音を探求していた人々で、教会の責任においても高い能力を発揮していた人達なんです。彼らをそうしたのは迷信や柵にしがみついた古い教会員達の「選民思想」に嫌気がさしたからであります。
独立して良かったのは、自由な発想で真理を探究できることです。色んな見方が可能です。
それによって本当の幸せとか解り始めております。

勝手なことを書かせていただきました。
ご気分害されたら、申し訳ありません。
 
 
 
自立=自由(と思う) (ZOO)
2011-11-14 20:48:03
昨日の聖餐会はとても良かった。
普通の、ありきたりの聖餐会だけれども、壇上に立つ、姉妹、兄弟が、それぞれに真摯に福音と向き合ってきた時間が、言葉に表れていて、とても癒される時間だった。

人生と向き合うとき、徒手空拳ではとても難しい。
宗教は、その手がかりを与えてくれる、と思う。
信仰からの独立とは、その宗教が与えてくれたているものが、真理そのもではなくて、真理を仮に表す言葉だったことに気付くことだと思う。

けれども、人はそれに気付かなくても、宗教的な言葉の内で、意味を見出し、癒され、より良い生き方に導かれている、と思う。

と同時に、宗教というのは、支配という側面もあって、人が人を支配する道具となっている。信仰の自立とは、その支配から自由になることだと思う。イエスもそのような支配からの救いを述べ伝えていたのだと思う。
 
 
 
お世話になりました65 (NJ)
2011-11-15 13:08:43
> エリの元HTさん (エリは私の娘)

コメントありがとうございます。1に関連して、ちょっと角度が違いますが、故マクマリンは神殿活動に費やされるエネルギーをもっと他の方面に向ける方がよい、と話していたことが思い出されます。社会に還元される諸活動にです。

2について本当はもっと検討して開拓の余地があると思います。謙遜、勤勉、震災時の冷静な対応など言われますが、じっくりほかのも特質を含めて見直す価値があると見ています。

3、これはかくいう私も周辺にいると言わざるを得ません。

4、独立したというのは教会から離れたという意味ですね。

>自由な発想で真理を探究できることです。色んな見方が可能です。それによって本当の幸せとか解り始めております。

よかったですね。私は率直にそう申し上げることができます。その状況、立場を尊重いたします。時折このサイトを訪れてください。

 
 
 
進化 n 深化 (NJ)
2011-11-15 15:39:38
> ZOO さん  2つの点で3番目の自立を深めていただきました。

「信仰からの独立とは、その宗教が与えてくれているものが、真理そのものではなくて、真理を仮に表す言葉だったことに気付く」

「宗教というのは、支配という側面もあって、人が人を支配する道具となっている。信仰の自立とは、その支配から自由になること」

 ありがとうございました。Like, 賛。多謝。
 
 
 
アメリカ的宗教の一つ (とある元信者)
2011-11-25 03:28:54
今はプロテスタントですが、モルモンは特別アメリカ的雰囲気が強いと思っていたのですが、モルモンに限らずアメリカで誕生した教会や経由した教会は、多分にアメリカ的です。

キリスト教系の宗教の現実をみると土着化は遠い未来になりそうです。古代ヨーロッパでは、グノーシスやユニテリアンの要素が癒合し、土着宗教とも融合し土着化して定着しましたが、一神教の排他性は日本人には受け入れがたく、布教も進みません。

Christianの多くが神社仏閣や神仏融合文化がキリスト教の普及を妨げているとして、敵対意識を持っています。自国の文化を貶して、相対的にキリスト教を上に置きたがりますが、不愉快な気分になります。

こんなキリスト教と云う宗教が広まらない事をイエスの御名によって祈ります。自省し得ないキリスト教会などキリスト教に非ずしてキリスト教風疑似宗教です。キリスト教は、諍いと摩擦を生じ人を社会生活不適応者にする非道徳的なもので、宗教に擬態した危険な思想団体です。
 
 
 
お騒がせ宗教? (NJ)
2011-11-25 22:21:31
>モルモンに限らずアメリカで誕生した教会や経由した教会は、多分にアメリカ的

予測できます。

>自国の文化を貶して、相対的にキリスト教を上に置きたがりますが、不愉快な気分

今理解できます。同じ心情になりつつあります。

最後の部分、厳しいですね。立教大学の鈴木範久教授は「キリスト教は渡来以来何度も事件を引き起こし、いわばお騒がせ宗教である」と書いています。昔邪宗と呼ばれた時期もありました。

ただ、こんにち国や民族の違いを超えて人々の文化・人権を尊重する気風が浸透し、紳士的な態度が一般的になりつつあるのではないかと思っています。
 
 
 
教会のありかた (地方の教会員)
2011-11-28 11:47:00
私は、現在の日本の教会が、末日聖徒なかよしクラブ的になっているような気がします。
せっかく多くの人員と時間とお金を使って伝道しているのに、本当に救いを求めている人には、伝わっていないようです。
教会コミュニティに順応できる人だけの教会になっているようです。
例えば私の住む地方の教会では召しを何か受けなければ、教会に来ては、いけないようなプレッシャーもあります。

今、日本では、毎年3万人以上の方が自殺で亡くなられます。

パフォーマンスにおいては、末日聖徒もWebで、対応しているようですが、もっと実のあるものが欲しいと思います。

私は、宗教が、人を救うためにもっと機能して欲しいと思っています。

そのためには、もっと末端の指導者の訓練が必要だと思います。

私の知り合いの浄土真宗のお坊さんは、カウンセラーとして公共機関に行かれるようになりました。
 
 
 
浄土真宗の坊さんは (地方の教会員)
2011-11-28 22:59:57
浄土真宗のお坊さんは、子どもがが不登校になりかけたとき、子どもと話をして助けてくださいました。

一方、教会の方は、「家庭の夕べをきちんとやってないでしょう。両親の責任が一番です。子どもを教会につれてきてください。」などカウンセリングの禁句のようなカウンセリングをしてくださいました。

このあたりが、素人宗教ごっこの教会です。

ただの宗教ごっこコミュニティとして存続していくのか
真実の宗教コミュニティとして存続するのか

現在の教会指導者や、これから教会指導者になるかたには、大きな課題があると思います。
 
 
 
繰り返す転会 (とある元信者)
2011-11-29 00:12:44
ldsからメソジスト系に移りましたが、今では何処にも在籍してません。
聖職者のカウンセリングも心理士や専門のカウンセラーと違い、知識不足や宗教色の濃さが問題視されてます。ldsの地方指導者やホームティチャーの神学知識の浅さは有名ですが、プロテスタント牧師も宗教的恫喝を無意識に施して問題になりそうです。
悩みや憂いごとを相談したら「クリスチャンになれば問題が解決する」「問題を抱えるクリスチャンはクリスチャンとして問題があるから悩み事が起きる」と霊感商法顔負けの面談をするそうです。
歩行困難になるほど病気や経済問題などの複雑な悩みを抱える友人が、心の救いや休息と癒しを求めてたので教会を探しましたが、傷に塩を塗られては堪りませんので、事前調査に半年を要し、1件見つけられました。キリスト教系宗教界は頽廃し著しく凋落してます。真面目に取り組まれているクリスチャンや牧師が嘆いてもこの業界で現状を憂い嘆く人は少数派です。
ldsをキリスト教と認めない人も多いですが、全体的に頽廃は否めません。残念ですが、事実です。
 
 
 
そうであれば (エリアーデ)
2011-11-29 10:33:15

そういうことを問題にするなら心理学的にキリスト教、特にモルモンは自我と無意識の分離が激しい宗教だから精神衛生上よくないってことを考えましょうよ・・・・

河合隼雄氏も書籍の中で精神分析を受ける人の三分の一はキリスト教徒だと言ってましたしね。

完璧さを要求し、病んでるにんげんに「神に祈りなさい」「教会の律法を守りなさい」言うてたら尚病みますよ。

まぁこういう事態を的確に把握できなかった幹部に問題ありです、問題が起きてから対処方法を考えているようではダメでしょう(もしかして考えてないかも)そういった体制のモルモンには期待できませんね、近視眼で未来のことを考えていない。
 
 
 
専任のカウンセラー (NJ)
2011-11-29 15:49:00
>地方の教会員さま

なかなか素人の宗教人の域を出ない日本の末日聖徒とのご指摘、厳しいものがあります。・・東京の管理本部がカウンセラーを各地に派遣したり、大阪や他の地域にも地元のカウンセラーを任命していますが、その人たちの評価はいかがですか。今、私の娘がお世話になっています。

地域社会にお役に立つ(serve)、真実の宗教コミュニティになるべきである、とのご指摘、大賛成です。・・中国のキリスト教会は絶えず社会建設・社会の向上に協力するよう説教壇から語りかけています。

個人でもそのように心がけ、教会(ワード、支部)としてもそのような機会が作れるよう努めていきたいと思っています。
 
 
 
中国が? (とある元信者)
2011-11-30 01:28:18
中国でそんなに先進的で健全な動きがあるとは驚きです。容易には信じ難いのですが、もし、その動きが続けば日本のクリスチャン割合が中国に抜かれるかも知れません。

反日と自国文化非難が多かったのでメソジスト系を辞めてフラフラしてますが、地域社会への貢献とは程遠いスピーチを壇上から語り続けてますが、地域から疎まれるよう勧める様な説教が多いです。

心理学と言うと「それは人間の学問です」と一蹴されて牧師や信者を相手に、冷戦開始の合図をすると同じ事になります。

「宗教を基軸とした関係は供依存になる危険を孕んでいる」などと言ったら軽度の反キリストの憑依と見なされ祈れと執拗に迫られます。

中国のクリスチャンや教会の方が現実的で建設的なのでしょうか?
 
 
 
中国のキリスト教会は発展段階 (NJ)
2011-11-30 10:11:23
ご自身の経験を披露していただいて参考になりました。ありがとうございます。

中国におけるキリスト教徒の比率は、2年前の統計で1.8%(プロテスタントのみ)という数値が出ています。日本はクリスチャンが大体1%どまりと言われて久しいですから、すでに日本を上回っていると言えるでしょう。(本ブログ2010/09/06付け記事参照。)

中国の教会で社会(国家)建設、社会の向上に協力するよう説いているのは、一つには政府に協力するという前提があること、もう一つにはキリスト教の教えからそう導き出される点があると思います。私もよい姿であると理解しています。

中国の教会が進歩的で健全である、ということについては、否定しませんが、まだ歴史が浅く、これから成熟していくものと思っています。信者の信仰・理解は極めて初心者の域、福音主義的(根本主義的)で理屈っぽくない状態にあると見ます。

詳しくは当ブログ 2011/09/25 記事の後半にあげた記事リストを参照ください。
 
 
 
召された指導者の問題 (地方の教会員)
2011-11-30 15:03:39
カウンセラーが召されていることは知っています。
が指導者によっては、自分が神に召されていることを勘違いして自分が受ける神様のみたまによって問題を解決しようと試みる方もいらっしゃいます。()
本当は神様に召されているので、神様の顔に泥を塗ってはならないとは考えないようです。
だから何か問題があってもカウンセラーの世話になれる人は、限られてしまう現状があるように思います。

また本当は問題があっても恥ずかしくて、誰にも相談できない方もいらっしゃいます。
(祈りが足りないと言われるという恐れや、躾が悪いと言われる恐れなど)


実は、このような謙遜でない指導者は、ステーク会長レベルで見られる現象なので、会員は気の毒です。

たまに放送大学で、心理学を勉強された、西原長老がトレーニングに来られるようなので、少しは希望が持てます。
ただ心理学の分野で新しくわかってきたこともたくさんあるので、指導者の謙遜さは。ますます求められます。
本当に教会が、人のため世の中のため役に立てるようになれば、宣教師の伝道も会員伝道も、飛躍的に伸びるはずです。

私が、何かをしているわけでは、ないので、こんなコメントを投稿しては、いけないのですが
個人的に三年前から、地元の大学の地域住民向けの心理学
 
 
 
召された指導者の問題  続き・・・ (地方の教会員)
2011-11-30 23:25:08
私が、何かをしているわけでは、ないので、こんなコメントを投稿しては、いけないのですが

個人的に三年前から、地元の大学の地域住民向けの心理学講座を受講しはじめました。

市の主催で、国立、県立、私立の教授や退職教授が、素人にもわかるように講義をしてくださり興味深く受講しています。

本業の片手間で勉強してもなかなか素人レベルから脱出できないのですが、公的、私的な支援機関、支援団体、支援者のネットワークを学んだのは、よかったです。

2年ほど前、会社の同僚から、配偶者の浮気問題について相談をうけ、公的なカウンセラーを紹介したのですが、現在、夫婦と子ども二人仲良くやっているようで、よかったと思います。(離婚しないで、子どもが小学2年生になるまで、あなたが辛抱すれば、配偶者の浮気癖は直ります。といわれてそのとおりになったそうです)

私は、まだ若いので、現在の指導者層の方の意識の変化があれば、再び、教会の指導者になることがあるかもしれないので、今のうちに、安息日に教会を休んででも、学びたいことをしっかり学んでおこうと思っています。

教会の過去、現在に、いかなる問題があっても将来の教会を作っていくのは、現在の私達だと思っています。
 
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