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(フェイスブックに同記事掲載)   第三ニーファイ17:4で、イエスは「イスラエルの行方(ゆくえ)の知れない部族(lost tribes)にもわたし自身を現わそう」と言われる。この失われた(十)支族に関する聖書の記述等をまとめてみた。   1 北王国イスラエルの十支族の大部分は捕囚時、自らの土地に留まった。アッシリヤの王サルゴンの年代記に、紀元前721年連れ去られた捕囚の民は 27,290人 . . . 本文を読む

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[紅海の海水が二手に分かれている]  聖書やモルモン書を読んでいて、たびたび遭遇する問題である。読者は自分がどう考えているかその姿勢が大体定まっていても、人から問われるとどう答えたものか思案することがあるのではないだろうか。  そこで奇跡に対する立場を二極に分け、その中間にくると思われるものを順次列挙してみた。なお、私は奇跡を信じる人たちを理解し尊重しているが、自身は冷静、慎重であり、むしろ批 . . . 本文を読む

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       自分が聖餐会で話すことは稀であり、ましてや葬儀の時に説教をすることはあり得ないが、日本の社会が、特に末日聖徒の会衆が目に見えて高齢化している現在、自分の心構えのため、聖句と考え方を挙げて心の準備としたい。  4年前日本のあるキリスト教月刊誌に「聖書と老い」という特集が組まれていた。そこに注目した言葉があった。それは直接聖句を引 . . . 本文を読む

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[苦難の僕 イザヤ53章] 1 イザヤ書が重要な預言者の書であると知っていても、読むとどうしても難解であるという印象を拭えない。最近読んだ山形孝夫の「聖書を読み解く」(2007年)の中に、53章などに出てくる「苦難の僕」(あるいは「悲しみのメシア」)を理解するヒントを得た。  イスラエルの「亡国そして捕囚という苦難の時を、神の試練として受けとめることによって絶望を押し返す勇気を人びとに与えた . . . 本文を読む

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「母の胎内から独身者に生まれついているものがあり、また他から独身者にされたものもあり、また天国のために、みずから選んで独身者となったものもある。」(口語訳)  ここで三種類の「独身者」があげられていて、いずれもギリシャ語でεὐνοῦχος (エウヌホス、英語で eunuch) となっている。当時から宮廷に仕えるため去勢さ . . . 本文を読む

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    「ヨハネの黙示録」は英語で単に “Revelation” であるが、ギリシャ語では  Ἀποκάλυψις (アポカリュプシス) で、 apo- (from)と動詞 kalypto (隠す、覆う) からきている。その意味は「覆いを取り除く」。そしてa . . . 本文を読む

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  欽定訳ではこの書簡の冒頭(第一頁の表題)に「使徒パウロのへブル人への手紙」と記しているが、口語訳では著者名が書かれていない。新共同訳もJBS共同訳、NIV(新国際版)も同様。へブル書の著者については、パウロ説とそれに否定的な考え方とに分かれている。   末日聖徒は欽定訳に記されているように、パウロが著者であるという伝統的・保守的な立場に立っている*。しかし、末日聖徒でも研 . . . 本文を読む

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 [引照付聖書の例。JBS共同訳(聖書協会共同訳)]   この頃、引照聖書を目にすることが少なくなってきた。昔の文語訳や新改訳(1970年)は引照聖句を欄外に記していた。昨2018年末に出た「JBS共同訳」は引照聖句を載せている。私は引照を時々利用してきたが、まだその意義や活用方法についてよくわかっていなかった。 参照箇所に引用の元の聖句が見つかるとか、確かめたいことの答えが . . . 本文を読む

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  [右側パウロの三つ目がディアトリベ] パウロはロマ書やコリント人への手紙で、しばしば路傍説教の口調(問答による論述形式)で読者に語りかけている。ロマ書6:1 の例。(実際には文章は連続している。)    問い: では、私たちは、何と言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきであろうか。  答え: 断じてそうではない。罪に対して死んだ私たちが、どうし . . . 本文を読む

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   この8月11 日と18日、末日聖徒は日曜学校でローマ人への手紙を学ぶよう提案されている。私は使徒行伝の終りの方でパウロが皇帝に上訴して、ローマに向かうことになるのを読んだばかりで、パウロがいつこの書簡を書いたのかをはじめ確認したいことがいくつかあった。そこでパウロの生涯、伝道の足取り、書簡が書かれた順など俯瞰的な文脈を得たいと、ローマ人への書簡に焦点を当てながら簡単にまとめてみた . . . 本文を読む

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