惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

高校野球

2017-07-26 21:15:50 | スポーツ

 涼しい一日でした。日中の気温は約25℃どまり。午前中は雨、午後になってほぼあがりましたが、気温は横這いのまま。

 夏の高校野球は地方大会が大詰め。私の出身地である高知でも、決勝戦がありました。
 試合は、明徳義塾が7-3で梼原高校を下して、甲子園進出。
 とはいえ、負けた梼原高校の話題で、田舎は盛り上がったことと思います。歴史の浅い県立高校の野球部がここまで頑張ったのが偉い。

 梼原高校は10年ほど前には、学校存続があやうくなっていたといいます。入学者数が減り、閉校になるかもしれないところまで追いつめられていたとか。
 山間部の過疎地にあるので、無理もないと思います。

 そこで、入学者を増やすために考えられた手段のひとつが、野球部の創立。2006年に同好会として発足、翌年、正式の部に。
 そして、今年。準々決勝では、名門高知高校を、準決勝では中村高校を破っての決勝進出。
 さすがに明徳義塾は強かったようですが、よくまあここまでのし上がってきた。これからも応援する人は多いでしょう。


アメリカンアートソングの世界

2017-07-25 21:02:06 | 音楽

 午後は神奈川県海老名市まで出かけ、「アメリカンアートソングの世界」

 アメリカの音楽、特に歌といえば、ジャズ、ブルース、カントリー、フォーク、さらにはミュージカルや映画音楽といったことになりそうですが、ここでは「アートソング」と銘打って、クラシックの歌曲を聞かせてもらいました。
 コープランド、ガーシュインなどの作曲家の曲、そして黒人霊歌も。
 メニッシュ純子さんの声はとても素直な響きで心地よい。お人柄のせいもあるのでしょう、純粋で明るい世界が広がりました。
 コープランド「私は猫を買ってきた」のお茶目な楽しさ、ガーシュイン「私を見守ってくれる誰か」の懐かしい親しみやすさ……大草原の少女ローラが育ったら、メニッシュさんみたいな歌手になるんじゃないかと思いました。

 拾いものだったのは、ピアノ独奏で聞いた、ゴッチョークという19世紀の作曲家の「バンジョー」なる曲。ラグタイムと高度なピアノ練習曲の混じったような、楽しい小曲で、こんな人の、こんな曲があるんだと驚きました。
 アメリカの音楽も奥が深い。


この街

2017-07-24 21:35:45 | まち歩き

 最高気温 33.4℃(隣町アメダス)。湿気が多くて、かなり不快でした。

 夕方は市民プール。3日ぶり。
 泳いでいる人は少なめ。なんだか早くも夏の盛りを過ぎた雰囲気。
 泳ぎやすくて良いとはいえますが。

 休憩時間の我ら爺さん連の話題は、街の移り変わりについて。映画製作会社が2つもある街だったので、俳優さんとか、芸能事務所とか、わかりやすいテーマがいくつも。
 無難で、楽しい話が何より。

 帰り道、ちょっと遠回りして、家の人に頼まれたものをドラッグストアで購入。

 そういえば、この街にはドラッグストアがやたらに増えています。そうした店が新聞折り込みで15パーセント引きとか、20パーセント引きとかいったクーポンを連発して、使いきれないほど。
 熾烈な競争がつづいているんですよ。


小松左京七回忌の集い

2017-07-23 21:30:34 | アート・文化

 昨日は深川江戸資料館にて、NPOグローバルシアター和の輪「小松左京七回忌の集い」
 小松さんの作品と秘書の乙部順子さん著『小松左京と日本沈没 秘書物語』をベースとした朗読劇が上演されました。

 昼の部と夜の部の二部構成で、演目が異なっています――

昼の部
  1. 見捨てられた人々
  2. ロボット地蔵
  3. 11人
  4. お召し
  5. 岬にて
夜の部
  1. 夜が明けたら
  2. 新都市建設
  3. おむかえ
  4. 「小松左京と日本沈没 秘書物語」乙部順子著
  5. 影が重なる時
  6. 果しなき流れの果に

 私は夜の部にお邪魔したのですが、それぞれ、趣向を凝らした演出で、小松作品の面白さがうまく伝わってくるように思いました。

 とりわけ感嘆したのが『果しなき流れの果に』。城谷小夜子さんの語りが、迫力満点。スケールの大きなあの作品を、シンプルな舞台で、よくまあここまで表現できたものだと、びっくりしました。50分ぐらい(?)に凝縮した抜粋の手際も見事。
 見ることがてよかったと、感慨にひたりながら、夜の都心を横切って帰りました。


山野浩一さん

2017-07-21 21:42:36 | SF

 訃報に接しました。昨日(21日)、亡くなられたそうです。享年77。ちょっと早すぎます。

 作家であり、評論家であり、編集者であり、競馬評論家でもあった。
 多彩な経歴の持ち主ですが、知る人ぞ知るという存在だったかな。ただし、知っている人は、誰もが一目置いていたと思います。

 日本におけるニューウェーブSFの先導者でした。〈季刊NW-SF〉を創刊、J・G・バラードをはじめとする海外の先鋭的な作家を紹介するとともに、国内からも、大久保そりや、清水欣也などといった異色の書き手を登場させました。その後、サンリオSF文庫の出版を監修したのも大きな功績。

 私は大学生の頃、〈季刊NW-SF〉を発刊していた山野さんのところにお邪魔し、SFのとらえ方、芸術のあり方などについて、強い示唆を受けました。山野さんの立場は、前衛であり、ラディカルであり、反体制的。アートを反逆のための表現手段と捉えていたようなところがありました。
 目つきも、発言も鋭く、そびにいると、心の奥を射抜かれるような気がしました。が、その反面、とても優しくて面倒見が良い。カリスマ性に富んだ人物でした。
 私が第一作品集を出した時には、書評で「SF界の白樺派」と、いかにも山野さんらしい言葉を頂戴しました。叱咤の混じった誉め言葉と受け止め、ありがたく思ったことでした。

 しばらくお会いすることはなかったのですが、晩年、SF作家クラブに入会されてからは、時々、お目にかかるように(反対に、こちらは脱会してしまいましたが)。
 そんな時には、SFのことより、もっぱら競馬のことを話すようになっていました。そんなことになるなんて、若い頃には思いもよらなかったなあ。
 あの世からも、まだまだ日本SF界に鋭い視線を注いでおられるように思います。いろいろとありがとうございました。