今日の毎日新聞「毎日歌壇」に岩手の女子高生の短歌が載っていました。前半が――
そして、後半は――
作品にするという手続きを経た言葉がもつ強さと永続性を信じてゆきたいものです。そのためには、現実に引きずられっぱなしにならない、各個人でしか発揮できない想像力が必要だと思います。
- 腹ペコで寒さにふるえていることを祈る
そして、後半は――
- とにかく生きていてくれ
- 腹ペコで寒さにふるえていることを祈る とにかく生きていてくれ
この歌を採用しているのは歌人の米川千嘉子さん。以前から、この女子高生に注目しておられて、震災前には若々しい愛の歌を何首か採用しています。1月23日には次のような作品が――
- 吾が胸にそっと置かれし君の手を勇気を出してぐいと引き寄す
生々しい現実に接すると、文芸作品の空しさを感じてしまったりします。しかし、このような作品を見るとどうか。
1週間前、やはり毎日新聞の文芸欄に仙台在住の歌人・大口玲子さんがエッセイを書いていました。
メディアが流し続けるニュースに接していると「言葉の遠近感」が壊れる、という趣旨の文章。
「今私が語っているのは、私自身の言葉ではなく、ニュースの言葉ではないのか。私が昨夜聞いたのは、夫ではなく死者の声ではなかったのか」と。
そして、次のように続けておられます――
- この、ぐらぐらの遠近感を意識したとき、短歌という定型を欲していた。
作品にするという手続きを経た言葉がもつ強さと永続性を信じてゆきたいものです。そのためには、現実に引きずられっぱなしにならない、各個人でしか発揮できない想像力が必要だと思います。