訪問日:平成26年2月15日(土)
出 発:JR「鶴橋駅」
到 着:JR「玉造駅」
かつて摂津國のうち大阪市の部分は、「西成郡」「東成郡」「住吉郡」の3郡で構成されていた。そして大正14年の区編制により「旧住吉郡」の地域を除く広大な地区が「東成区」として発足した。その後、昭和18年、「旭区」「城東区」「生野区」を分区し、現在の「東成区」となる。人口約8万人。区内には多くの町工場が並ぶ。
町工場の技術だけでロケットを打ち上げた「東大阪市」と隣接し、基本的にはここも「もの作りの町」である。映画「E・T」の空飛ぶ自転車は「MADE IN 東成」だそうだ。そんな「もの作り」の町は、生野区に次ぐ「在日コリアンの町」でもあり、また、大坂から奈良・伊勢を結ぶ「暗越奈良街道」が横切る歴史の町でもある。
午前10時、JR大阪環状線「鶴橋駅西口」を出発。JRのほかに地下鉄千日前線と近鉄電車の「鶴橋駅」がある。南北に走る大阪環状線から西は「天王寺区」。東西に走る近鉄電車から南は「生野区」。つまり鶴橋駅は3区の接点に位置する。
「東成区」「生野区」「天王寺区」それぞれの駅前にはそれぞれ異なった顔があるが、共通する点は「在日コリアンの町」への玄関口ということだ。鶴橋駅の北東に位置する東成区側には「鶴橋市場」。別名「国際マーケット」と呼ばれるが、国際とは「コリアン」のことである。
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ガード下のような暗い「戦後のヤミ市」風の商店街。ここは、焼肉店やキムチなどの韓国食材、チマチョゴリ、韓国日用品などを扱う店が集まる「コリアタウン」だ。
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最近では「韓流ブーム」により一般観光客を相手にした韓国食材店やチヂミ・トッポギなど韓国ファーストフードを売る店も増え、隣接する生野区のコリアタウンと合わせて「韓国疑似体験ツアー」をする女性観光客や修学旅行生らの姿も見られるようになった。
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市場のすぐ北側は「千日前通」。信号を渡ると立ち飲み屋などが並ぶ下町風の繁華街だ。
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通りを東へ進み「玉津3交差点」の手前を左に入ると鳥居が見える。「比売許曽(ひめこそ)神社」。
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「古事記」「日本書紀」に「新羅から来た阿加流比売(あかるひめ)が難波の比売許曽の社に坐す…」とあるが、祭神は阿加流比売ではなく下照比売(しもでるひめ)。諸説があるようだ。東成は在日コリアンだけでなく、古代朝鮮半島とも関係が深い場所なのだろう。今日一日の安全を祈願する。
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玉津3交差点の角には「胞衣塚(えなづか)」。比売許曽神社とゆかりの深い中臣氏の祖「大小橋命(おおおばせのみこと)」の胞衣を埋めた塚と伝えられる。胞衣とは胎盤のことらしい。
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しばらく千日前通を東に進む。結構古い建物が残る。
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信号で通りを渡って「玉津3丁目」の町に入る。
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平野川を越え「大今里西3丁目」に入る。
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近鉄電車のガードに突き当たる。ガードの向こうは生野区だ。
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そして、交番の前から北に入る商店街が見える。「新橋通商店街」。以前は、アーケード街だったが、老朽化によりアーケードは取り除かれている。
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「婦人倶楽部」。昔のままの看板が残る。
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300mほどの商店街を抜けると千日前通に戻る。角には古いタバコ屋さん。
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すぐ左には大阪市バスの車庫。かつて、ここには「大阪市電」と呼ばれた路面電車の車庫があり、あずき色のチンチン電車が多く往来していた。昭和40年代のことである。
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そのすぐ前には「今里交差点」。5本の道路が放射線状に伸びることから「今里ロータリー」と呼ばれている。大阪でも有名な交差点だ。今里筋に沿って北(左)へ曲がる。交差点が複雑なので分かり難いが、三菱東京UFJ銀行とローソンの間を進めばよい。
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150mほどで東成消防署を過ぎ、一旦、左折する。東成警察の手前に「日本キリスト合同東成教会」。壁には大きなステンドグラスが。
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今里筋まで戻り信号を渡る。すぐ北の路地を右に入る。ここからは、かつて高麗橋から生駒山地の暗峠を越えて奈良・伊勢を結ぶ「暗越奈良街道」を歩く。
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案内板も掲げられている。
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新しいが石の道標も。
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街道らしい街並みが残る。
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600mほどで千日前通と交わるが、手前の案内標識に従って左折。そこには「熊野大神宮」。1000年以上の歴史があるそうだが詳細は不詳。「熊野」の名のとおり神仏習合時の熊野権現。北側に隣接する「妙法寺」の鎮守社であったようだが、明治の神仏分離により現在の名称に改められた。
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伊弉諾尊等多くの神様を祀る。
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神社の隣には「真言宗妙法寺」。聖徳太子創建と伝わる古刹。
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近世国学の祖と呼ばれる「契沖」がかつて住職を務め、境内には契沖の供養塔と慈母の墓がある。
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街道をさらに進むとすぐに千日前通と交わる。角には石灯籠と碑文。石灯籠は道標にもなっているようだ。
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信号で千日前通を渡るが、ちょっと右折して寄り道をしよう。「大今里南3丁目」の町を進む。古いアパート。
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市立片江小学校を過ぎると古い散髪屋さんがあるのでここを左に曲がる。
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片江小学校通用門前に「株式会社桑原インターナショナル」。元々は自転車部品の卸商だったらしいが、こここそが映画「E・T」の空飛ぶ自転車を製造した会社だ。
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片江小学校の向こう(東)へ回りたいのだが道が突き抜けていないので、一旦、近鉄ガードをくぐって生野区へ。左折してすぐにガードをくぐれば東成区へ戻れる。「もの作り」を支える町工場①。
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「大今里南2、3、4、5、6丁目」を東に進む。古いお米屋さん。
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集会所だろうか「防犯」提灯のかかった木造の建物。
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大阪内環状線という大通りの手前で左折する。町工場②。主役はフォークリフト?。
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町工場③。
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町工場④。金切りくずが詰まったドラム缶の横には昨日の大雪の名残。昨日は、記録的な大雪で大阪市内でも積雪が見られた。
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何やらオフィスビル街のような雰囲気に。
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「コクヨ」本社ビルだ。「コクヨ」は、明治38年、黒田善太郎という人が「黒田表紙店」として帳簿の表紙を扱う店として創業。その後、大正6年、国の誉れ「國誉(こくよ)」と名を変え、昭和11年、この場所に本社を移転。文具・事務機器の一大メーカーとなり、昭和36年、社名を「コクヨ株式会社」と改めた。
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この和風建築は、コクヨの迎賓館らしい。
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国道を東に進む。町工場⑤。
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「新深江交差点」で大阪内環状線を渡りさらに東へ。
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町工場⑥。しかし強そうな歯車だな。
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道路が左にカーブする。通りの向こう(南)は東大阪市。
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郵便局を越えたところに石灯籠と道標が立つので左折する。
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すぐに「人間国宝角谷一圭生家」。角谷家は代々宮大工の家系だったそうだが、一圭が小学生の時に茶の湯釜職人に転職。以来、94歳まで湯釜作り一筋。昭和53年、人間国宝に指定されたそうだ。
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生家のすぐ前には「深江稲荷神社」。
由緒は垂仁天皇の時代までさかのぼる古社であり、慶長8(1603)年、豊臣秀頼が社殿を改めたと伝わる。
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深江稲荷神社の門前に建つ「深江菅笠ゆかりの地」「摂津笠縫邑跡」碑。「深江」とは、まだ、河内平野が内海であったころ、その名のとおり「入江の奥深く」にあった集落で、代々皇祖の御神鏡を守護した「笠縫氏」という一族が住んでいたと伝わる古い集落であったらしい。「笠縫」とは、元々、伊勢神宮があった場所といわれ、そのようなことから皇室と関係が深かったのだろう。
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神社の北側には「人間国宝角谷一圭記念深江郷土資料館」。
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この辺りは古い深江集落の面影を残している。
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とても大阪市内とは思えない。
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「融通念仏宗法明寺」。「雁塚」という二基の石塔が残されている。
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さあ昼食にしよう。今日は深江稲荷神社の一本西を走る一方通行路沿いにある「手作り洋食、三起(みき)」で昼食をとることにする。時間は正午、1分の違いもない。ところが…。店のシャッターが下りている。定休日は日曜日のはずなのだが。
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……。しかし、この先はアーケード街を歩く。食べるところはいくらでもあるだろう。気を取り直して先に進む。
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すでに廃業しているようだが古い医院(耳鼻咽喉科)跡。
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大阪内環状線を渡るため信号待ちをしていると何やら「行列」が。「かじわ屋」というラーメン屋さんのようだ。よし今日の昼食はここにしよう。行列に並ぶ。
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塩ラーメン(650円)を注文。午後12時20分、昼食にありつく。おにぎり2個は、ランチタイムのためサービス。
大阪内環状線を渡って西へ。「宝徳湯」というお風呂屋さん。「お風呂屋さん」「タバコ屋さん」「散髪屋さん」「お米屋さん」「酒屋さん」などが古い街並み作りに貢献しているようだ。
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アーケードが見えてきた。「神路(かみじ)本通商店街」。
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150mほどの短いアーケードだが結構古い店が残る。
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平野分水路手前で一旦、アーケードは途切れる。
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しかし、すぐにアーケードが現れ、ここから「神路しんみち」「神路銀座」「今里1番街」「今里新道筋」と名を変えながら700mほどのアーケードが続く。
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区民の生活を担っているのだろう。
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この喫茶店も「年代物」だな。
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アーケードから路地をのぞく。
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宝石店もある。ママチャリで宝石を買いに来るなんてすごいなぁ。
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結構長いアーケード街だ。
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アーケードを抜ければ「今里筋」。そう午前中に「暗越奈良街道」に入った路地のすぐ北側に出る。
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今里筋を北に上り、次の信号で右折。まったく区画整理されていないクネクネ道を東に進む。「楠通」というらしい。
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途中、路地を左に入ると「八王子神社御旅所」。本宮は後ほど訪れる。元は「八劔神社」といったらしい。大阪夏の陣の兵火に見舞われたそうだ。そういえば城東区を歩いた時にも大阪冬の陣戦跡碑の前に「八劔神社」というお宮さんがあったなぁ(「城東区」編参照)。
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そして境内には高さ25m、幹周り11mのくすのき。この通りが「楠通」といわれる由縁だ。
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隣には「地車庫」。ここも祭りでは地車が駆け巡るようだ。
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本当にこの道は曲がりくねっているな。
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先を見通すことができない。
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さらにクネクネ道を東へ進む。信号を渡ったところに「熊野大神宮御旅所」。午前中に参拝した「熊野大神宮」の御旅所だ。
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ここにも「地車庫」。
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御旅所の前には大きな旧家が。
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町工場⑦。古い水槽が良い雰囲気だ。
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町工場⑧。
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路地を抜け、平野川分水路に突き当たり運河沿いに北上。「日本気象協会」こんなところにあるんだ。
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町工場⑨。特にこの辺りは町工場が多いようだ。
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「祢宜橋」という橋で運河を渡る。町工場⑩。ここは結構大きな工場だ。以前、製造業は土曜日も仕事をしていたが、やはり不況の影響だろうか、ほとんどの工場が閉まっていた。町は、本当に静かだ。道にはゴミひとつ落ちていない。
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次の信号を左折。市立宝永小学校校門前に「スタジオデコ」。午前中に立ち寄った「日本キリスト合同東成教会」のステンドグラスの製造元だ。あちこちのステンドグラスを作っているらしく、テレビでも放映された有名なステンドグラス工房だ。
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「大門橋」という人道橋で平野川分水路を渡る。
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ここからは進路を西に戻す。「東中本」「中本」の町を進む。「神路公園」を過ぎれば左折。
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市立本庄中学校の角を右折。「東中本公園」に出れば左に。
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公園の南側には「中大阪朝鮮初級学校」。総連系の民族学校である。「在日の町」らしい風景だ。
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別に商店街ではないようだが店の続く路地を西に歩く。
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町工場⑪。木の玄関が良い。
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西に進み「今里筋」を渡る。この辺りも古い街並みが残る。
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市立中本小学校。明治40年創立の古い小学校だ。
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突き当たりを右に。中本小学校の通用門を過ぎると「八王子神社」。先ほど参拝した御旅所の本宮である。
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由緒は不詳だが、多くの神々をお祀りする古社だ。高さ20mのくすのき3本とむくのき1本が保存樹に指定されている。
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「地車庫」が並ぶ。境内にたくさんの自動車が駐車していたので参拝客か神社関係者の車かと思ったが、境内をモータープールにしているようだ。幼稚園や保育所を経営するなど神社も大変だなぁ。祭りの時はどうするのだろう。
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中本小学校の通用門まで戻り路地を右折。中本橋で平野川を渡る。
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こういうのも「在日の町」らしい風景だ。
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橋を渡ると左側に「生駒温泉」というお風呂屋さん。
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次の三叉路突き当たりに小さなアーケードが。「元町銀座街」というらしい。
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アーケードも破れ、廃れた感じがする。
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立派な酒屋さんもあるが廃業しているのだろうか。
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売りに出されている店も。
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「キムチ屋さん」は健在だ。ここは「韓流ブーム」前からある古いキムチ屋さんだ。「大森食料品店」。私も何回か買いに来たことがある。
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三叉路まで戻り南へ。途中、左折し路地を抜ける。そこには「八阪神社」。
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「八阪」の名の通り「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」をお祀りする。
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「地車庫」の奥には「戎社」と「稲荷社」が祀られている。
境内隅にある「石垣」。最後に訪れる「二軒茶屋」跡にかつて架けられていた「黒門橋」という石橋の一部らしい。
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神社の南側の通りにも古い街並みが残る。
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町工場⑫。
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工場の中では職人さん(おそらく経営者)が一生懸命ガスバーナーで金属を加工していた。
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ちょっと方角を間違えたらしい。ところがそこにも古い街並みが。
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「怪我の功名」だな。
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通りの出口に「暗越奈良街道」の道標。裏側には「明治35年7月」の刻字。高麗橋の里程元標から1里。
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大通りに出れば、すぐ右に「玉津1交差点」。正面に見えるカラオケボックス南側の脇道に進む。
玉造駅東商店街というらしい。カラー舗装されている。
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そしてカラーペイントの路地が終わるころ左側にレトロな建物が立つ。「大阪府東成警察署中道本通警ら連絡所」。
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大阪府警の中でも超一級のレトロ建造物だろう。署員や地域住民らの手で守られている(野里町歩紀~摂河泉をゆく~「愛しき警ら連絡所たち」参照)。
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目の前は国道308号線。国道脇には、かつて流れた「猫間川」に慶安3(1650)年「黒門橋」という石橋が架けられ、橋のたもとには二軒の茶屋があり、奈良・伊勢に向かう旅人たちで賑わったという。今は、二つの石碑が残るだけだ。右の石碑は昭和5年、左は昭和52年に建立された。
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そして、すぐ前には今日のゴールJR大阪環状線「玉造駅」。ここは天王寺区と中央区との3区の境界になっており、駅舎自体は「天王寺区」にある。午後2時30分、到着。本日の歩紀「20220歩」(17.38km)。スタートした「鶴橋駅」から一つ大阪駅寄りの駅。わずか500mの間をぐるっと回って来たわけだ。結構古い建物なのだろうか。写真左端の窓の上、ちょうどガードの下に彫り物が見える。
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(拡大写真)
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出 発:JR「鶴橋駅」
到 着:JR「玉造駅」
かつて摂津國のうち大阪市の部分は、「西成郡」「東成郡」「住吉郡」の3郡で構成されていた。そして大正14年の区編制により「旧住吉郡」の地域を除く広大な地区が「東成区」として発足した。その後、昭和18年、「旭区」「城東区」「生野区」を分区し、現在の「東成区」となる。人口約8万人。区内には多くの町工場が並ぶ。
町工場の技術だけでロケットを打ち上げた「東大阪市」と隣接し、基本的にはここも「もの作りの町」である。映画「E・T」の空飛ぶ自転車は「MADE IN 東成」だそうだ。そんな「もの作り」の町は、生野区に次ぐ「在日コリアンの町」でもあり、また、大坂から奈良・伊勢を結ぶ「暗越奈良街道」が横切る歴史の町でもある。
午前10時、JR大阪環状線「鶴橋駅西口」を出発。JRのほかに地下鉄千日前線と近鉄電車の「鶴橋駅」がある。南北に走る大阪環状線から西は「天王寺区」。東西に走る近鉄電車から南は「生野区」。つまり鶴橋駅は3区の接点に位置する。
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「東成区」「生野区」「天王寺区」それぞれの駅前にはそれぞれ異なった顔があるが、共通する点は「在日コリアンの町」への玄関口ということだ。鶴橋駅の北東に位置する東成区側には「鶴橋市場」。別名「国際マーケット」と呼ばれるが、国際とは「コリアン」のことである。
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ガード下のような暗い「戦後のヤミ市」風の商店街。ここは、焼肉店やキムチなどの韓国食材、チマチョゴリ、韓国日用品などを扱う店が集まる「コリアタウン」だ。
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最近では「韓流ブーム」により一般観光客を相手にした韓国食材店やチヂミ・トッポギなど韓国ファーストフードを売る店も増え、隣接する生野区のコリアタウンと合わせて「韓国疑似体験ツアー」をする女性観光客や修学旅行生らの姿も見られるようになった。
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市場のすぐ北側は「千日前通」。信号を渡ると立ち飲み屋などが並ぶ下町風の繁華街だ。
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通りを東へ進み「玉津3交差点」の手前を左に入ると鳥居が見える。「比売許曽(ひめこそ)神社」。
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「古事記」「日本書紀」に「新羅から来た阿加流比売(あかるひめ)が難波の比売許曽の社に坐す…」とあるが、祭神は阿加流比売ではなく下照比売(しもでるひめ)。諸説があるようだ。東成は在日コリアンだけでなく、古代朝鮮半島とも関係が深い場所なのだろう。今日一日の安全を祈願する。
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玉津3交差点の角には「胞衣塚(えなづか)」。比売許曽神社とゆかりの深い中臣氏の祖「大小橋命(おおおばせのみこと)」の胞衣を埋めた塚と伝えられる。胞衣とは胎盤のことらしい。
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しばらく千日前通を東に進む。結構古い建物が残る。
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信号で通りを渡って「玉津3丁目」の町に入る。
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平野川を越え「大今里西3丁目」に入る。
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近鉄電車のガードに突き当たる。ガードの向こうは生野区だ。
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そして、交番の前から北に入る商店街が見える。「新橋通商店街」。以前は、アーケード街だったが、老朽化によりアーケードは取り除かれている。
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「婦人倶楽部」。昔のままの看板が残る。
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300mほどの商店街を抜けると千日前通に戻る。角には古いタバコ屋さん。
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すぐ左には大阪市バスの車庫。かつて、ここには「大阪市電」と呼ばれた路面電車の車庫があり、あずき色のチンチン電車が多く往来していた。昭和40年代のことである。
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そのすぐ前には「今里交差点」。5本の道路が放射線状に伸びることから「今里ロータリー」と呼ばれている。大阪でも有名な交差点だ。今里筋に沿って北(左)へ曲がる。交差点が複雑なので分かり難いが、三菱東京UFJ銀行とローソンの間を進めばよい。
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150mほどで東成消防署を過ぎ、一旦、左折する。東成警察の手前に「日本キリスト合同東成教会」。壁には大きなステンドグラスが。
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今里筋まで戻り信号を渡る。すぐ北の路地を右に入る。ここからは、かつて高麗橋から生駒山地の暗峠を越えて奈良・伊勢を結ぶ「暗越奈良街道」を歩く。
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案内板も掲げられている。
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新しいが石の道標も。
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街道らしい街並みが残る。
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600mほどで千日前通と交わるが、手前の案内標識に従って左折。そこには「熊野大神宮」。1000年以上の歴史があるそうだが詳細は不詳。「熊野」の名のとおり神仏習合時の熊野権現。北側に隣接する「妙法寺」の鎮守社であったようだが、明治の神仏分離により現在の名称に改められた。
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伊弉諾尊等多くの神様を祀る。
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神社の隣には「真言宗妙法寺」。聖徳太子創建と伝わる古刹。
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近世国学の祖と呼ばれる「契沖」がかつて住職を務め、境内には契沖の供養塔と慈母の墓がある。
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街道をさらに進むとすぐに千日前通と交わる。角には石灯籠と碑文。石灯籠は道標にもなっているようだ。
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信号で千日前通を渡るが、ちょっと右折して寄り道をしよう。「大今里南3丁目」の町を進む。古いアパート。
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市立片江小学校を過ぎると古い散髪屋さんがあるのでここを左に曲がる。
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片江小学校通用門前に「株式会社桑原インターナショナル」。元々は自転車部品の卸商だったらしいが、こここそが映画「E・T」の空飛ぶ自転車を製造した会社だ。
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片江小学校の向こう(東)へ回りたいのだが道が突き抜けていないので、一旦、近鉄ガードをくぐって生野区へ。左折してすぐにガードをくぐれば東成区へ戻れる。「もの作り」を支える町工場①。
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「大今里南2、3、4、5、6丁目」を東に進む。古いお米屋さん。
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集会所だろうか「防犯」提灯のかかった木造の建物。
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大阪内環状線という大通りの手前で左折する。町工場②。主役はフォークリフト?。
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町工場③。
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町工場④。金切りくずが詰まったドラム缶の横には昨日の大雪の名残。昨日は、記録的な大雪で大阪市内でも積雪が見られた。
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何やらオフィスビル街のような雰囲気に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/bf/2e878a905144a5aa263e2a66e36319c9.jpg)
「コクヨ」本社ビルだ。「コクヨ」は、明治38年、黒田善太郎という人が「黒田表紙店」として帳簿の表紙を扱う店として創業。その後、大正6年、国の誉れ「國誉(こくよ)」と名を変え、昭和11年、この場所に本社を移転。文具・事務機器の一大メーカーとなり、昭和36年、社名を「コクヨ株式会社」と改めた。
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この和風建築は、コクヨの迎賓館らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/e9/39ab618b1594c6ca793ff076fb10c49d.jpg)
国道を東に進む。町工場⑤。
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「新深江交差点」で大阪内環状線を渡りさらに東へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/66/38d49ee10606593b1711fdd4d423fab2.jpg)
町工場⑥。しかし強そうな歯車だな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/f1/1e6e1891c21993db39166818721e15ab.jpg)
道路が左にカーブする。通りの向こう(南)は東大阪市。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/36/f9d9b86027a4cc310f872e3ba1915c94.jpg)
郵便局を越えたところに石灯籠と道標が立つので左折する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/bc/ef016dd46fc06f65dd501a269aa93aed.jpg)
すぐに「人間国宝角谷一圭生家」。角谷家は代々宮大工の家系だったそうだが、一圭が小学生の時に茶の湯釜職人に転職。以来、94歳まで湯釜作り一筋。昭和53年、人間国宝に指定されたそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/33/d451f39b8ebed00d1b93554126f9b4a9.jpg)
生家のすぐ前には「深江稲荷神社」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/80/9f51db0247d242136199ee2c4a46c9b6.jpg)
由緒は垂仁天皇の時代までさかのぼる古社であり、慶長8(1603)年、豊臣秀頼が社殿を改めたと伝わる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/87/2d73d0218a173a71a8da792736133a1d.jpg)
深江稲荷神社の門前に建つ「深江菅笠ゆかりの地」「摂津笠縫邑跡」碑。「深江」とは、まだ、河内平野が内海であったころ、その名のとおり「入江の奥深く」にあった集落で、代々皇祖の御神鏡を守護した「笠縫氏」という一族が住んでいたと伝わる古い集落であったらしい。「笠縫」とは、元々、伊勢神宮があった場所といわれ、そのようなことから皇室と関係が深かったのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/73/a82a527343d3f1765350fcdfac622262.jpg)
神社の北側には「人間国宝角谷一圭記念深江郷土資料館」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d4/02a828c98541ff4ba178ad0205416b2f.jpg)
この辺りは古い深江集落の面影を残している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/5f/c1009643503776ddbb2a6d32068da58a.jpg)
とても大阪市内とは思えない。
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「融通念仏宗法明寺」。「雁塚」という二基の石塔が残されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/7a/98f8498e88ea9820577fb4878550e11f.jpg)
さあ昼食にしよう。今日は深江稲荷神社の一本西を走る一方通行路沿いにある「手作り洋食、三起(みき)」で昼食をとることにする。時間は正午、1分の違いもない。ところが…。店のシャッターが下りている。定休日は日曜日のはずなのだが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/f7/b60f1245393777661ef205829708107e.jpg)
……。しかし、この先はアーケード街を歩く。食べるところはいくらでもあるだろう。気を取り直して先に進む。
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すでに廃業しているようだが古い医院(耳鼻咽喉科)跡。
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大阪内環状線を渡るため信号待ちをしていると何やら「行列」が。「かじわ屋」というラーメン屋さんのようだ。よし今日の昼食はここにしよう。行列に並ぶ。
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塩ラーメン(650円)を注文。午後12時20分、昼食にありつく。おにぎり2個は、ランチタイムのためサービス。
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大阪内環状線を渡って西へ。「宝徳湯」というお風呂屋さん。「お風呂屋さん」「タバコ屋さん」「散髪屋さん」「お米屋さん」「酒屋さん」などが古い街並み作りに貢献しているようだ。
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アーケードが見えてきた。「神路(かみじ)本通商店街」。
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150mほどの短いアーケードだが結構古い店が残る。
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平野分水路手前で一旦、アーケードは途切れる。
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しかし、すぐにアーケードが現れ、ここから「神路しんみち」「神路銀座」「今里1番街」「今里新道筋」と名を変えながら700mほどのアーケードが続く。
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区民の生活を担っているのだろう。
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この喫茶店も「年代物」だな。
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アーケードから路地をのぞく。
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宝石店もある。ママチャリで宝石を買いに来るなんてすごいなぁ。
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結構長いアーケード街だ。
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アーケードを抜ければ「今里筋」。そう午前中に「暗越奈良街道」に入った路地のすぐ北側に出る。
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今里筋を北に上り、次の信号で右折。まったく区画整理されていないクネクネ道を東に進む。「楠通」というらしい。
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途中、路地を左に入ると「八王子神社御旅所」。本宮は後ほど訪れる。元は「八劔神社」といったらしい。大阪夏の陣の兵火に見舞われたそうだ。そういえば城東区を歩いた時にも大阪冬の陣戦跡碑の前に「八劔神社」というお宮さんがあったなぁ(「城東区」編参照)。
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そして境内には高さ25m、幹周り11mのくすのき。この通りが「楠通」といわれる由縁だ。
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隣には「地車庫」。ここも祭りでは地車が駆け巡るようだ。
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本当にこの道は曲がりくねっているな。
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先を見通すことができない。
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さらにクネクネ道を東へ進む。信号を渡ったところに「熊野大神宮御旅所」。午前中に参拝した「熊野大神宮」の御旅所だ。
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ここにも「地車庫」。
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御旅所の前には大きな旧家が。
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町工場⑦。古い水槽が良い雰囲気だ。
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町工場⑧。
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路地を抜け、平野川分水路に突き当たり運河沿いに北上。「日本気象協会」こんなところにあるんだ。
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町工場⑨。特にこの辺りは町工場が多いようだ。
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「祢宜橋」という橋で運河を渡る。町工場⑩。ここは結構大きな工場だ。以前、製造業は土曜日も仕事をしていたが、やはり不況の影響だろうか、ほとんどの工場が閉まっていた。町は、本当に静かだ。道にはゴミひとつ落ちていない。
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次の信号を左折。市立宝永小学校校門前に「スタジオデコ」。午前中に立ち寄った「日本キリスト合同東成教会」のステンドグラスの製造元だ。あちこちのステンドグラスを作っているらしく、テレビでも放映された有名なステンドグラス工房だ。
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「大門橋」という人道橋で平野川分水路を渡る。
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ここからは進路を西に戻す。「東中本」「中本」の町を進む。「神路公園」を過ぎれば左折。
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市立本庄中学校の角を右折。「東中本公園」に出れば左に。
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公園の南側には「中大阪朝鮮初級学校」。総連系の民族学校である。「在日の町」らしい風景だ。
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別に商店街ではないようだが店の続く路地を西に歩く。
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町工場⑪。木の玄関が良い。
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西に進み「今里筋」を渡る。この辺りも古い街並みが残る。
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市立中本小学校。明治40年創立の古い小学校だ。
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突き当たりを右に。中本小学校の通用門を過ぎると「八王子神社」。先ほど参拝した御旅所の本宮である。
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由緒は不詳だが、多くの神々をお祀りする古社だ。高さ20mのくすのき3本とむくのき1本が保存樹に指定されている。
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「地車庫」が並ぶ。境内にたくさんの自動車が駐車していたので参拝客か神社関係者の車かと思ったが、境内をモータープールにしているようだ。幼稚園や保育所を経営するなど神社も大変だなぁ。祭りの時はどうするのだろう。
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中本小学校の通用門まで戻り路地を右折。中本橋で平野川を渡る。
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こういうのも「在日の町」らしい風景だ。
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橋を渡ると左側に「生駒温泉」というお風呂屋さん。
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次の三叉路突き当たりに小さなアーケードが。「元町銀座街」というらしい。
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アーケードも破れ、廃れた感じがする。
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立派な酒屋さんもあるが廃業しているのだろうか。
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売りに出されている店も。
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「キムチ屋さん」は健在だ。ここは「韓流ブーム」前からある古いキムチ屋さんだ。「大森食料品店」。私も何回か買いに来たことがある。
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三叉路まで戻り南へ。途中、左折し路地を抜ける。そこには「八阪神社」。
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「八阪」の名の通り「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」をお祀りする。
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「地車庫」の奥には「戎社」と「稲荷社」が祀られている。
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境内隅にある「石垣」。最後に訪れる「二軒茶屋」跡にかつて架けられていた「黒門橋」という石橋の一部らしい。
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神社の南側の通りにも古い街並みが残る。
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町工場⑫。
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工場の中では職人さん(おそらく経営者)が一生懸命ガスバーナーで金属を加工していた。
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ちょっと方角を間違えたらしい。ところがそこにも古い街並みが。
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「怪我の功名」だな。
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通りの出口に「暗越奈良街道」の道標。裏側には「明治35年7月」の刻字。高麗橋の里程元標から1里。
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大通りに出れば、すぐ右に「玉津1交差点」。正面に見えるカラオケボックス南側の脇道に進む。
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玉造駅東商店街というらしい。カラー舗装されている。
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そしてカラーペイントの路地が終わるころ左側にレトロな建物が立つ。「大阪府東成警察署中道本通警ら連絡所」。
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大阪府警の中でも超一級のレトロ建造物だろう。署員や地域住民らの手で守られている(野里町歩紀~摂河泉をゆく~「愛しき警ら連絡所たち」参照)。
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目の前は国道308号線。国道脇には、かつて流れた「猫間川」に慶安3(1650)年「黒門橋」という石橋が架けられ、橋のたもとには二軒の茶屋があり、奈良・伊勢に向かう旅人たちで賑わったという。今は、二つの石碑が残るだけだ。右の石碑は昭和5年、左は昭和52年に建立された。
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そして、すぐ前には今日のゴールJR大阪環状線「玉造駅」。ここは天王寺区と中央区との3区の境界になっており、駅舎自体は「天王寺区」にある。午後2時30分、到着。本日の歩紀「20220歩」(17.38km)。スタートした「鶴橋駅」から一つ大阪駅寄りの駅。わずか500mの間をぐるっと回って来たわけだ。結構古い建物なのだろうか。写真左端の窓の上、ちょうどガードの下に彫り物が見える。
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(拡大写真)
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楠通の曲線的な道筋は、昔々の細い川筋の名残だそうです。地元の古老から聞きました。
また、消防署付近から深江方向に続いている長い商店街を総称して、地元では「新道」「新道筋」と呼んでいますが、おそらく古い暗越え奈良街道に対して新しく出来た道なのでそう呼称されたのでしょう。
「新道」は、東成警察署の裏側付近で旧街道から離れて直線的に東進し、深江稲荷の東側で奈良街道、及び道真左遷道と交わります。
道真左遷道というのは、北から深江南三丁目に差し掛かって近鉄布施駅方向へ向かうアーケード街の道筋です。
どうぞ気をつけて野里町歩紀を続けて下さい。
コメントありがとうございます。
実際にお住まいあるいはお住まいになっていた方のお話は、本当に貴重でありがたいことです。ありがとうございました。
私が育った町(村?)でもセンターラインはおろか歩車道の区別もない細街路が「新道」と呼ばれていたり、タバコ屋さんの屋根が青瓦だったので「青屋根」と呼ばれるなど地元の人しかわからないような話もたくさんありました。やはり、どんな町でも独自の歴史や文化があり、人それぞれ特別な思いがあるということですね。
まだまだ歩き続けます。今後ともよろしくお願いします。
野里町歩紀