「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

3つの「柏原」を訪ねる3 近江柏原 ~中山道。柏原宿から鳥居本宿を経て彦根まで~

2013-05-10 23:59:53 | 日記
訪問日:平成25年8月17日(土)
出 発:JR「柏原駅」
到 着:JR「彦根駅」

 JRには、全国に3つの「柏原駅」があり、いずれも近畿地方に在る。兵庫県丹波市の丹波「柏原」、大阪府柏原市の河内「柏原」に続いて3つ目の「柏原」、滋賀県米原市の近江「柏原」を訪ねる。
 
 柏原は、中山(仙)道が美濃國から国境を越え、近江國に入って最初の宿場町である。中山道60番目の宿場町「柏原宿」から「醒井宿」「番場宿」「鳥居本宿」までを歩く。見所の多い素晴らしいコースだと思う。多少の起伏はあるが、概ね緩やかな下り坂で、番場宿から鳥居本宿までは大きく高度を下げる。宿場町に立ち寄りながら歩くので、昔の旅人同様、給水・トイレには困らない。


 朝6時前に自宅を出て、JR大阪駅で東海道線「柏原駅」までの切符(2210円)を購入し、午前7時15分発の米原行き新快速に乗車。米原駅で大垣行き普通列車に乗り換え、午前8時59分、JR「柏原駅」に着く。「柏原」と書いて「かしわばら」と読む。
 

 無人駅。乗り越しは自己申告。日本ならではの風景だろうか。
 

 ローカル線らしい駅前。何もない。
 

 駅前広場には観光案内地図が。ここは中山道「柏原宿」。
 

 柏原駅は、柏原宿の中間にあるため、駅から一旦国道21号線に出る。途中「柏原大師堂」に立ち寄り、今日一日の無事を祈願する。
 

 そして国道を600mほど東(美濃國側)に戻り、途中、ローソンで給水し、宿場の入口へ向かう。遠くに見えるのは伊吹山(1377m)。伊吹山は、さほど高い山ではないが、昭和2年2月、世界山岳気象観測史上第1位、11.82mの積雪が観測され、麓の関ヶ原とともに日本有数の豪雪地帯として知られる。
 

 柏原東交差を左折。東海道線の踏切と交わるところから宿場が始まる。入口に立つ「柏原宿」碑。
 

 旧中山道は、国道21号線の1つ北の筋を走っている。
 

 途中、右側に「照手姫笠掛地蔵」。照手姫とは、説教節と呼ばれる芸能に登場する「小栗判官」に付き添って旅した女性。その照手姫が笠を掛けたと伝わるお地蔵さんだが、小栗判官も照手姫も物語上の架空の人物。(野里町歩紀~摂河泉をゆく~「浜寺から「『織物の町』『小栗街道』を経て『信太の森』へ」参照)
 

 雪深い地方なのだろう。道路には融雪用の散水孔が。
 

 宿場の東口に残る「東見附」跡。見附とは、宿場の入口に建つ番所で、お城の城門のような役割をしたとか。赤坂見附の「見附」と同じだろう。
 

 宿場らし古い街並みが残る。
 

 八幡神社。
 

 境内には「芭蕉句碑」。松尾芭蕉は、元禄2(1689)年、この道を歩いたと言われる。「其ままよ 月もたのまし 伊吹山」。
 
 

 街道は、案内表示が整備されている。
 

 ただ、かつての家屋は、すでに代が代わって個人宅になったり取り壊されたりしており、当時の建物名が表示されている。
 

 

 しかし、古い街並みは比較的良く残されている。
 

 ここは、かつての「京丸屋五兵衛」という旅籠だったようだ。
 

 「本陣」も今は案内板が残るだけ。
 

 幕府のお触れ書きが掲出された「高札場」の跡。浮世絵などには高札場前に群がる町人らが描かれており、かつての町人の識字率は高かったといわれる。
 

 高札場跡横には「市場橋」という小さな橋が架かるが、柏原出身の映画監督「吉村公三郎」の若き日の想い出の橋で、別名「初恋橋」と呼ばれる。
 

 まだまだ古い街並みは続く。
 

 ここは、かつて「巌佐九兵衛」という造り酒屋であったようだ。
 

 「伊吹堂」と書かれた看板が掲げられた旧家。柏原は、灸の艾(もぐさ)が有名であったらしく、ここは艾屋。
 
 
 旧柏原村役場跡。トイレがある。
 

 消防団の車庫も蔵風に作られている。
 

 この旧家は「柏原歴史館」として利用されており、観光案内所や喫茶店がある。
 

 日枝神社。
 

 神社は、木々に囲まれているだけでなく、神々しさからか涼しさ感じる。
 

 「薬師堂道標」。最澄が創立したと伝わる「明星山明星輪寺」への道しるべ。
 

 「御茶屋御殿」跡。ここから、1.2kmほど入ったところに京極家の墓所である「徳源院」という寺院がある。ちょっと道から外れるが、足が軽いうちに脇道へ進むことにする。
 

 徳源院を目指す。熊が出るのか。最近の熊や猪は人を恐れない。わが家の近くでも鹿がよく現れるが、臆病な鹿でさえ車のヘッドライトを浴びながら草を食んでいる。
 

 一応、熊除け鈴と警笛を持ってきたが、相手が逃げなければ、こちらが逃げるしかない。
 
 

 田んぼの真ん中にも芭蕉句碑が。「折り折りに 伊吹を見ては 冬籠り」。遠方が伊吹山。
 

 消防団庫がある「清滝大松明資料館」という建物が見えれば左折。この辺りは「清滝」という地区のようだ。
 

 200mほど参道が続く。「清瀧寺徳源院」。鎌倉時代から北近江を支配した佐々木京極氏の菩提寺だ。京極家は、宇多源氏の流れを組む鎌倉時代以前から近江に発した武家で、いくつか系譜はあるようだが、以前、放映されたNHKの特集では、足利尊氏から織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康と常に時の権力者に仕え、最終的には香川丸亀藩主として明治を迎えたとか。
 

 墓所は上下2段に分かれ、上段には始祖「氏信」から18代「高吉」までの墓が並ぶ。
 

 下段には19代「高次」から25代「高中」までの墓と分家した多度津藩主の塔などが安置されている。
 

 「御茶屋御殿」跡まで戻り、さらに中山道を進む。
 

 宿場の外れの田んぼの中に「柏原一里塚」が復元されている。
 

 一里塚から少し歩くと「柏原宿」碑。ここで宿場を離れる。
 

 途中、「明星山」への道標。
  

 私は、概ねグッズは「mont-bell」で揃えているが、帽子だけはミリタリーグッズの通販「シーザム」で買い求めた米軍仕様の「ブーニーハット」を愛用している。
 

 日除けのほか、ちょっとした雨なら防げるし、折りたたむとタケノコ状になり、ザックのサイドポケットに収納するのに丁度良い。
 

 しばらく進むと中山道の新旧道の分かれ道になり「小川の関」と書かれた碑が立つ。
 

 右の旧道に進む。
 

 旧道の右側は鬱蒼とした森になっている。
 

 大きな石碑が立つところで、国道21号線と名神高速が併走する「梓河内」に出る。
 

 国道より一本入った旧道を進む。
 

 インターチェンジ近くの国道沿いにあるいわゆる「ファッションホテル」に突き当たると国道21号線と合流するが「左中山道」に従い左に入る。
 

 右側に八幡神社。
 

 すぐに「一里塚の跡」。柏原宿の一里塚跡から4kmの地点。碑の横には水道があり、顔を洗いタオルを濡らす。「あ~生き返った。」
 
 
 名神高速に沿って歩き、右に国道21号線と東海道線が現れた所に「佛心水」。旅人の喉を潤すとともに御仏の慈悲により安全を祈願した井戸の跡だ。
 

 そのすぐ隣の高速道路の土手沿いに「鶯ケ端」跡の表示。ここは、かつて西方の展望が開け、京都の空が望めたということから、旅人たちが足を止め休息したとか。
 

 そして坂を下れば旧家前の道がクランク状になっている。「枡形」といい敵の進む勢いを鈍らせるための防衛上の構造であり、ここに東の見附(番所)が置かれていた。ここから西の見附までの八町二間(約875m)が「醒井(さめがい)宿」である。
 

 クランクの角に「醒井宿」碑が立つ。
 

 中山道61番目の宿場町「醒井宿」。
 

 柏原宿と異なり多くの町家が観光客相手の店となっている。
 

 すぐ左側に「加茂神社」が現れる。
 

 古事記によると「ヤマトタケルノミコト(倭武命=日本書紀では日本武尊)」が伊吹山の神を討ちに行ったところ、山の神の祟りを受け病となり、命からがら山を下りて「居寤(いさめ)の清泉」で喉を潤したところ正気を取り戻したという。いくつかある「居寤清泉」の伝説地のひとつが、ここ醒井宿の「居醒(いさめ)の清水」である。
 

 急な階段を上りお参りする。
 

 本殿横から「醒井宿」を望む。
 

 石段を下り街道へ。ヤマトタケルノミコトが座ったという「腰掛石」。
 

 消火栓も町の景観に配意されている。
 

 醒井宿の中央を流れる「地蔵川」は、日本でも有数の梅花藻の群生地で何カ所かの群生ポイントがある。
 

 梅花藻(ばいかも)。キンポウゲ科の水生植物で、水温が年間14℃前後の清流にしか生息しない。
 

 6~8月頃にかけて清流の中で、梅の花そっくりな白い花が咲き乱れる。
 

 地蔵川の流れを取り入れ、冷蔵庫代わりに。それほど清らかで冷たい水が流れているということだ。
 

 梅花藻には、「ハリヨ」という絶滅危惧種の魚が棲む。
  

 米原市の観光パンフを接写。
 

 醒井公会堂。昭和11年の建築。
 

 醒井宿問屋場(旧川口家住宅)。17世紀中頃の建築で、米原市指定文化財に指定されている。「問屋」とは、街道の運送業者のことで、公用の荷物や幕府の御用状の両隣宿までの取り次ぎや宿屋の斡旋などをしたいう。
 

 「本陣跡」は案内表示が残るだけ。
 

 ヤマキ醤油屋。
 

 明治天皇御駐輩所跡。奥は無料駐車場になっている。
 

 地蔵川の流れ。
 

 

 「十王水」。天台宗の高僧・浄蔵法師が開いたといわれる水源。
 

 地蔵川に架かる「醒井大橋(といっても小さな橋)」から「居醒橋」を望む。
 

 分かれ道を左に入ると「西行水」。
 

 奥の岩から清水がこんこんと湧く。
 

 居醒橋まで戻り、先ほどの道を右へ。すぐ右に「旧醒井郵便局」。大正時代の建築。
 

 現在は、資料館として使用されている。
  

 斜め前には「松尾寺政所」。明治26年に建てられた醒井尋常高等小学校の玄関を移築したもの。
 

 しばらく歩くとJR醒ヶ井駅前。時間は、午後0時10分。予定通り「昼時」だ。
 

 
 醒井宿には、旧家を利用した料亭風からcafe風の店など7軒ほどの飲食店がある。私は、醒ヶ井駅近くにある「かなやkitchin」に入ることにした。
 

 そばとマスの押寿司セット(800円)を注文。
 

 醒ヶ井駅前には「醒井水の宿駅」という施設があり、地元の野菜や特産物が売られ喫茶・レストランもある。
 

 施設内には湧き水(飲用可)が。
 

 ここから醒井宿を後に国道21号線に沿って歩く。国道沿いと言っても茅葺きの家が。
 

 途中「一類狐魂等衆」の碑。江戸時代、ひとりの旅の老人が「母の乳を飲みたい・・・」とつぶやいて石垣にもたれかかっていたところ、たまたま通りかかった乳飲み子を抱いた母が乳を飲ませた。老人は礼を述べたあと大金を残して往生したが、母親は「お金はもらえない」と、この碑を残して供養したという。
 

 「河南」という集落から国道を外れ右へ。
 

 無人となった旧家を町が買い取り、憩いの場として提供されている。
 

 

 樋口交差で国道と交わり、左に茅葺きの家が見えれば、名神高速「米原IC口」。信号を渡る。
 

 忠太郎食堂という店が立つ交差点を越えれば国道の右側に「番場忠太郎」の像が建つ。これより「番場宿」へ向かう。
 

 交差点を左折し、高速に沿って歩く。米原JCTの手前で高速をくぐれば「久禮の一里塚」前に出る。
 

 一里塚の右から旧道に入る。建物の木造部分や屋根瓦がレンガ色に施されているのを「ベンガラ塗り」というらしく、今回のコースでよく目にする。
 

 しばらく歩くと「番場宿」碑。62番目の宿場。
 

 米原道道標。明治に入って立てられたものだ。
 

 ここもある程度古い街並みは残っているが、当時の建物の多くは案内表示が残るのみ。
 

 

 

 間もなく浄土宗本山「蓮華寺」の入口に出る。
 

 名神高速の高架をくぐれば「勅使門」の前に。
 

 門の左から境内へ進む。拝観料300円を箱に入れて境内に入る。庭園は花と紅葉の時期が素晴らしいらしい。
 

 斎藤茂吉は、当寺の49代隆応法主と師弟関係であったことから、幾度か当寺を訪れ、境内には斎藤茂吉の歌碑が立つ。
 

 本堂。本尊である「阿弥陀如来立像」と「釈迦如来立像」を祀る。
 

 また、当寺は「番場忠太郎」ゆかりの地でもあるらしい。「番場忠太郎(ばんばのちゅうたろう)」。戯曲「瞼の母」の主人公で映画化もされている。私は見たことはないが名前ぐらいは知っている。忠太郎の生国が「番場」であることから「番場忠太郎」と呼ばれ、ここが「忠太郎の里」とされている。本堂裏には「番場忠太郎地蔵尊」が立つ。
 

 架空の人物であるが「忠太郎の墓(五輪塔)」まである。
 

 五輪塔を囲む石柱には往年のスターの名が。やはり、街道筋には遊郭や賭場などが置かれ、それらを縄張りとした親分衆や旅のやくざ者を主題とした物語や映画が多く作られたのだろう。
 

 五輪塔横には、樹齢700年と言われる巨木「一向杉」。一向上人に因んでの古木だろう。高さ30m、周囲5m。抱擁されそうだ。
 

 また、ここは南北朝の古戦場でもある。元弘3(1333)年5月、京都合戦に敗れた六波羅探題北條仲時公は、北朝の天子光厳天皇を奉じて番場宿に逃れたが、足利尊氏に攻められ当寺境内で家臣432名とともに自刃。深く同情した3代住職同阿上人が過去帳に記し、432名の墓碑を建立した。
 

 さらに中山道を進むが、ここから鳥居本駅まで自販機がないうえ峠越えとなるので、蓮華寺前の自販機で余裕を持って水分補給をしておくこと。
 

 番場宿を後にする。
 

 ここから名神高速沿いに小磨針峠までダラダラ坂が続く。
  

 少し色付いた田んぼ越しに伊吹山を望む。
 

 小磨針峠付近で名神高速はトンネルに入る。
 

 特に表示はなかったが、小磨針峠付近に地蔵尊。すぐ横に湧き水が引かれていたが、飲めそうになかったのでタオルを浸す。
 

 高速道路の標識を見ると彦根市に入ったようだ。
 

 しばらく歩くと分かれ道に出るが道標に従って右へ。
 

 すぐに集落が見えてくる。
 

 ちょうど時期的に行く先々で地蔵盆が見られた。
  

 坂を登り切ると左に鳥居が見えてくる。磨針(すりはり)峠だ。昔、青年僧が修行に挫折しかけてこの峠にさしかかった。老婆が砥石で鎌を研ぐ姿を見て問うたところ「たった1本の針が折れたので、鎌を磨いて針を作っている」と聞き、自分の未熟を恥じ、さらに修行に励んだ。それが後の弘法大師だと伝わる。
 

 鳥居の奥には「神明宮」。
 

 境内の展望台からは、遠くに琵琶湖が見える。ここから一気に高度を下げる。
 

 ヘアピンカーブの道を下る。
 

 途中で一直線に旧中山道が貫くが、こんな道。
 

 蛇と獣が出そうだったのでアスファルト道を進む。
 

 国道8号線と合流する。今来た道を振り返る。ガードレールの右が今歩いた道。左が旧道。
 

 しばらく国道を歩き左へ。「おいでやす彦根市へ」の像。
 

 63番目の宿場「鳥居本宿」。
 
 
 虫籠窓の旧家が続く。
 

 茅葺きの旧家も。
 

 クランクを曲がると、一際立派な旧家が現れる。 
 

 赤玉神教丸本舗。今も薬屋さんのようだ。
 

 ここも「枡形」になっている。宿場の入口なのだろう。
 

 赤玉神教丸本舗横の路地を抜け、一旦国道8号線を渡ったところに「上品寺梵鐘」。
 

 再度、中山道に戻る。立派な旧家。今はデイケアセンターになっているようだ。
 

 ここも「本陣」「脇本陣」は、案内板が残るだけだ。
 

 

 本陣、脇本陣跡前の路地を右に入り、国道8号線を渡ったところに近江鉄道「鳥居本駅」が建つ。
 

 昭和6年開業当時の姿に再建されているレトロな駅舎である。駅前の案内板には、連続184時間のピアノコンサートが開催されギネスブックに認定されたとの説明がある。
 

 近江鉄道は、滋賀県東部を走る私鉄である。ローカル線だが、彦根や多賀大社、近江八幡など超一級の名所を結ぶ観光鉄道だ。
 

 ホーム側から駅舎背面を望む。
 

 中山道に戻る。
 

 鳥居本宿は、雨合羽の製造地であったらしく、当時の看板を掲げた旧家も残る。
 

 静かな街道筋。
 

 専宗寺が見えれば宿場町の終わりも近い。聖徳太子開祖と伝わる真宗本願寺派の古寺。
 

 民家の玄関先には現役の井戸。
 

 途中、三叉路の角に文政10(1827)年に建てられたという「彦根道道標」が立つ。中山道の脇街道として整備された彦根まで続く道であるが、かつて朝鮮通信使が通ったことから「朝鮮人街道」とも呼ばれている。
 

 彦根道には進まず中山道を行く。この辺りも雪が多いのだろう民家の軒は深い。
 

 一旦、集落を抜け、右に東海道新幹線、左に名神高速を見ながら進むと「小野」という集落に出る。
 

 ここもかつては宿場町であったようだ。
 

 「小野こまち会館」。そうここは、小野小町ゆかりの地なのだ。「小野小町」六歌仙のひとり、平安時代の女流作家で絶世の美女といわれる。出羽國の生まれと言われるが、恋多き美女故、多くの伝説があるらしく、ここ小野町では、小町の父とされる人物が小野宿に宿泊した際に迎えた養女が出羽で成長したとの伝説があるらしい。
 

 中山道を進む。この集落は、外便所が川沿いに設置されているらしく、このような便所がいくつか見られた。ゴミステーション名として「○○○○宅便所前」と表示されていた。
 

 そう言えば何となく懐かしい「香り」が漂っている。いくつか「便所跡」と思われる更地もあった。
 

 小野集落を抜けると「八幡神社」参道への石灯籠が並んで立つ。鳥居は、新幹線のガードをくぐる。「八幡神社」が多い。八幡信仰が広まったのだろう。
 

 新幹線の車窓から何回か眺めた「気になっていた」神社だ。
 

 早速、鳥居をくぐる。立派なお社が鎮座していた。
 

 神様も毎日新幹線を眺めているのだろう。
 

 お参りを終え中山道に戻る。新幹線と名神高速が合流する手前の左側。ちょうど高速道路の土手下に地蔵尊。15世紀ころに建立された地蔵尊で小町地蔵と呼ばれ「小野小町塚」として信仰されているそうだ。
 

 中山道が新幹線をくぐる(というより新幹線が中山道を跨ぐ)。
 

 途中「原八幡神社」に出れば彦根方面に進路を取り中山道と分かれる。何やら鳥居にかかるしめ縄が低い。中では地蔵祭りが行われていたが、何か謂われでもるのだろうか。鳥居をくぐってはいけないということだろうか。
 

 彦根インターチェンジ横を抜ける。
 

 インターチェンジから彦根市内を結ぶ国道306号線沿いに進み、外町交差点で国道8号線に右折してゴール目指す。
 

 午後4時35分、JR彦根駅(東口)にゴール。本日の歩紀「36774歩」(31.62km)。午後4時53分発、播州赤穂行き新快速に乗車。大阪駅まで1時間20分(1890円)。
 

 ここは、近江鉄道との共同駅舎となっており連絡通路上から近江鉄道の車庫が望める。
 

  

 
 
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