「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

大阪24区を歩く~13番目の渡し「淀川区」

2013-09-20 21:33:12 | 日記
訪問日:平成25年11月9日(土)
出 発:地下鉄「東三国駅」
到 着:阪急電車「十三駅」

 昭和39年10月、東海道新幹線が開通。当時の東淀川区に「新大阪駅」が開業した。駅前は、オフィスビルやビジネスホテルが建ち並ぶ大阪の副都心となった。そして、昭和49年7月、新大阪駅を含む区西部が東淀川区から分区し「淀川区」として誕生。また、区内には「東海道本線」「阪急宝塚線」「阪急神戸線」「阪急京都線」「地下鉄御堂筋線」が縦横に走る。大阪から至近距離であることと交通の便の良さから多くのマンションが立ち並び、人口17万人を超える町となった。
 そして「淀川区」といえば何と言っても「十三(じゅうそう)」。淀川を行き来する「渡し」のうち13番目の渡しが発着したことから「十三」と呼ばれるようになったとか。今では、淀川以北最大の繁華街というよりも男性向けの歓楽街となり、
   ♪ 十三の ねえちゃん ♪
という歌まで流行ったほどだ。


 日没後に「十三」に着くようちょっと遅めの午前10時30分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」を出発する。
 

 大阪市から北に上る地下鉄御堂筋線は「中津駅」を出たところで地上に上がり新御堂筋とともに「新淀川大橋」で淀川を渡る。「新御堂筋」とは、戦前から計画されていたそうだが、その後、「千里ニュータウン」造成や新幹線の開通などを機に、大阪市内と結ぶための大動脈として開通した全長約15kmの大阪を代表する道路だ。大阪では「新御(しんみ)」と呼ばれている。その中央部を地下鉄御堂筋線が走る。
 

 駅真下の「東三国2交差点」を東に進むと、すぐに「蒲田神社」という神社に出る。宇賀御魂大神(ウカノミタマ)等を祀る。今日一日の安全祈願をしよう。
 

 社殿裏の大木には「蒲田千年樟」という札が掛けられていた。
 

 神社南側の出口から出て左折。消防署前を過ぎて次の信号で道路を渡る。蔵のある大きな屋敷がある。
 

 そのまま進み、アンダーパス出口の横に右へ入る路地があるので進む。すぐに「長柄人柱巌氏碑」が立つ。推古天皇の時代、洪水の度に流される長柄の橋を強固なものとするため巌氏という長者が自ら人柱となったとの伝説に基づき、その徳を讃え霊を慰めるため、昭和11年に建立されたものである。
 

 そのまま進むとJR東海道線に突き当たり、線路に沿って緑道があるので右折する。すぐにJR東海道線「東淀川駅」が現れる。オレンジ瓦の可愛らしい駅舎だ。
 

 開業当時は、東淀川区の中央にあったが、淀川区との分区により東海道線が東淀川区との境界となった。踏切を渡る。
 

 踏切を渡った所にも同じような駅舎が立つ。ここまで淀川区だ。
 

 昭和39年、駅の南側約500mを東海道新幹線が横切ったため、「東淀川駅」のすぐ目の前に「新大阪駅」が横たわる。
 

 新大阪駅北側の宮原1丁目。高層マンションが林立する。
 

 マンション群の真ん中に立派な屋敷が並ぶ。
 

 新御堂筋に架かる歩道橋で東から西に渡る。そこには「大阪府立東淀川高等学校」。淀川区は、かつて東淀川区であったため、今でも「東淀川」と冠された施設が多く残る。
 

 東淀川高校前の歩道橋から「西宮原」方向を眺める。駅西側は、オフィスビル街となっている。
 

 歩道橋は、そのまま新大阪駅への通路となっている。新幹線「新大阪駅」。駅周辺は、ビジネス中心の町であり、駅自体は乗り換え駅であることから、駅前商店街・繁華街は形成しない。周辺にビジネスホテルがある他は、駅構内で自己完結する様になっている。今日は、急ぎの旅ではないので駅構内を散策してみよう。
 

 駅西側を走る新御堂筋と地下鉄「御堂筋線」が併走しているため、西口は地下鉄と連結している。
 

 地下鉄連絡口は2階にあり、このフロアーには、お土産屋さんやファーストフード店などがある。「ユニクロ」やドラッグストアは改装工事中だった。その他、くつ修理店や理髪店、郵便局など「通りすがり」の人を相手にした店が多い。
 

 また、北側には「味道筋(みどうすじ)」という飲食店街がある。
 

 3階に上がってみよう。3階がメインフロアーであり、駅南側には新御堂筋からの誘導路が車寄せとなっており、タクシー乗り場になっている。
 

 この階の西端(新御堂筋側)に交番がある。
 

 3階にはみどりの窓口や土産物店など旅の出発・到着点になっている。
 
 
 

 また、改札の真ん前であるため、ちょっと落ち着いて食事ができる店もある。
 

 主な待ち合わせ場所は「中央口」「南口」の改札前のほか「千成びょうたん」前が有名だ。改札内に入ろうと思うが、その前に1階に下りてみよう。
 
 
 1階南側は、一般駐車場、バスターミナルや駅レンタカーなどがある。
 

 エスカレーター横には「大動輪」。たしか以前は3階にあったと思うのだが・・・。奥は、以前「団待ち(団体待合所)」があった。今はないが広いスペースが残っており、修学旅行生たちが並んでいた。
 
 
 そして屋内に入ると・・・。「味の小路」という飲食店街になっている。
 

 若干、目立たない場所にあり観光客は少ないが、仕事帰りや付近のサラリーマンらを相手にした飲み屋街となっており、夜遅くまで賑わっている。さあ、3階に戻ろう。
 

 自動券売機で入場券(120円、2時間有効)を購入し、改札内へ。
 

 エントランススペースには、広告代わりに自動車が展示されていた。
 

 東側は、在来線である東海道線との連絡口になっている。
 

 改札内は、完全に旅人のスペースだ。お土産屋さんや駅弁を揃えたお店が並ぶ。
 

 大阪名物は「たこ焼き」「お好み焼き」「豚まん」が有名(いずれも冷凍)。
 

 「よしもと」も大阪名物なんだ。
 

 最上階のホームへ。世界に誇る「新幹線」。新大阪駅は、全列車停車するので多くの新幹線が並ぶ。時間が短縮されたとはいえ、東京、九州と直結するホームには旅情が漂う。本当に1分の誤差もなく発着を繰り返している。
 

 もちろんホームにも売店はある。
 

 午後0時30分。スタートが遅かったので昼食時間となった。今日は、ちょっと旅気分を味わおうと、駅の売店で「なにわ満載弁当(1000円)」+お茶を購入。待合スペースで食事をとる。
 

 一息ついて「さぁ出発だ。」駅の南側には、旅行者・ビジネスマンのためのホテルが並ぶ。
 

 新御堂筋に沿って南へ。地下鉄で1駅「西中島南方駅」の周辺は、新大阪駅とは異なり、飲食店・飲み屋・パチンコ屋などが並ぶ。
 

 そして「風俗店」も。新大阪駅前のビジネスホテルから歩いて5分ほど。仕事を終えホテルにチェックインしたビジネスマンらの「癒し空間」となっているのだろうか。
 

 地下鉄と交差する阪急京都線の踏切を渡り、路地を過ぎると目の前は淀川の堤防。
 
 
 新大阪駅を出たJR東海道線が貨物線とともに淀川を越える。
 

 堤防を下りて河川敷を歩くことにしよう。この辺りはバーベキュー広場になっており、炭火の良い臭いがする。
 

 琵琶湖を源流とする淀川は、毛馬閘門で旧淀川と別れ、明治になって開削された大阪湾までの約10kmを「新淀川」と言うのだが、通常、大阪では、旧淀川を「大川」と呼び、新淀川は単に「淀川」と呼ぶ。
  

 阪急電車の京都線・宝塚線・神戸線の3線が渡る鉄橋。
 

 ちょっと堤防上に上がってみよう。「十三大橋」で国道176号線が淀川を渡る。かつてこの辺りに淀川の13番目の渡し船が通ったことから、ここを「十三」と呼ぶようになった。ただ、新淀川は、明治43年に毛馬閘門から新たに切り開かれた川筋であり、古地図などによると、ここを流れていたのは「中津川」という川であったらしい。
  

 そして橋の北詰には、当時の旅人を相手にした茶店だったのだろう、小さな餅屋があったのだが移転したようだ。街中に移転した新しい店へ行く。「今里屋久兵衛(淀川区新北野2-1-18)」。
 

 創業280年。「十三餅」という焼き餅一筋の老舗だ。「営業中」の札が出ていたが扉には鍵が。扉の横に「御用の方はインターホンを」と書いてあったが、わざわざ店を開けてもらうまでもないので、外のサンプルを撮影させてもらう。なお、十三駅西改札口の真ん前に出店があるので、ご入り用の節はそちらで。
 

 もう一度、淀川に戻る。河川敷には下りず堤防上を歩く。この辺りは毎年8月第2土曜日に「なにわ淀川花火大会」という花火大会が開かれ50万人の観客が訪れる。
 

 さらに進むと鉄橋。実は、先ほど新大阪駅を出て淀川を渡ったJR東海道線が「大阪駅」を経てUターンし、再度、淀川を渡って淀川区を走る。つまり東海道線は、淀川区を2度走るのだ。線路から向こうは「西淀川区」。
 

 堤防から下りて町中へ。古い長屋が。
 

 奥行きがあり、裏に「物干台」がある大阪の町家特有の造り。
 

 JR東海道線の「塚本駅」前を過ぎる。
 

 「塚本駅前通商店街」。
 

 全長約80mの小さなアーケード街だ。
  

 アーケードを出れば左へ。途中、公園を横断し、自動車学校の前を通り過ぎ、ちょっと広い道に出る。左に緑道が見えるが、これは西淀川区を東西に走る「大野川緑陰道」の延長だ。
 

 中小の工場街を抜ける。
 

 ここで「北方貨物線」が二叉に分かれており、アンダーパスと踏切で越える。その向こうには新幹線の高架線が走る。新大阪駅から西は「山陽新幹線」だ。
 

 新幹線橋脚に沿って歩く。新幹線の高架は、結構高い。
 

 右に「三津屋中央公園」が見えてくれば右折。公園に沿って歩く。
 

 その先には「大阪市立東淀工業高等学校」。淀川区の西の端っこにあるのだが、これも「東淀川区」時代の名残だ。
 

 この辺りは、新幹線と東海道線の間で北方貨物線が分岐し、4本の線路が走る。
 

 しばらく新幹線に沿って歩き、阪神高速道路をくぐって加島駅との分岐点に出ると右折。「十三筋」という大通りを越える。古いお米屋さんが残る。
  

 そして2~3分で「香具波志(かぐはし)神社」。959年、倉稲魂神らをお祀りしたのが始まりであり、昭和34(1959)年、鎮座千年祭を挙行したという古社だ。鳥居の後ろに門が建つ。
 

 路地を抜けて北に進むと神崎川に出る。この川で兵庫県尼崎市と大阪府吹田市・豊中市との境界を成す。つまり、淀川区は東西をJR東海道線、北を神崎川、南を淀川に囲まれているのだ。
 神崎川に架かる「毛斯倫(モスリン)大橋」。「モスリン」とは薄地の生地のことで、かつて対岸の尼崎市戸ノ内に「毛斯倫紡績」という工場があり、その工場が社用に架けた橋であったことから「毛斯倫大橋」と呼ばれている。
 

 河川敷に下りるタイミングを失ったので歩車道の区別のない道路を歩く。休日の交通量は少ないが、車に気をつけて歩こう。
 

 「大豊橋南詰」で阪神高速道路をくぐり900mほどで右に坂道が見えるので、下りて工場と工場の間を歩く。
 

 先ほど渡った「十三筋」に出るので左折し、10分ほどで左に「和食さと」が見えれば、その手前の路地を左に。
 

 三津屋中2丁目。この辺りは、古い街並みが残っている。
 

 長い板塀と白壁の塀。
 

 大きな門。
 

 立派な土蔵。
 

 これは「香具波志神社御旅所」。
 

 ここにも板塀が。軒下は石畳になっていた。
 

 浄土真宗蓮正寺の塀。
 

 真っ直ぐ歩くと分離帯のある道に出るので左折。すぐ左に「三津屋商店街」のアーケードが見える。
 

 幅の狭い商店街だが、地元の人たちの生活を支えているのだろうシャッター街化はしていない。
 

 450mほどのアーケードを抜けると神崎川に突き当たり、右折すれば「阪急神戸線神崎川駅」まで店が続く。
 

 「神崎川駅」のガードをくぐる。
 

 この道は、昔の川筋に沿っているのだろうかヘビのようにクネクネと曲がる。
 

 直線部分がないので向こうを見通せない。
 

 「ヘビ道」を抜けると国道176号線と阪急宝塚線「三国駅」を越える。ガード沿いに歩けば駅前のロータリーに。
 

 駅の東側には「三国商店街(サンティフルみくに)」。
 

 ここも結構、賑わっている商店街だ。
 

 古い建物は「質屋さん」。
 

 450mほどでアーケードは終わる。右(南)に曲がり、そしてすぐに右折する。つまり、商店街の一本南の筋を元の方向に戻ることになる。ここには、何となく「昭和」を感じさせる店が並ぶ。結構、飲み屋さんも多い。
 

 途中で左に曲がり三国本町2丁目の町を抜けるが、ここも結構古い家が残っている。
 

 「三国本町公園」という都市公園に出れば斜めに横断する。やっぱり、大阪市内の公園は人が多いなぁ。
 

 公園を抜け左折するとすぐに「北方貨物線」の踏切。「JR宮原操車場」へと引き込み線が続く。
 

 「宮原操車場」。平成19年、ここの仮設ホームに昭和30年代の東京駅を再現し、ビートたけし主演の映画「点と線」のロケが行われた。高架線は、山陽新幹線。
 

 宮原操車場前を越えると角に大きな屋敷がある。幼稚園を経営しているようだ。
 

 阪急京都線を越え「十三」へ向かう。「大阪市立十三小学校」。大正時代に開校した古い学校らしい。
 

 小学校前は、アーケードはないが商店街になっている。
 

 古い酒屋さんと呉服屋さんの間を左折する。
 

 外観は洋風だが、大阪市内でよく見られる、玄関だけ独立し奥でつながっている長屋があった。
 

 すぐに神社の裏手に出るので表にまわる。神津(かみつ)神社だ。付近の多くの神社を合祀し「八幡さん、天神さん、住吉さん、お稲荷さん」などを祭る。
 

 特に有名なのは「えべっさん」。「十三」と「富」をかけて「十三(とみ)えびす」と呼び、毎年盛大に行われる。特に地元出身のラジオパーソナリティー「桜井一枝」さんが大活躍する。
 

 神社の前は、十三駅前通商店街。立ち飲み屋さんやパチンコ屋がある。以前は、成人向けの映画館もあったが、今はなくなっているようだ。
 

 
 
 アーケードを出たところが阪急「十三駅東改札口」。阪急梅田駅を出発した神戸線・宝塚線・京都線の3線は、ここ「十三駅」まで併走し、ここで扇のように神戸・宝塚・京都へと分かれる。
 

 東改札口と西改札口を結ぶガード下の通路。身長180cm以上の人は、頭上に注意して歩きましょう。
 

 今日のゴール「十三駅西改札口」を一旦通り過ぎる。「十三トミータウン」と呼ばれる短いアーケード街には「喜八洲総本舗」という和菓子屋が立つ。行列ができていた。
 

 昭和23年の創業と比較的新しい店だが酒饅頭やみたらし団子が有名で主要ターミナルに出店がある。
 

 アーケードを抜けた所は「十三ロータリー」と呼ばれる「十三交差点」。国道176号線が通り、深夜になれば客待ちタクシーが並ぶ。
 

 信号を渡って「十三フレンドリー商店街」へと進む。240mほどのアーケードが一旦、十三バイパスのガード下で途切れ、その先は「もといまロード」というアーケードが続く。
 

 道頓堀「かに道楽」の出店もある。
 

 ここは、商店や飲食店が並ぶ「普通」の商店街である。
  

 しかし、一つ南の「十三本町商店街」へ入ると・・・。この辺りは、ラウンジやクラブ、キャバレーが並ぶ「夜の街」。
 

 

 いわゆる「風俗店」も並ぶ男性向けの歓楽街だ。
 

     ♪♪ ネオン 渦巻く 十三よ やけに淋しい夜もある
           ねえちゃん ねっちゃん 十三の ねえちゃん ♪♪
 バブル絶頂期は、目が眩むほどのネオンが輝き、その風景を撮影するためビデオカメラを抱えた外国人観光客が押し寄せたほどだが、今は半分ほどに。一時は、客引きの外国人女性が出没し、治安が悪化したこともある。しかし、他の地区同様、バブル崩壊とともに落ち着きを取り戻し、古き良き盛り場へと戻りつつあるようだ。
 

 国道176号線を渡り「波平どおり」と呼ばれる裏道を通り抜け「十三駅西改札口」へ。改札に向かって左側には「小便横丁」と呼ばれる狭い路地が線路に沿って2筋並ぶ。この風景を見るため、わざわざ日没の早いこの時期を選び、日没に合わせて出発時間を設定したのだ。
 

 昭和20年6月の大阪大空襲で焼け野原になった跡地にできたこの飲み屋街には、かつてトイレがなかったため酔客が立ち小便をし、付近には小便の臭いが漂っていたことから、こう呼ばれるようになったとか。まず、線路沿いの筋を歩く。
 

 100mほどで突き当たる。今はここに公衆便所が出来ている。そして、これまでと違い各店にトイレが設けられているので、今では立ち小便をする者はいない。ただ、かえってトイレがあることで若干「小便臭」が漂う。これも「演出」か?しかし、女子トイレのないトイレとはすごいなぁ。まさに「立ち小便」専用トイレだ。
 

 ここで折り返し、もう一つの筋を歩く。ここもネオンというよりも赤提灯や立て看板の電飾が並ぶ。
 

 いったい何軒の店があるのだろうか。そしてどの店もほぼ満席だ。まだ、土曜日の夕方5時過ぎだぞ!
 

 

 

 先ほどの「喜八洲総本舗」向かいにある銀行の前には、小さな「小便小僧」の像が立つ。小便横丁に因んで平成20年2月に立てられたものだ。「見返りトミー君」という。帽子を被らせてもらっている。
 
 
 午後5時30分、今日のゴールである阪急「十三駅(西改札口)」に到着。本日の歩紀「35763歩」(30.75km)。寄り道せず真っ直ぐ帰ろうか、それともちょっと身体を温めて帰ろうか。
 

 なお、先ほど紹介した「今里屋久兵衛」の出店です。改札の3歩ほど前にあります。
 

追記:「小便横丁」は、平成26年3月7日早朝の大火で、大部分が焼失してしまいました。謹んでお見舞い申し上げます。
 
                                 (平成26年3月15日撮影) 

 
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