訪問日:平成25年9月2日(月)
出 発:JR「京橋駅」
到 着:JR「京橋駅」
「どうしよう。」このコースを歩くのにテーマを何にするか。大阪市「城東区」。住宅と町工場が並ぶ、これと言った名所旧跡やビュースポットがない町だ。とりあえず大阪府神社庁のホームページを開く。区内には、神社本庁系の神社が区を取り囲むように8社ある。そこで神社を訪ねながら歩くことにした。
文字通り大阪城の東側にある。城を擁した町では一般的な地名かと思ったが、日本では大阪市のみにあり、海外では韓国ソウル市と中華人民共和国西寧市に城東区があるようだ。昭和18年、東成区、旭区から分離。その後昭和49年、区東部が分区し「鶴見区」となる。人口約16万5千人。最近ではマンションが建ち並び、政令指定都市では、全国一の人口密度だとか。
今日は、朝から雨。Tシャツに短パン、素足にクロックスという「濡れる気、満々」のいでたちで、片手に傘を持ち、カメラを守りながら出発した。
地下鉄と京阪電車の京橋駅は、大阪市都島区にあるが、JR京橋駅は、ホームが都島区と城東区の境界であり、飛び出た分、南口のみが城東区に位置する。繁華街に続く北口、西口とは異なり、南口は国鉄時代の面影を残している。午前10時30分、JR京橋駅南口を出発する。
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駅の東側の道を北に進む。JR東西線の踏切を渡り、京阪電車のガードをくぐって「桜小橋」交差で国道1号線を渡って野江1丁目から4丁目までを歩く。いきなり味のある建物が現れる。
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これは、東野田抽水所。実は、今歩いている道は、都島区との区境であり、これらの建物は「都島区」になる。
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二叉路に出れば区境は左に流れ、路地をまっすぐ2丁目へと進む。
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すぐに古い街並みが現れる。
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道沿いも素晴らしいが、路地に入っても昭和の街並みが残る。
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3丁目に入ると、結構、古い街並みになる。
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土蔵が二つ並んだ屋敷。
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野江4丁目交差点で再度、都島区との区境に出るが大通り(都島通)には進まず、「バーミアン」の手前を右に折れる。
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160mほどで今日最初の神社「水(すい)神社」だ。地元では「野江神社」「野江水神社」と呼ばれている。いつものように一日の安全祈願をする。
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「水波女大神」という水の神様を祀る。「厄を洗い流す」ということで、厄除けの神様としてご利益があるとか。
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お参りを終え、榎並小学校の横を抜ける。ここは、戦国時代「三好政長」が居城とした「榎並城」の伝承地とされる。
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校門の前にも古い住宅が残る。
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さらに進むと、先ほどの都島通(国道163号線)に。国道の向こうに見えるアーケードは都島区側にある「野江国道筋商店街」。
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城東貨物線をくぐると左側は「旭区」になる。以前、旭区側に「旭国道筋商店街」というアーケードがあったのだが、今は見当たらない。城東区側には、「nex」というスーパーの前にアーケードが設置されている。歩道上には「大阪のおばちゃん」仕様の傘立て付き自転車が。
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国道沿いにも古い建物が現役として残る。
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旭区との区境を300mほど進むと右に、今日2社目の「関目神社」。
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正式名は「須佐之男尊神社」といい、豊臣秀吉が大坂城築城の際、北の守りとして「スサノオノミコト」を祀ったのが始まり。かつて、この辺りには関所があり、「目で見張る関」ということから「関目」という地名になったとの記念碑が立つ。
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神社の前を南に進むと何とも良い雰囲気の五叉路が。ここらは空襲には遭わなかったのだろう。(写真は、南からの眺め)
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一方通行の狭い路地を左に「成育5丁目」を進む。
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国道1号線を越えると京阪電車「関目駅」だ。この辺りの京阪電車は、高架ではないが土手の上を走っており、線路の向こうには踏切ではなく、アンダーパスで抜ける。
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改札横のアンダーパスをくぐって東側に。この先には「大阪信愛女学院」というキリスト教系の女学校(幼稚園~短大)があるが、敬虔な学校らしく、女子大生も制服を着用しており、制服での店への立ち寄りは禁じられているのか学生街は形成しない。
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駅の南側にアーケードが見える。80mほどの「関目商店街」を抜け南へ。
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「関目」の町を歩く。この辺りも空襲を免れたのだろう、木造の住宅が続く。
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ただ、かなり建て替えも進んでいるようだ。
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しかし、公園の端には、地元の人たちに守られたお地蔵さん。
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ここは、元「めし屋」だったんだな。
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「今福西」の町に出るが、この辺りは昔「鯰江(なまずえ)」と呼ばれていたのだろう。「鯰江公園」のすぐ隣には高層マンションが。
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鯰江小学校、幼稚園の横を抜けると「鶴見通」という大きな通りに出る。このすぐ西側に国道1号線が西から北に左折する「蒲生(がもう)4丁目交差点」がある。大阪では「がもよん(蒲4)交差」で通り、渋滞スポットとして道路交通情報でもお馴染みだ。
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交差点の下で地下鉄長堀鶴見緑地線と今里筋線が交わる。「蒲生4丁目駅」があり「鶴見通」の向こうにアーケードが見える。「城東商店街」だ。
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商店街の中には「城東市場」という市場があり、市場の東側には「地蔵院行者神変大菩薩」が祀られた小さなお堂が。
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時間は、午前11時45分。この商店街で昼食としよう。そば処「ひらの」という店に入る。
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えびカツ丼(800円)を注文した。エビ天とトンカツがのっているのかと思ったが、一つの衣の中に海老とカツがくるまれていた。
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食事を終え、約170mのアーケードを抜ける。アーケード街だが、古い町家が並ぶ。
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このタバコ屋さんも立派な「昭和造り」だ。
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鯰江保育園の前で右折すると、すぐに先ほどの「がもよん交差」に続く今里筋に出るが、中央分離帯があるので、ひとつ北にある信号で今里筋を東から西に渡ろう。
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蒲生4丁目の町を抜ける。結構、古い街並みだ。「若宮地車蔵」。この辺りの秋祭りは、だんじりが巡行するのだな。
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正福寺というお寺を過ぎると3社目の「若宮八幡大神宮」。大神宮と言うが小さなお社だ。
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こういうことらしい。
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神社の前には小さなお堂があり、たくさんの仏様が祀られていた。
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神社前の風景。
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そして向かって左のお屋敷は、なんと「茅葺き」。大阪市内で茅葺き屋根の家が見られるとは思わなかった。
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ひとつ南の信号を左折し東方向へ。この道も結構、古い家が残る。
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蒲生4丁目の街並み。難波から野崎観音や大和へ続く街道だったらしい。大阪市内とは思えない。
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町家も続く。何か良い感じだな。
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「新喜多大橋」北詰で今里筋を西から東に渡り、ひとつ東側の「新喜多橋」北詰に出る。
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橋を渡った所にも古い町家が。何かお店をしているようだ。
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「新喜多(しぎた)」とは、昔この辺りの新田開発に携わった「新十郎」「喜七」「多兵衛」という人の頭文字から取った地名らしい。橋の北詰めから「今福南」の町を進む。
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この道も結構、古い家が残っている。
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360mほどで左に4社目の「皇大神宮」。伊勢の内宮同様、天照大神をお祀りする。
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平安時代末期に創祀されたとか。
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鳥居の横には「地車庫」が。
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皇大神宮の前を南に進む。この辺も古い街並みが残る。
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今福小学校を抜けた所で「極楽橋」という橋で「寝屋川」を渡る。城東区は、東西に「寝屋川」「第二寝屋川」が、南北に「城北川」「平野川分水路」という4本の川が流れる。区の南西部には「平野川」も。川と言っても工業用水と下水、水運のための「運河」で、かつては巨大な「どぶ川」として悪臭を放っていた。今では区内に4カ所の下水処理場ができ、かなり水質も改善されたようだが、やはり川というよりは「水路」だ。寝屋川を渡り東へ。歩行者専用橋から寝屋川を下流方向に望む。右(北)から城北川が、左(南)から平野川分水路が十文字に交わり「川の交差点」となっている。
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川の南側には「放出小学校」。これから「放出」の町を歩く。雨がきつくなってきた。
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「放出」。大阪でも珍名中の珍名だろう。「ほうしゅつ」と書いて「はなてん」と読む。町工場と住宅が続く、何でもない町だ。
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「放出」は、昭和49年の分区により、大阪内環状線をはさんで西側が城東区に東側が鶴見区となった。主な施設として鶴見区側には「JR放出駅」が、城東区側には小学校の他「放出中学校」「放出幼稚園」などがある。
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放出幼稚園の横を過ぎ、平野川分水路を東から西に渡る。
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新喜多東2丁目の町を抜ける。
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いくつかのアンダーパスがあるので、地図を頼りにJRの南側に出よう。本日5社目の「八劔神社」。村人らが夢でご神託を受け、応永3(1396)年に小さな祠を建てたのが始まりとか。
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裏に出れば地車庫がふたつ並ぶ。
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神社西の城東小学校校門横には「大坂冬の陣・鴫野古戦場跡碑」が立つ。ここは、大坂冬の陣最大の激戦地で、湿地帯であったことから合戦には不向きなため銃撃戦が行われたという。日本に鉄砲が伝わったころは戦国時代。鉄砲は、またたくまに 新兵器として広まり、当時の日本は、世界一の銃保有国となり、17世紀に軍隊同士の銃撃戦が行われていたのだ。碑はフェンスに囲まれていたので、隙間からカメラを差し入れ撮影する。
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再度、東に進み「天王田」の町を抜ける。
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地車庫の横に「八坂神社」というお社があるが、今日の「八社」には含まない。
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今度は西から東に平野川分水路を渡り、すぐ右へ。ここも第二寝屋川と平野川分水路が十文字に交わる「川の交差点」。
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下水処理場の北側を東に、「左専道公園」と「諏訪小学校」の北側を進む。「佐専道」の由来は後ほど。
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大阪内環状線高架下の公園を抜けて右へ、一つ目の辻を左に曲がり「諏訪」の町へ入る。
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「諏訪」の町にも古い街並みが残る。素晴らしい道だ。小雨が似合う。
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懐かしい「散髪屋さん」。今も営業しているのだろうか。
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路地に突き当たり右折する。この路地は「東大阪市」との市境。東大阪市は、かつての「河内國」。つまりこの路地は「摂津」「河内」の国境ということだ。
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すぐ右側に6社目の「諏訪神社」が現れる。境内の石灯籠には、承和3(836)年の銘があり、平安時代前期にはあったといわれる古社。「建御名方刀美命(たけみなかたとみのみこと)」を祀り、長野県・諏訪大社の分社。
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境内には天神様(菅原道真)が祀られ、その前には、かつて太宰府に左遷配流される菅原道真が腰掛けたという石が。そのため、この道は「左遷道」と言われ、その後「佐専道」と呼ばれるようになったとか。後ろには地車庫。
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参拝を終え、路地を右に。しばらく「国境」の道を歩く。
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マンションのある角を右折、西に進む。大阪府立成城高等学校の前を過ぎると、そこには「あれ」が。「あれ」とは? 先ほど「放出」の町を歩いたが、放出(はなてん)の名を全国区にしたのは、やはりこれだろう。「ハナテン中古車センター」。
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看板の「8710」の下には、あのセリフが。
女:「あなた 車 売る?」「私 高く買うわ!」
男:「あんた 一体 誰?」
女:「私? ハナテン中古車センターよ」
♪:「ハナテン中古車センター~~~。」
大阪では、「京橋のグランシャトー」と並ぶ、有名なコマーシャルだ。地名は「城東区諏訪」だが、ここに「(株)ハナテン」の本社がそびえる。
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城東中学校の前を過ぎ、さらに西へ。永田大橋で平野川分水路を渡ると「東中浜」。ここから、アーケードはないが商店街が続く。「東中浜商店街」。
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結構、古い家が残る。民家右のポールは、紀元2600(昭和15)年を記念して建てられた「国旗掲揚台」のようだ。
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交差点を渡り、ペイント舗装に代われば「緑橋商店街」と名を変える。
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ここも古い町家が残る。
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「本町湯」。レトロというより重厚な銭湯だ。
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この辺りから「緑橋西商店街」となる。
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信号で今里筋を渡れば「中浜本町商店街」に。
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名前を変えながら800mほどの商店街が続く。
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本屋前の小さな路地を入る。7社目の神社「稲荷神社」。地元では「東本(とうほん)稲荷神社」と呼ばれる。家と家にはさまれた小さな神社だ。創建は不明だが、天正4(1576)年に兵乱で焼失したとのことであるから、それ以前からあったのだろう。
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北に上り「中浜」の町を抜ける。
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そして、今日最後の神社「白山(しらやま)神社」。
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菊理媛神(くりひめのかみ)を祀り、創建は不明だが応永時代(1400年代)から付近の氏神様だったといわれる。境内には大イチョウがあり、高さ約23m、大阪市内一のイチョウは、大阪府天然記念物に指定されている。
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神社前の「衛門橋」で平野川を渡り右(北)へ。
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「城見橋」で第二寝屋川と平野川の合流点を渡り「鴫野」の町へ。
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「鴫野湯」。これもレトロなお風呂屋さん。営業中の現役だ。
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「そば一番」。そば屋さんだが、オムレツもあるようだ。
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さらに北へ上り「鴫野橋」で寝屋川を渡る。
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午後3時30分、今朝出発したJR京橋駅南口に到着。本日の歩紀「22922歩」(19.71km)。何の特徴もない町だと思っていたが、やはり町には町の顔があり、どれも「良い顔」をしている。
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南口横のガード脇には、終戦の前日である昭和20年8月14日、大阪大空襲により爆撃された京橋周辺の被災者の霊をなぐさめるお地蔵さんが祀られていた。京橋は、大阪砲兵工廠の直近だったため、激しい爆撃があったようだ。「合掌」。
出 発:JR「京橋駅」
到 着:JR「京橋駅」
「どうしよう。」このコースを歩くのにテーマを何にするか。大阪市「城東区」。住宅と町工場が並ぶ、これと言った名所旧跡やビュースポットがない町だ。とりあえず大阪府神社庁のホームページを開く。区内には、神社本庁系の神社が区を取り囲むように8社ある。そこで神社を訪ねながら歩くことにした。
文字通り大阪城の東側にある。城を擁した町では一般的な地名かと思ったが、日本では大阪市のみにあり、海外では韓国ソウル市と中華人民共和国西寧市に城東区があるようだ。昭和18年、東成区、旭区から分離。その後昭和49年、区東部が分区し「鶴見区」となる。人口約16万5千人。最近ではマンションが建ち並び、政令指定都市では、全国一の人口密度だとか。
今日は、朝から雨。Tシャツに短パン、素足にクロックスという「濡れる気、満々」のいでたちで、片手に傘を持ち、カメラを守りながら出発した。
地下鉄と京阪電車の京橋駅は、大阪市都島区にあるが、JR京橋駅は、ホームが都島区と城東区の境界であり、飛び出た分、南口のみが城東区に位置する。繁華街に続く北口、西口とは異なり、南口は国鉄時代の面影を残している。午前10時30分、JR京橋駅南口を出発する。
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駅の東側の道を北に進む。JR東西線の踏切を渡り、京阪電車のガードをくぐって「桜小橋」交差で国道1号線を渡って野江1丁目から4丁目までを歩く。いきなり味のある建物が現れる。
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これは、東野田抽水所。実は、今歩いている道は、都島区との区境であり、これらの建物は「都島区」になる。
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二叉路に出れば区境は左に流れ、路地をまっすぐ2丁目へと進む。
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すぐに古い街並みが現れる。
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道沿いも素晴らしいが、路地に入っても昭和の街並みが残る。
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3丁目に入ると、結構、古い街並みになる。
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土蔵が二つ並んだ屋敷。
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野江4丁目交差点で再度、都島区との区境に出るが大通り(都島通)には進まず、「バーミアン」の手前を右に折れる。
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160mほどで今日最初の神社「水(すい)神社」だ。地元では「野江神社」「野江水神社」と呼ばれている。いつものように一日の安全祈願をする。
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「水波女大神」という水の神様を祀る。「厄を洗い流す」ということで、厄除けの神様としてご利益があるとか。
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お参りを終え、榎並小学校の横を抜ける。ここは、戦国時代「三好政長」が居城とした「榎並城」の伝承地とされる。
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校門の前にも古い住宅が残る。
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さらに進むと、先ほどの都島通(国道163号線)に。国道の向こうに見えるアーケードは都島区側にある「野江国道筋商店街」。
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城東貨物線をくぐると左側は「旭区」になる。以前、旭区側に「旭国道筋商店街」というアーケードがあったのだが、今は見当たらない。城東区側には、「nex」というスーパーの前にアーケードが設置されている。歩道上には「大阪のおばちゃん」仕様の傘立て付き自転車が。
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国道沿いにも古い建物が現役として残る。
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旭区との区境を300mほど進むと右に、今日2社目の「関目神社」。
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正式名は「須佐之男尊神社」といい、豊臣秀吉が大坂城築城の際、北の守りとして「スサノオノミコト」を祀ったのが始まり。かつて、この辺りには関所があり、「目で見張る関」ということから「関目」という地名になったとの記念碑が立つ。
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神社の前を南に進むと何とも良い雰囲気の五叉路が。ここらは空襲には遭わなかったのだろう。(写真は、南からの眺め)
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一方通行の狭い路地を左に「成育5丁目」を進む。
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国道1号線を越えると京阪電車「関目駅」だ。この辺りの京阪電車は、高架ではないが土手の上を走っており、線路の向こうには踏切ではなく、アンダーパスで抜ける。
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改札横のアンダーパスをくぐって東側に。この先には「大阪信愛女学院」というキリスト教系の女学校(幼稚園~短大)があるが、敬虔な学校らしく、女子大生も制服を着用しており、制服での店への立ち寄りは禁じられているのか学生街は形成しない。
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駅の南側にアーケードが見える。80mほどの「関目商店街」を抜け南へ。
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「関目」の町を歩く。この辺りも空襲を免れたのだろう、木造の住宅が続く。
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ただ、かなり建て替えも進んでいるようだ。
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しかし、公園の端には、地元の人たちに守られたお地蔵さん。
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ここは、元「めし屋」だったんだな。
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「今福西」の町に出るが、この辺りは昔「鯰江(なまずえ)」と呼ばれていたのだろう。「鯰江公園」のすぐ隣には高層マンションが。
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鯰江小学校、幼稚園の横を抜けると「鶴見通」という大きな通りに出る。このすぐ西側に国道1号線が西から北に左折する「蒲生(がもう)4丁目交差点」がある。大阪では「がもよん(蒲4)交差」で通り、渋滞スポットとして道路交通情報でもお馴染みだ。
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交差点の下で地下鉄長堀鶴見緑地線と今里筋線が交わる。「蒲生4丁目駅」があり「鶴見通」の向こうにアーケードが見える。「城東商店街」だ。
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商店街の中には「城東市場」という市場があり、市場の東側には「地蔵院行者神変大菩薩」が祀られた小さなお堂が。
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時間は、午前11時45分。この商店街で昼食としよう。そば処「ひらの」という店に入る。
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えびカツ丼(800円)を注文した。エビ天とトンカツがのっているのかと思ったが、一つの衣の中に海老とカツがくるまれていた。
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食事を終え、約170mのアーケードを抜ける。アーケード街だが、古い町家が並ぶ。
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このタバコ屋さんも立派な「昭和造り」だ。
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鯰江保育園の前で右折すると、すぐに先ほどの「がもよん交差」に続く今里筋に出るが、中央分離帯があるので、ひとつ北にある信号で今里筋を東から西に渡ろう。
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蒲生4丁目の町を抜ける。結構、古い街並みだ。「若宮地車蔵」。この辺りの秋祭りは、だんじりが巡行するのだな。
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正福寺というお寺を過ぎると3社目の「若宮八幡大神宮」。大神宮と言うが小さなお社だ。
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こういうことらしい。
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神社の前には小さなお堂があり、たくさんの仏様が祀られていた。
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神社前の風景。
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そして向かって左のお屋敷は、なんと「茅葺き」。大阪市内で茅葺き屋根の家が見られるとは思わなかった。
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ひとつ南の信号を左折し東方向へ。この道も結構、古い家が残る。
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蒲生4丁目の街並み。難波から野崎観音や大和へ続く街道だったらしい。大阪市内とは思えない。
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町家も続く。何か良い感じだな。
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「新喜多大橋」北詰で今里筋を西から東に渡り、ひとつ東側の「新喜多橋」北詰に出る。
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橋を渡った所にも古い町家が。何かお店をしているようだ。
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「新喜多(しぎた)」とは、昔この辺りの新田開発に携わった「新十郎」「喜七」「多兵衛」という人の頭文字から取った地名らしい。橋の北詰めから「今福南」の町を進む。
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この道も結構、古い家が残っている。
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360mほどで左に4社目の「皇大神宮」。伊勢の内宮同様、天照大神をお祀りする。
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平安時代末期に創祀されたとか。
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鳥居の横には「地車庫」が。
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皇大神宮の前を南に進む。この辺も古い街並みが残る。
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今福小学校を抜けた所で「極楽橋」という橋で「寝屋川」を渡る。城東区は、東西に「寝屋川」「第二寝屋川」が、南北に「城北川」「平野川分水路」という4本の川が流れる。区の南西部には「平野川」も。川と言っても工業用水と下水、水運のための「運河」で、かつては巨大な「どぶ川」として悪臭を放っていた。今では区内に4カ所の下水処理場ができ、かなり水質も改善されたようだが、やはり川というよりは「水路」だ。寝屋川を渡り東へ。歩行者専用橋から寝屋川を下流方向に望む。右(北)から城北川が、左(南)から平野川分水路が十文字に交わり「川の交差点」となっている。
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川の南側には「放出小学校」。これから「放出」の町を歩く。雨がきつくなってきた。
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「放出」。大阪でも珍名中の珍名だろう。「ほうしゅつ」と書いて「はなてん」と読む。町工場と住宅が続く、何でもない町だ。
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「放出」は、昭和49年の分区により、大阪内環状線をはさんで西側が城東区に東側が鶴見区となった。主な施設として鶴見区側には「JR放出駅」が、城東区側には小学校の他「放出中学校」「放出幼稚園」などがある。
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放出幼稚園の横を過ぎ、平野川分水路を東から西に渡る。
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新喜多東2丁目の町を抜ける。
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いくつかのアンダーパスがあるので、地図を頼りにJRの南側に出よう。本日5社目の「八劔神社」。村人らが夢でご神託を受け、応永3(1396)年に小さな祠を建てたのが始まりとか。
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裏に出れば地車庫がふたつ並ぶ。
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神社西の城東小学校校門横には「大坂冬の陣・鴫野古戦場跡碑」が立つ。ここは、大坂冬の陣最大の激戦地で、湿地帯であったことから合戦には不向きなため銃撃戦が行われたという。日本に鉄砲が伝わったころは戦国時代。鉄砲は、またたくまに 新兵器として広まり、当時の日本は、世界一の銃保有国となり、17世紀に軍隊同士の銃撃戦が行われていたのだ。碑はフェンスに囲まれていたので、隙間からカメラを差し入れ撮影する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/7c/676df71e0db62c6d98e06eabfc960e92.jpg)
再度、東に進み「天王田」の町を抜ける。
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地車庫の横に「八坂神社」というお社があるが、今日の「八社」には含まない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/af/908cb760de2393b803e27d0de98cb939.jpg)
今度は西から東に平野川分水路を渡り、すぐ右へ。ここも第二寝屋川と平野川分水路が十文字に交わる「川の交差点」。
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下水処理場の北側を東に、「左専道公園」と「諏訪小学校」の北側を進む。「佐専道」の由来は後ほど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/59/58c42a4047ccd089b6400f7d724d2011.jpg)
大阪内環状線高架下の公園を抜けて右へ、一つ目の辻を左に曲がり「諏訪」の町へ入る。
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「諏訪」の町にも古い街並みが残る。素晴らしい道だ。小雨が似合う。
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懐かしい「散髪屋さん」。今も営業しているのだろうか。
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路地に突き当たり右折する。この路地は「東大阪市」との市境。東大阪市は、かつての「河内國」。つまりこの路地は「摂津」「河内」の国境ということだ。
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すぐ右側に6社目の「諏訪神社」が現れる。境内の石灯籠には、承和3(836)年の銘があり、平安時代前期にはあったといわれる古社。「建御名方刀美命(たけみなかたとみのみこと)」を祀り、長野県・諏訪大社の分社。
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境内には天神様(菅原道真)が祀られ、その前には、かつて太宰府に左遷配流される菅原道真が腰掛けたという石が。そのため、この道は「左遷道」と言われ、その後「佐専道」と呼ばれるようになったとか。後ろには地車庫。
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参拝を終え、路地を右に。しばらく「国境」の道を歩く。
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マンションのある角を右折、西に進む。大阪府立成城高等学校の前を過ぎると、そこには「あれ」が。「あれ」とは? 先ほど「放出」の町を歩いたが、放出(はなてん)の名を全国区にしたのは、やはりこれだろう。「ハナテン中古車センター」。
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看板の「8710」の下には、あのセリフが。
女:「あなた 車 売る?」「私 高く買うわ!」
男:「あんた 一体 誰?」
女:「私? ハナテン中古車センターよ」
♪:「ハナテン中古車センター~~~。」
大阪では、「京橋のグランシャトー」と並ぶ、有名なコマーシャルだ。地名は「城東区諏訪」だが、ここに「(株)ハナテン」の本社がそびえる。
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城東中学校の前を過ぎ、さらに西へ。永田大橋で平野川分水路を渡ると「東中浜」。ここから、アーケードはないが商店街が続く。「東中浜商店街」。
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結構、古い家が残る。民家右のポールは、紀元2600(昭和15)年を記念して建てられた「国旗掲揚台」のようだ。
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交差点を渡り、ペイント舗装に代われば「緑橋商店街」と名を変える。
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ここも古い町家が残る。
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「本町湯」。レトロというより重厚な銭湯だ。
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この辺りから「緑橋西商店街」となる。
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信号で今里筋を渡れば「中浜本町商店街」に。
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名前を変えながら800mほどの商店街が続く。
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本屋前の小さな路地を入る。7社目の神社「稲荷神社」。地元では「東本(とうほん)稲荷神社」と呼ばれる。家と家にはさまれた小さな神社だ。創建は不明だが、天正4(1576)年に兵乱で焼失したとのことであるから、それ以前からあったのだろう。
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北に上り「中浜」の町を抜ける。
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そして、今日最後の神社「白山(しらやま)神社」。
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菊理媛神(くりひめのかみ)を祀り、創建は不明だが応永時代(1400年代)から付近の氏神様だったといわれる。境内には大イチョウがあり、高さ約23m、大阪市内一のイチョウは、大阪府天然記念物に指定されている。
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神社前の「衛門橋」で平野川を渡り右(北)へ。
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「城見橋」で第二寝屋川と平野川の合流点を渡り「鴫野」の町へ。
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「鴫野湯」。これもレトロなお風呂屋さん。営業中の現役だ。
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「そば一番」。そば屋さんだが、オムレツもあるようだ。
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さらに北へ上り「鴫野橋」で寝屋川を渡る。
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午後3時30分、今朝出発したJR京橋駅南口に到着。本日の歩紀「22922歩」(19.71km)。何の特徴もない町だと思っていたが、やはり町には町の顔があり、どれも「良い顔」をしている。
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南口横のガード脇には、終戦の前日である昭和20年8月14日、大阪大空襲により爆撃された京橋周辺の被災者の霊をなぐさめるお地蔵さんが祀られていた。京橋は、大阪砲兵工廠の直近だったため、激しい爆撃があったようだ。「合掌」。
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コメントありがとうございます。
これまでも多くのものがなくなりました。残念ですね。
ただ、相続や維持費、防災面など大変だと思います。しかたありませんね。歩けるうちに色んなところを歩きたいと思います。
野里町歩紀