社民党 京都府連合 野崎靖仁 副主席語録
社会民主党 中央規律委員 野崎靖仁、55歳。
日々の思いを綴ります。
 



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『社会新報』号外ポスティング - 社民党 京都府連合 副主席 野崎靖仁 語録 http://bit.ly/dc8UTZ #twitbackr
01:20 from web
「AKB48のANN」。今回はSDN48スペシャル。AKBメンバーは生電話で出演とのこと。このまま聴き続けるべきか寝るべきか。
02:12 from twitbackr
6月18日(金)のつぶやき - 社民党 京都府連合 副主席 野崎靖仁 語録 http://bit.ly/9T2PIE #twitbackr
12:02 from web
社民党の参院選スローガンは「生活再建まっしぐら」。なんだか「必殺まっしぐら!」を思い出してしまいます。秀が主人公のスピンオフ的な作品。スーパーマリオブラザースがモチーフになっています。
12:16 from web
社民党は「政治の品質保証役」。時代劇風にいえば「天下のご意見番」。でも、大久保彦左衛門ではなく松平伊豆守にならないとダメでしょうね…。「連立政治の保科正之」ではマニアックすぎるでしょうか?
18:31 from web
ゆきりんがセンターの「黒い天使」シャッフル版を見る。「天使のしっぽ」ゆきりん参加版も見る。どうしてもゆきりんの存在感が目立ってしまう。黒でも白でもゆきりんはよい。
18:45 from web
辻希美がめざしていたギャルの理想形は板野友美なのだろう。ミニモニ。のお子様路線が辻加護の可能性を潰した感がある。二人ともデビュー前の方が大人びていたような気がする。中学卒業と共にダブルユーとして活動していれば、別の展開があったかも。
18:54 from web
「小沢VS反小沢」で政局を語る人が多い。人間関係(人脈)で政治を分析する手法を否定はしないが、AKB48のチームごとの特徴を論じることと変わらない気がする。プロレスでいえばギミックと同じようなもの。政治をエンタメと割り切るなら問題ないのですが、それが本質ではないでしょう…。
19:00 from web
ギミックの話を展開すれば、ネット上での社民党のギミック(ステレオタイプ)は「何でも反対」「脳内お花畑」「特定アジアの手先」。実際の社民党は良くも悪くも違うのですが。脳内のイメージに沿って社民党を批判されても、的外れというか…「左のネトウヨ」だと思われているのでしょうか?
19:11 from web
なぜか @wahahahompo さんにフォローされています。何か琴線に触れるツイートをしたのでしょうか?
21:30 from web
サッカーも「沖縄返還密使」も見ないで、映画『鬼平犯科帳』を視聴中。TVスペシャルみたいな感じ。
21:56 from web
若泉敬は沖縄返還の「結果責任」をとるために服毒(NHKスペシャルでは明言せず)。これを若泉個人の悲劇としてとらえてはならない。沖縄という一匹の羊を犠牲にして本土という九十九匹の羊を救う。これが戦後保守政治の「リアリズム」だったのか。
22:07 from web
やっぱり彦十は猫八だなあ。
22:48 from web
劇場版『鬼平』の回想シーンに登場する小娘時代の岩下志麻、無理がありすぎ。たぶん十代の設定だろうが、着物だけでは…
22:58 from web (Re: @cathy1326
@cathy1326 声を枯らさないためには、咳が出れば無理をせず他の人に交代することです。気分が乗ると声が大きくなりがちですが、声の大きさより活舌をよくするよう心がけましょう。話すスピードは車の速度に合わせると楽です。
by nozaki_yasuhito on Twitter

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6月4日、1965年から那覇市議を4期16年務めた
瀬長フミさんが100歳で亡くなられました。

<[訃報]瀬長フミさん死去 100歳 故亀次郎さん支え>
(沖縄タイムス 2010年6月4日 09時50分)
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-06-04_7005/

瀬長さんの夫は沖縄人民党委員長、日本共産党副委員長であり、
那覇市長、衆議院議員を歴任した瀬長亀次郎さんです。

カメジロー沖縄の青春(予告編)


小林よしのり『沖縄論』(小学館)の一編
「亀次郎の戦い」でも紹介されています。

毛沢東にしろホー・チ・ミンにしろ、
アジアの成功した共産主義者は、
共産主義者である前にナショナリズムを代表していました。

戦後、フランスやイタリアの共産党が
ユーロコミュニズムの旗手たりえたのも、
レジスタンスやパルチザンで戦ったゆえです。

瀬長亀次郎が委員長を務めていた沖縄人民党は
日本共産党が軍政下で活動できない条件のもとで結成された、
いわば別働隊であったことは共産党も認めています。

<沖縄人民党と日本共産党の合流の経緯は?>
(日本共産党公式サイト)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-22/ftp20070822faq12_01_0.html

1973年、沖縄人民党は日本共産党に吸収され、
瀬長亀次郎は中央委員会副委員長に就任します。

瀬長が共産党員であった、
というだけで毛嫌いするむきもありますが、
米軍の圧政に抵抗した不屈の闘志は左右の違いを越えて
尊敬されるべきです。

『瀬長亀次郎日記』(琉球新報社)を読みたくなりました。



「カメジロー 沖縄の青春」の予告編動画にもありましたが、
瀬長亀次郎の言葉を最後に引用します。

「セナガ一人が叫んだならば、五十メートル先まで聞こえます。
 ここに集まった人が声を揃えて叫んだならば、
 全那覇市民まで聞こえます。
 沖縄の七十万の民が声を揃えて叫んだならば、
 太平洋の荒波を越えて、
 ワシントン政府を動かすことができます。」

今こそ、私たち1億2000万の日本国民が、
声をそろえて叫ぶときなのです。

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