のそのそ日記

イベント・展示会案内、その他つれづれ

天真爛漫異世界転生

2023-11-17 14:32:32 | 日記

ちゃまが異世界転生アニメが大好きらしくてたくさん録画しては見ていて、その割に見ている最中寝落ちするので何度も見返して、その間台所にいる私が何度も履修しなくてはならない状況になって大変不満なんですが。

でも嫌いなものって普通極力通り過ぎて後で何が起こっていたのか判らないケースが多いものだけど、これに関してはわりと流行の発生から変化まで把握できているのではないかと思います。

ゲームの設定が一般化されて「剣と魔法の世界」が「みんな知ってるお約束のアレ」として説明なしで物語を始められて、更に基本的な生活を簡単に乗りきれる見えないステイタスに守られている世界。
最初の頃は中世をモデルにしてるなら当然この世界の人は知識量が少ないだろうという前提と、最初から付与されているチート能力で周囲(主に異性)からの賞賛を得てどんどん出世していく話が多く、
そのうち主人公なのにチート能力が思ってたんと違う、社会のやつらがゲスばかりというルサンチマン慰撫の話が増え
ここんとこは異世界にもともといる「下劣な種」を殺戮するのを楽しむ話の波がきて
こういう話を「世直し」という名目で進めていく、というざっくりした流れです。

最初の頃は、現実世界でハデに景気のいい成功ものが期待できない悩ましさを、別の世界にいけばうまくいくかもよ的な楽しい願望ものだったと思うのだけど
今の異世界ものは 言葉の通じない相手は殺戮してもいい、先住民を粛清すれば金になる、自分に対して異見を言う者は弱い癖に生意気で下劣
という差別意識こってこての基本設定が多すぎて、控えめに言っても吐き気がします個人的に。

でもちょっと発見もありまして。
剣と魔法ものじゃなくて、お嬢様ものにありがちな「権力者のわたくしが民主主義を使えばこの世界は安泰」的な世直しものの中で、作者側が「民主主義」ってものが太古の昔から当然あったものと思い込んで描いているな、というのがかなり強烈に浮き出ているあたりです。

独裁王政時代は人民は経済動物のようなもので、家畜(民)が増えれば主(王)が豊かになるような感覚であったこと、それに反発して共産主義が生まれたけれど、未熟さから結局は独裁の1形態に成り下がったこと、人民を独裁者と同じく人間であると定義されたのがわりと近代であったことなどを、まるっと無視して「民主主義を知ってる私」の万能性を信じているところが、物語の明るさの割に大変恐ろしくあぶなっかしく感じました。

このあぶなっかしさが「世の中なんて○○○しとけばいいじゃん」と言い放つ幼さにつながっているんじゃないかな。
それが正義感から出る発言であったとしても(物語のお嬢様たちはみんな基本的に善良)知恵と人柄の善さはまったく別のものって前提がないのが怖いんだなと思いました。

 

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みみしっぽ展

2023-11-07 19:28:51 | 日記

11月4日より大阪のgallery TetoTetoさんの公募展に時枝理子で参加しています。

テーマは「みみしっぽ」ほのぼの系なコミックアートがお好きな方はぜひどうぞ。
サイトで作品閲覧・通販もあります。よろしくどうぞ!

 

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キャリバンと魔女

2023-11-01 13:34:55 | 読書

「キャリバンと魔女 資本主義に抗する女性の身体」(シルビア・フェデリーチ著・小田原琳・後藤あゆみ訳 以文社刊)読了。

ヨーロッパの魔女裁判の歴史と資本主義が発展していく過程で「女性という種類の人間」がどのように差別に組み込まれてきたか、というテーマ。
大変に重いし残虐な歴史で、権力者同士の闘争の注意深い陰湿さとはまったく別の、権力者から被支配者に対する遠慮ない残酷で苛烈で大規模な攻撃が恐ろしい。
権力者が権力を増大させるというのは単純に地図上の領土を拡大することではなく、働く人民を増やししかしその食い扶持は減らし、反逆を制するために共食いをさせ、不足の場合はほかの地域から人間を攫ってくる(地方の農村に始まり規模が大きくなるにつれ新大陸やアフリカから)という話。
その端緒になったのが「囲い込み地」で、公共の財産だった多くの土地(共有地コモンズ)を資産家の所有地とすることで、そこにすむ農民を都市労働者として貨幣経済を担わせる。地域社会の分断、文化の喪失など、たぶん当事者が感じた以上の社会の損失だったのでは。
学生のころ「ロビンソンクルーソー」を読んだ時に自由の天地であるはずの絶海の孤島でさえロビンソンは囲い込み地を作り、有色人種の遭難者フライデーを下僕としてこき使ってたな…というのを思い出し。
女性嫌悪(ミソジニー)という感覚も、厳しい差別と貧困がある社会に「すべての男の下の地位が女」という設定を15世紀からもう作り始めていたのかと、その歴史の長さに暗澹としてしまった。
最終章に、これらが前近代の問題ではなく1980~2000年までの間でさえ、新自由主義の経済的差別によって女性たちの魔女化・国家社会転覆容疑・大量殺人容疑が生じている(それが遠い国の集団ヒステリーとしてスルーされている)問題。
そういや以前NHKの怪奇娯楽番組で取り上げられていたのを見た…状況の深刻さは伝わってこなかった。たぶん取材報道側から社会問題、貧困差別の原因がまるっと抜けているからかと。

歴史を政治の面だけで追って学んでいると、こういう経済や差別のしがらみ部分は見えてこないんだなと、今まで学んだ世界史を振り返って思う。日本史だと中世の民間宗教や生産流通の段で触れてたけど、戦国以降はあんまり勉強してこなかったな。ちょうどヨーロッパでの魔女裁判全盛期にあたる頃、日本では性差はどんなんだったのか興味あり。
でも手をつけるのはもうちょっと後にしよう…と思うぐらいに残酷で陰惨な話まるけであった。

「基本的人権」がただの言葉だとしても、これ以上に大事なもんはないわ。

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