ちゃまが異世界転生アニメが大好きらしくてたくさん録画しては見ていて、その割に見ている最中寝落ちするので何度も見返して、その間台所にいる私が何度も履修しなくてはならない状況になって大変不満なんですが。
でも嫌いなものって普通極力通り過ぎて後で何が起こっていたのか判らないケースが多いものだけど、これに関してはわりと流行の発生から変化まで把握できているのではないかと思います。
ゲームの設定が一般化されて「剣と魔法の世界」が「みんな知ってるお約束のアレ」として説明なしで物語を始められて、更に基本的な生活を簡単に乗りきれる見えないステイタスに守られている世界。
最初の頃は中世をモデルにしてるなら当然この世界の人は知識量が少ないだろうという前提と、最初から付与されているチート能力で周囲(主に異性)からの賞賛を得てどんどん出世していく話が多く、
そのうち主人公なのにチート能力が思ってたんと違う、社会のやつらがゲスばかりというルサンチマン慰撫の話が増え
ここんとこは異世界にもともといる「下劣な種」を殺戮するのを楽しむ話の波がきて
こういう話を「世直し」という名目で進めていく、というざっくりした流れです。
最初の頃は、現実世界でハデに景気のいい成功ものが期待できない悩ましさを、別の世界にいけばうまくいくかもよ的な楽しい願望ものだったと思うのだけど
今の異世界ものは 言葉の通じない相手は殺戮してもいい、先住民を粛清すれば金になる、自分に対して異見を言う者は弱い癖に生意気で下劣
という差別意識こってこての基本設定が多すぎて、控えめに言っても吐き気がします個人的に。
でもちょっと発見もありまして。
剣と魔法ものじゃなくて、お嬢様ものにありがちな「権力者のわたくしが民主主義を使えばこの世界は安泰」的な世直しものの中で、作者側が「民主主義」ってものが太古の昔から当然あったものと思い込んで描いているな、というのがかなり強烈に浮き出ているあたりです。
独裁王政時代は人民は経済動物のようなもので、家畜(民)が増えれば主(王)が豊かになるような感覚であったこと、それに反発して共産主義が生まれたけれど、未熟さから結局は独裁の1形態に成り下がったこと、人民を独裁者と同じく人間であると定義されたのがわりと近代であったことなどを、まるっと無視して「民主主義を知ってる私」の万能性を信じているところが、物語の明るさの割に大変恐ろしくあぶなっかしく感じました。
このあぶなっかしさが「世の中なんて○○○しとけばいいじゃん」と言い放つ幼さにつながっているんじゃないかな。
それが正義感から出る発言であったとしても(物語のお嬢様たちはみんな基本的に善良)知恵と人柄の善さはまったく別のものって前提がないのが怖いんだなと思いました。