のそのそ日記

イベント・展示会案内、その他つれづれ

86

2021-05-17 16:06:00 | ノンジャンル
 ちゃまが今期のアニメ「86」を見てガチのSF、重くて怖くて面白いと言っている。他がわりと主人公無双異世界転生ものや、シリアス筋を皮を被りながら女の子落しが目的になってるゆっくりSFが多いから、確かに異色かも。

 滅びた大国の残した兵器と戦争をしている国の話で、戦っている身内の兵器も無人機というふれこみで連戦連勝と報じられているけれど、実は機体には被差別市民がパイロットとして搭乗していて、戦死者も出続けているという設定。
 敵の兵器はあと2年で停止するはずだからそれまでの間つなぎのはずだったけれど、実は無人機は増殖していて、対する被差別市民はほとんど戦死してもう子供たちしか残っていない、だから何も知らない国民は迎撃パイロットの死滅と同時に殲滅されるだろうって予測がたつところまできてます。

 こういう「差別」の設定、今世紀に入ってSFの畑でよく見るようになったなと思ったのだ。
 最初はカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」、臓器移植のパーツをとるために育てられたクローン人間たちが、経済動物のような自分たちの状況を知らずに将来の夢を見てるくだりは、ジャンプ漫画「約束のネバーランド」で食用に育てられるハウスの子供たちにも似てるし、戦う子供たちを育成する「ダーリン・イン・ザ・フランキス」にも踏襲されてた(ダリフラの最終話のタイトルが「わたしを離さないで」だった)し、最近読んだ中国SF短編集にもそういう系の話があったな。
 この手の話は、差別ががっちり社会に組み込まれていて被差別側が状況を変えるには社会全体を相手にしなければいけないあたりかと。
 それでたぶん、今世紀になっていろんな国で顕著になった新自由主義の差別化しやすい社会ができてしまったのも影響しているんじゃないかなーと思った。
 今、差別を受けている人は、遺伝子操作をされた訳でも飼育された訳でもないけれど、そういうSF要素をとっぱらってみると、他に逃げ道のない立ち位置で上から圧し掛かっているものに耐えている、でも最初からその状況だから「ぼんやりとして生きづらさ」としてしか認識できない、というの。
 どのSFでも檻の中で暮らしていた人たちは、現状の幸せを感じたりなんとかやりぬけようと努力をしているけれど、それは努める方向が違うんじゃないか?見落としている大事な事があるんでは?と問題提起するの。

 そういう生き方への語りかけって、かつては純文学の仕事だったけれど、今の時代SFがその屋台骨の一角を背負っているのでは。というの、新鮮だしSF好きには嬉しい。いや怖いけど。
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今年最初の入稿

2021-05-12 17:11:00 | ノンジャンル
 庭本の編集が終わりました。
 前回印刷屋さんに出したのが去年の8月なので、ずいぶん間が開いたなあ。入稿が済んだら、次はオリジナル本です。話は1本仕上がっているのだけど、もう1話入れられないかな~というわけで、もうちょっと頑張ってみよう。
 こちらは来週入稿予定。中止にならなければ来月のコミティアに持っていけますように。

 ばらが盛りできれいなシーズン。









 通販分も発送しました。
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エナガたち

2021-05-04 00:40:00 | ノンジャンル
 近所にエナガの群がきていました。小さい小鳥だけど、ハナミズキのような低い木でさえずっているので割と近くで見ていても逃げないな?と新鮮。大変可愛い。声は高くて細い「ツィーツィーツィー」、メジロと同じで何羽かで囀りあいながら移動している模様。

庭日記も更新しました。




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