北方世界とヴォルガブルガール(2)イブン=ファドラーンと北方世界



【ヴォルガ=ブルガール国のイスラム改宗とイブン=ファドラーン】
 10世紀初頭、ヴォルガ川とカマ川との合流地点を中心に、
森林と草原との接壌地帯に栄えていたヴォルガ=ブルガール国は、
それまで従属関係にあった草原国家ハザールから独立し、
安寧と繁栄とを確保するために遥か南方のイスラム国家アッバース朝の
政治的経済的支援を必要とした。

そのような背景の元、ブルガールからの支援要請に応えて921年6月
バグダッドから使節団が派遣された。
翌922年、使節団の訪問をうけたヴォルガ=ブルガール国はイスラムを
受容することでアッバース朝からの支援をとりつけ、以後この地は現在に
至るまで最北のイスラム教の拠点として活動しつづけることとなる。

イブン=ファドラーンはその使節団の随員であり、彼による報告書が
後世に伝えられることとなった。

 当時、彼らが旅したイスラム世界からブルガールにかけての領域は、
バグダッド政権から離反した地方政権の台頭、トルコ系諸部族
(グズ、ペチェネグ、バシュキール等)の移動、ハザールの衰退、
遥か北方フィンランド湾からヴォルガ水系・ドニエプル水系を南下
してくるヴァイキングやルーシ、といった錯綜した様相を呈していた。

 ファドラーンの報告書はそうした状況の中直接見聞した事柄を
記述したものであり、後世の研究家達にとっては重要な地理資料でもあった。
特に北方ブルガールを訪れた際の情報は、イスラム地理学の
北方地理概念形成に多大な影響を与えることとなった。


【旅行記に見る北方世界】
 彼の報告書にはブルガールよりも遥かな北の地についての記述がある。
一つはブルガールの地よりさらに北へ3ヶ月行ったウィースー達の住む地。
もう一つはウィースーの地からさらに北に3ヶ月行ったゴク・マゴクの地
(ユーラーの地)である。

どちらもウラル系諸族と考えられており、ウィースーはベロ・オーゼロ近辺の
フィン・ウゴル諸族、ゴク・マゴクはそこから北東に向けて、スホナ水系・
ウサ水系に沿って広がるユグラの地であろうと思われる。

ウィースーの地はバルト海~オネガ湖~ヴォルガ川を結ぶ交易路の要衝の
一つであり、遥か極北の「ユグラの地」も、ここを介して”世界”に
接続されていたことが窺える。


[参考資料・関連情報]

「イブン=ファドラーンのヴォルガ=ブルガール旅行記」家島彦一訳 (1969)
「チベット語史料中に現れる北方民族」森安孝夫 (1977)
「白鳥庫吉全集4」白鳥庫吉
「民族の世界史4 中央ユーラシアの世界」森雅夫、岡田英弘編 山川出版社 (1990)
「ФИННОУГОРСКИЕ ПЛЕМЕНА В СОСТАВЕ ДРЕВНЕЙ РУСИ」Е.А.Рябинин(1997)
「ロシヤ年代記」除村吉太郎訳 弘文堂 (1943)
「ロシア史1」田中陽兒 倉持俊一 和田春樹 編  山川出版社 (1995)
「HISTORICAL ATLAS OF THE VIKINGS」JOHN HAYWOOD 著 PENGUIN BOOKS (1995)
「HISTORICAL ATLAS OF RUSSIA」JOHN CHANNON 著 PENGUIN BOOKS (1996)
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